いよいよ横浜プリンスホテル最後の夜ですね
故郷・横浜・磯子の横浜プリンスホテル (楽天トラベル では横浜プリンスホテル )がこの2006年6月30日で営業停止してしまう旨は当ブログの以前の記事で書いたとおりですが、いよいよホテル営業最後の夜が来てしまいました。故郷の身近なホテルが無くなってしまう、というのはとてもせつないものです。地元の人達にも愛されていたホテルだったのに...。
今は鹿児島に住んでいる私は残念ながら、横浜は遠過ぎて横浜プリンスホテル(楽天トラベル)の最後の瞬間に立ち会うことは叶いませんが、今夜泊まっている方々には、ずっと残る素敵な思い出を作って来ていただきたいと思います。あの大好きだったホテルが消えてしまっても、思い出を消すことは誰にもできませんので。
私事で恐縮ですが、実家の老母は脳溢血の発作をこれまで何度も繰り返して来たのですが、今度は脳梗塞の発作(って脳梗塞とは逆方向だと思うのですが、母には現在両方の危機があります)でまた入院してしまいました。私にとって個人的には、5月に横浜に帰省した時に両親と横浜プリンスホテル(楽天トラベル)の見納めに行ったのは、老母と一緒にどこかに出かけた最後の思い出になるかも知れません。そんなことを思うと、個人的には横浜プリンスホテル(楽天トラベル)の見納めをしたのは、横浜プリンスホテル(楽天トラベル)が大好きだったということだけにとどまらず、一生忘れられない出来事になるかも知れません。横浜プリンスホテルのフラワー・プロムナードは入院前の母が訪問看護ステーションの方々や父と共にリハビリと兼ねて訪れるコースとも化していたので、それが消えてしまうのはとても寂しいことです(後日注)。
(後日注) その後、大好きだった母は2006年11月11日に死んでしまいました 。横浜プリンスホテルは、母との最後の思い出の場所になってしまいました。母の死後に現役時代の横浜プリンスホテルの写真を見ると、大好きだった母の死と、大好きだった横浜プリンスホテルの閉館と、何重にも悲しみが襲って来て、涙が止まらなくなります。+α:さらに、2007年8月5日に父まで死んでしまいました。横浜プリンスホテルは、生前の両親との最後の思い出の場所です。
昨年(2005年)母がまだ「何とか元気」だった頃に両親を鹿児島に招いたことがありますが、今にして思えばあの時招いていて良かったと思います。今年だったら、とてもそんなことは叶わぬ夢になってしまいますので。
「横浜の実家に帰れば元気な両親がいる。そして実家のある横浜には大好きな横浜プリンスホテル(楽天トラベル)がある」という、これまで当たり前だったことが当たり前ではなくなる・・・私にとっては喪失感の大きな出来事でした。その意味では、第2の故郷・で大好きなホテル・城山観光ホテル(リンク先は拙HP内訪問入湯記) が一時期経営が悪化しながらも再建の道を歩み始めてくれたことは、とてもありがたいことです。ホテルや観光地,商業施設のような施設の場合、「人々の思い出」が籠もる場所ですので、他の産業の企業や施設よりも倒産や閉鎖は「大きな悲しみを人々に与えるもの」だと思います。「横浜プリンスホテル(楽天トラベル)が消えて寂しい、城山観光ホテル(リンク先は拙・別HP内訪問入湯記) は残ってくれて本当に良かった」というのが、最近つくづくしみじみと感じることです。余談ですが城山観光ホテル(リンク先は拙・別HP内訪問入湯記) は単に素敵なホテルというだけにとどまらず、横浜で例えればホテルニューグランド(リンク先は拙・別HP内訪問記) に相当するような鹿児島の街を代表するホテルでもありましたので、1鹿児島市民としても「街の顔」が消えずに済んで良かったと思います。横浜プリンスホテル(楽天トラベル)閉鎖で横浜市磯子区の街の顔は消えちゃうのですけれど。
横浜プリンスホテル(楽天トラベル)が消えてしまうと、せつなく寂しいなぁ。
当ブログ内で、横浜プリンスホテルを紹介する拙・別記事は以下のとおりです。
○ 横浜プリンスホテル・パンフレット
○ 横浜プリンスホテル最後の1週間頑張って下さい
○ 母の納骨(その後、解体工事でプリンスブリッジが消えてしまった写真が載っています)
○ 2006年11月11日に母が死に、後を追うようにして翌2007年8月5日には父までもが死んでしまったので、横浜プリンスホテルは、生前の両親との家族揃っての最後の思い出の場所となってしまいました。両親の死についての拙日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。
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