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2006年11月23日 (木)

鹿児島での母との思い出の場所

◎ 2005年5月13(金)~16(月)に、父と母が2005年現在の拙・赴任地・鹿児島 に来てくれた時に行った場所です。母が死んだ 今となっては、最後の楽しい家族旅行の思い出になってしまった、とても楽しかった、せつなくて、今では悲しい、かけがえのない大切な思い出の場所です。時間を戻せるのならば、あの日に帰りたいです。

(後日補注:その後、翌2007年8月5日に、母の後を追うようにして父も死んでしまったので、亡母との思い出の場所であるだけでなく、亡父との思い出の場所にもなってしまいました。)

○ 城山観光ホテル

○ 城山展望台

○ 尚古集成館

○ 仙巌園(磯庭園)

○ 猫神神社

○ 石橋記念公園

○ 鶴丸城(鹿児島城)

○ 鹿児島県歴史資料センター黎明館

○ 岩崎美術館

○ 長崎鼻

○ フラワーパークかごしま

○ 開聞山麓自然公園

○ 池田湖

○ 知覧特攻平和会館

○ 知覧武家屋敷群

○ 天文館

○ うなぎの末よし

○ cafe de MANON(カフェ・ド・マノン)



◎ ↓は、↑の2005年5月に、私と合流する前に両親が行った場所です。

○ 霧島神宮

○ いおワールド かごしま水族館



◎ 昨年2005年12月に母が発作で倒れるまでの間は、来年(=つまり今年、2006年)鹿児島に再訪して見に行くんだとはりきっていた場所。結局、母が逝ってしまった ために、母を案内できなかった場所

○ 桜島



◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 死に近き母

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

等々です。上述以外の、2007年の父の死や2006年11月の母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

 

◎ 母との思い出の場所も紹介している拙運営別サイト&同サイトを事例紹介している本

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

Konohaur_1

 

 

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母の葬儀&墓地

1.菩提寺
 浄土宗天然寺 (リンク先は横浜市内の史跡をテーマ別散策コース紹介サイト「小市民の散歩行こうぜ」 のサブ・コンテンツ:地図[powered by google mappowered by MapFan(解説付き) ])

2.斎場(通夜,告別式)
 杉浦本店磯子斎場(地図(powered by google map)

3.埋葬されることになる墓地
 公園墓地八景苑地図(powered by google map)

 


◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 死に近き母

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

等々です。上述以外の、2007年の父の死や2006年11月の母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

 

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2006年11月19日 (日)

母の死・その2

 過去の日記と一部重複する内容がありますが・・・過日の日記や拙ブログ記事
http://kamitaku.cocolog-nifty.com/rock/2006/11/post_77de.html
で述べたとおり、2006年11月11日に母が死にました。弔辞をいただいた方、葬儀に来て下さった方、等々、誠にありがとうございます。この場では「半径3メートル以内に止まるだけの記事」は務めて避けてきたつもりですが、やはり母の死は精神的にショックでしたので、ついつい買いてしまいます。

 母の病気はもやもや病という難病で、母の場合平たく申せば「生まれつき、脳に動脈が無く毛細血管のみ」という状態で、細い毛細血管を大きな赤血球が無理矢理通る結果、見た目の症状としては、血管が損傷すれば脳溢血(脳出血)、赤血球が血管の細さに「敗れて」固まれば脳梗塞になります。母が最初に脳溢血で倒れたのは私が高校時代の1979年で、以来四半世紀以上の長きに渡って、時折脳溢血で倒れて入院してはリハビリで復活することを繰り返して参りました。かつての母の主治医によればもやもや病患者は長生きする症例は少ないとの由で、母は奇跡的に長生きできた症例なのだそうです。脳細胞は壊れても新たに「結合し直して、新回路を形成する」ことが可能なので、恐らくは脳出血で脳細胞が壊れてもしぶとく再生していたものと推測します。昨年2005年12月11日にどデカい脳溢血で倒れて、何とか2006年1月11日に退院したものの、この時には脳の損傷が再生能力を上回っていて「かつては上手だった料理が作れなくなっていたり、すぐに体が疲れる状況」で在宅看護ステーションの方の手伝いでリハビリを繰り返していたりしたのですが、1006年6月19日に最後の脳梗塞の脳発作を起こして以来、「意識はあって目は開いているが、体は動かず、言語機能を喪失する、『意識だけはある植物人間』」状態となり、同時に脳は全身の司令塔であることもあり徐々に体が衰弱していきました。なまじ意識があるので、11月11日に死ぬまでの母は相当辛かったことと推測します。それまでの脳溢血(脳出血)と脳梗塞とは、見た目の現象は真逆なのですが、「細い毛細血管を赤血球が通ることに起因する」という元々の原因は同一であり、「見た目の現象が一見逆でも、実は単に鏡の裏表であるに過ぎない同じこと」になります。

 末期の母は、父が在宅医療で必死になって世話していたのですが、「昨年12月11日の発作以来脳が損傷する度合いが加速度的にひどくなり、脳の再生が追いつかなくなったと推測される」状況でなす術もなく、とうとう死に至りました。10月に肺炎を併発し、「人に有効な栄養は雑菌にも有効であるため、肺炎を叩くには栄養を断つ必要があることから抗生物質を投与する傍ら最低限の糖分を投与する」か、でもそうすれば宿主たる母の体も衰弱するため、肺炎を叩いた後で本格的に栄養を投与して体力が復活するのが間に合うかどうか、という「肺炎死か衰弱死か、その間の隙間の生を狙うイチかバチか」の賭けをせざるを得ない状況に陥り、この際どく狭いストライク・ゾーンを在宅医療の主治医が狙って下さった模様なのですが、ストライク・ゾーンが余りにも狭過ぎて肺炎を叩いた後の体力が回復しなかった模様であり、2006年11月11日に死に至りました。死ぬ一週間前の11月の3~5日の三連休に横浜 に帰省した時には、肺炎が治って熱が下がり、喜んで鹿児島 に帰ったのですが、わずかその一週間後に状況は暗転しました。鹿児島から横浜 は物理的だけでなく経済的にも遠いので、体調が戻ったので安心して11月11日(土)の終末は帰省せずに自宅待機していたらその日に死なれてしまい、死に目には会えませんでした。父によれば、「ろうそくが消える前の最後の輝き」だったのではないかとの由です。

 在宅医療の主治医、訪問看護ステーションの方々、訪問介護サービスの方々には母が生前お世話になり、遠く鹿児島 にいて、かつ業務の都合などで「帰りたくても帰れない」状況が多かった私は、この場をお借りして心から感謝申し上げます。この「なかなか帰れなかった」状況はとても悔やまれ、母に申し訳ないと思うと同時に、それでも死ぬ直前ながら生前の10月に3回帰省できて良かったと思います。

 母が死ぬ直前10月に3度帰省した際には、狭い実家の拙部屋を母の医療用ベッドが占拠していて家に寝るスペースが無かったのでホテル泊まりだったのですが、たとえ息をしてくれているだけでも構わないから母が生きていてくれるなら、ずっと「帰省時ホテル泊まり」でも構わないから生きていて欲しかったと思います。

 昨年2005年5月には拙赴任地・鹿児島 に両親が遊びに来てくれて、うれしかったのが遠い昔のようでもあり、昨日のようでもあります。その頃まではまだ元気だったのですが、上述2005年12月の発作以来、坂道を転げ落ちるように加速度的に病状が悪化した訳です。あと1年少々元気なまま生きていてくれたら、金婚式を迎える筈でした。父によれば「自称・両濡れ落ち葉」と自嘲する程「いつも一緒」の仲の良い夫婦でしたので、父はすっかり精神的に参ってしまっており、「母が父を連れて行ってしまわないか」子供としては心配です。2005年12月の発作で倒れるまでは母は「来年(=つまり今年・2006年)にはもう一度鹿児島 に行って、前回行けなかった桜島 に行く」のを楽しみにはしゃいでいたそうですが、母を拙赴任地・鹿児島 に呼んであげることは叶わないまま逝ってしまいました。

 「もやもや病」は先述のとおり一般には発病したら長くはない病気の模様ですので四半世紀以上頑張れたのは奇跡なのですが、もっともっと長生きして欲しかったので、「病気の割には長生きした」では悲しすぎるのが子供としてのやりきれなさです。父は、「もやもや病が憎い」と言っていました。

 母が焼かれる時には、火葬が遺族にとってこんなに酷いものだと初めて実感しました。大好きだった母が焼かれて骨になってしまう。熱かっただろう。熱かっただろう。嘘でもいいから蘇生して目を開けて飛び起きて逃げ出して来て欲しい、と心から思いました。父は、「俺も一緒に焼いて欲しかった」と泣いていました。遺骨は余りにも軽くて軽くて、遺骨を持った時悲しくてたまりませんでした。母が楽しみにしていた鹿児島再訪が叶わなかったので、鹿児島 市観光課発行の桜島も含む鹿児島温泉(鹿児島市内温泉) の観光パンフレットを一緒に燃やしてあげました。次回桜島に行く機会があったら、母の写真を持って行って、母の霊に桜島 を見せてあげたいと思います。

 母を呼ぶことができた鹿児島 の街の至る所に、また、思い出が多い故郷・横浜 の至る所に母の思い出が満ち溢れていて、実家にいても鹿児島に戻ってもせつなく辛いです。

 ふられ続けた「もてない族」代表の私としては、孫の顔を見せてあげられなかったことを母に申し訳なく思います。「結婚しない男」ではなく「結婚できない男(厳密には、愛しい人から選んで貰えない男)」ですので、この歳まで独身なのは本意ではありません。

 私が高校の頃、私のために頑張って私が大学を出るまでなんとか生きていたいと言っていた母が、私の大学卒業後20年弱生きていてくれて楽しい思い出をたくさん残してくれたのはありがたかったのですが、「もやもや病」さえ無ければもっと長生きしてくれたのに、と思うと残念です。

 幽霊でもいいからもう一度会いたい。母と行ったことのある場所ではどこでも、その時の姿のまま母がいるような錯覚に襲われます。会いたい。本当に心から会いたい。前赴任地も含めて、もっともっと帰省しておけば良かった(首都圏に住んでいた頃でも、正月とGW位にしか帰省していなかったので)。「家族3人で行った家族旅行楽しかったね、母さん」・・・もう一度家族旅行したかった(今年鹿児島 に来てくれるんじゃなかったの?)。こんなに親不孝な子供だったのに、母はいつでも優しかった・・・。悪い夢なら覚めて欲しい。「母が治ったのではなく、母が死んだ」ために母の医療用ベッドが無くなったので、「ホテル泊まりから開放されて自宅で寝られるようになった」ことがせつなく悲しい。実家で目が覚めたら母の遺影があった・・・いつもなら母が起こしてくれたのに。ああ、たまらなく切なく辛いです。

 


◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 死に近き母

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

等々です。上述以外の、2007年の父の死や2006年11月の母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

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2006年11月12日 (日)

母の死

 某SNSの書き込みと同じ内容で恐縮ですが...。

 昨夜(2006/11/11(土))、横浜 の実家の母がとうとう死にました。死に目には残念ながら会えませんでした。母は元々脳の血管が細いという体質故に脳溢血になり易く、四半世紀の間「脳溢血で倒れては、リハビリをして復活する」ということを繰り返していたのですが、今年(2006年)6月に「脳溢血と脳梗塞の併発(注)」で倒れて以来、寝たきりになり、かつこの最後の発作で脳の言語機能に障害が生じて「意識はあるがコミュニケーション取れず、寝たきり故に動けず、目は明くとは申せ植物人間同様の状態」が続いていました。自力で食えないので点滴や胃ろう で栄養補給していたのですが限界もあり、肺炎が契機となり体全体が弱って力尽きて、とうとう死に至りました。
(注)脳の血管から血が溢れる脳溢血と血が詰まる脳梗塞は現象的には真逆の現象ですが、「細い毛細血管を大きな赤血球が通る体質(医学的には俗称ではなく正式名称で「もやもや病」という状況です)」故に、元々の原因は同一です。

 11月最初の3連休(2006/11/03(祝・金)~11/05(日))に帰省した時に、その前にかかっていた肺炎が治り体調が或る程度復活していたので安心して今週末(11/11(土))に帰省していなかったら容態が急変してしまいました。こんなことなら、今週末も帰省しておけば良かった、そしたら死に目に会えたのに・・・と後悔先に立たずで無念です。

 現赴任地の鹿児島 は大好きな第2の故郷になっているのですが、このような時に第1の故郷・横浜からはやはり遠いです。物理的距離だけでなく、経済的にも。

 母の死を知った時点で夜の航空機には間に合わなかったので、翌日(本日記執筆時点で今朝・2006/11/12(日))朝1の便で羽田に向かう予定なのですが、鹿児島空港は鹿児島の空港というよりもほとんど霧島空港ではないか、というくらい霧島 に近いので(実際、市町村合併で所在地が霧島市になっちゃったし)鹿児島市 から遠いこともあり、8:00の便に乗るには6時ぐらいの空港行きバスに乗らなければ間に合わず、逆算すれば5:00には起きていなければなりません。

 準備をしていたり、悲しみにくれている内に夜遅くなってしまったので、今寝たら5:00には起きられないと思い「徹夜しよう!」と覚悟した結果、こんな時間に日記を書いております。

 親子二代の転勤族だった我が家はいろんな所に思い出があるので、これまで住んだ所や一緒に行った場所をGoogle Map で見ている内に、涙が止まらなくなりました。今思えば、昨年2005年5月、まだ母が動ける内に両親を鹿児島に呼んであげて良かったと思いますし、それが最後の家族旅行になりました。昨年母は父に、「来年(つまり今年、2006年)もう一度鹿児島に行って桜島 を見るんだ」と言っていたので、「嘘つき!。鹿児島にもう一度来てくれるんじゃなかったの?。一緒に桜島に行くんじゃなかったの?。」と言いたいです。鹿児島には素敵な観光スポットが多いので、たくさんいい所に連れて行ってあげたかったのに。

 結構厳しい母だったので、生前は怖い思い出や嫌なこともあったのですが、今心に浮かんで来るのは優しかった母の思い出や楽しい思い出ばかりです。私自身はと申せば、お世辞にも親孝行な子供ではなかったので、月並みな言い方ではありますが「親孝行したい時に親は無し」と思っています。もっともっと、尽くしてあげれば良かった・・・。悲しいだけでなく、悔やむことが多いです。

 今でも、横浜に帰れば母が生きていて迎えてくれるんじゃないか、とか、今まで住んだそれぞれの街にはまだそこに我が家があって、帰れば(現役時代の)両親がいるんじゃないか、とかいう錯覚に襲われます。でも、そんなことはあり得ないし、もう母はこの世にいない。生ある者いつかは必ず死ぬのが定めとは申せ、やはり、とても辛く切なく悲しいです。




◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 死に近き母

○ 母の死

○ 母の死・その2

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○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

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◎ 母の死をテーマにした、他のブログの記事 or 日記

○ 久野能弘の日記 | 母の死

○ シングルママの気まま日記: 母の死と生い立ちの秘密 2

○ 母の死 - 自己満足ブログ - 楽天ブログ(Blog)

○ pippiのひとりごと。。。☆  もうひとつの母の日。。。☆

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○ 人生を楽しもう!三十路突入女の日記。:一周忌。

○ がはは社長の夢は夢にあらず!! | 母の死

○ 和尚のひとりごと | なぜ僧侶になったのか-2

○ モカのひとりごつ: 母の死

○ 母の日や 母に詫びたきこと幾つ: 突然の別れ

○ MGrider英国旧車乗りの日記 - 母の死

○ 数学と歴史: 母の死

○ So-net blog:パパの子育て・家事日記プラスα:母の死

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2006年11月 9日 (木)

フラガール

 白石まみ李相日 共著フラガールメディアファクトリー ,2006)という本を読みました。常磐炭田 最後の炭鉱・常磐炭礦(現・常磐興産 ,公式WEBサイトは常磐興産公式WEBサイト )が閉山対策として常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ(Spa Resort Hawaiians 通称:SRH) ,公式WEBサイトはスパリゾートハワイアンズ公式WEBサイト楽天トラベル ではいわき湯本温泉 スパリゾートハワイアンズ )を設立した際の実話に基づいた2006年公開映画フラガール (公式WEBサイトは映画『フラガール』オフィシャルサイト )のノベライズ本です。スパリゾートハワイアンズいわき湯本温泉 にある温泉リゾート施設です。

 私は1999年~2002年に経済産業省(元・通産省こと通商産業省) 傘下の特殊法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(略称:NEDO[ネド]) 」(当時。現・独立行政法人 )に社外出向して国の石炭 政策(石炭 に関するエネルギー政策[兼]産業政策)に従事し、国内最後の大手坑道掘り炭鉱の閉山に立ち会い、閉山に伴う炭鉱離職者の大量の「行き場の無い失業」にショックを受けました。このトラウマが元になって、経営学徒としては共著:宮崎正康 地域研究会編著『IT活用で地域が変わる 地域活性化・危機管理』(ぎょうせい,2005年3月) 内拙担当章「第1章  地域産業の振興とIT」などの地域産業振興に研究テーマが変わったり、アララギ 後継誌(後継短歌結社)『短歌21世紀 』所属のアララギ 歌人としては平成14年短歌現代新人賞次席入選作品「閉山」 30首などの短歌を詠んだりしました。このような体験や経歴から炭鉱や閉山や(炭鉱会社による)「経営多角化や新規事業分野開拓による、地域の雇用の維持」には深い思い入れがあり、拙・別HP(ホームページ)「炭鉱マニア」HP も炭鉱への思いに基づいて設けたWEBサイトです。

 このような私にとっては、元々、炭鉱や地域産業振興には他人事ではなく業務や研究で向き合っていたため、本『フラガールは非常に感情移入し易い本であり、涙抜きには読めない本でした。「行き場の無い大量失業の発生を防げなかった」という拙体験は行政実務担当者としては「敗北」を意味するものだと思っており、閉山や、また炭鉱会社新規事業分野の事業失敗の報告を受ける度に打ちのめされたあの日々の記憶がまざまざと甦って参ります。常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)は炭鉱会社による新規事業分野事業成績としては数少ない成功例の一つでありますので、大量の失業者発生を防げなかった、自分が担当した北海道釧路市の太平洋炭礦 や長崎県の離島にあった池島炭鉱 に比べれば一定の雇用を地域に残せて良かったな、と思う反面、ヒトは現・業務に対する「思い」や「誇り」故になかなか転身できない生き物であるのて、本『フラガール 』のエピソードにも語られる人々の様々な「思い」が、ひしひしと伝わって来る、とても胸が痛くなるような感動を覚えた本でした。正に、拙歌平成14年短歌現代新人賞次席入選作品「閉山」 30首を詠んだ時の思いが再び込み上げてくる思いがいたしました。一言で申せば、涙が止まらなくなるストーリーです。

 唯一残念だったのは、我が現赴任地・鹿児島 では映画『フラガール』 が上映されていない模様だということです。鹿児島 は人口60万の大都市であり第2の故郷と化して大好きなのですが、「見たいのに上映されていない映画があったりする」状況は、ちょっとした大都市でも本格的な巨大都市には「享受できるサービスの品揃え」の点では叶わないということを意味するので、鹿児島 市民としては若干悔しい思いがしたりいたします。まぁ、映画『フラガール』 DVDが出たら買おうかと思っております。映画『フラガール』 上映地域の方には是非とも見ていただきたいお薦めの映画なのではないか、と思っております(見た訳ではないので偉そうなことは言えませんが)。


◎ 映画『フラガール』関連公式系サイト,Goods,or 宿泊予約サイト
・ 映画『フラガール』オフィシャルサイト( http://www.hula-girl.jp/ )
・ 映画『フラガール』公式ブログ( http://blog.excite.co.jp/hula-girl/ )
・ 映画『フラガール』を応援する会( http://www.iwaki-fc.jp/hulagirl/ )
・ ノベライズ本『フラガール(powered by 楽天ブックス
・ フラガール」オリジナル・サウンドトラック CD(powered by 楽天ブックス
・ いわき湯本温泉 スパリゾートハワイアンズ (powered by 楽天トラベル
・ スパリゾートハワイアンズ以外のいわき湯本温泉など浜通り(いわき・原町・相馬)の温泉宿一覧(宿泊予約可能)  (powered by 楽天トラベル
・ スパリゾートハワイアンズ以外の浜通り(いわき・原町・相馬)宿泊施設一覧(空室検索&宿泊予約可能) (powered by 楽天トラベル
・ 【温泉天国・鹿児島温泉紹介!】スパリゾートハワイアンズ入湯記
・ 常磐興産公式WEBサイト
・ 【温泉天国・鹿児島温泉紹介!】いわき市石炭化石館 ほるる訪問記
・ 常磐炭田ネットワーク


◎ 拙ブログ内の他の記事
○ フラガールDVDで見ました。


◎ 拙・炭鉱&地域産業振興関係のWEBサイト or 拙個人公式WEBサイト「Noblesse Oblige カミタクの部屋 」内の関連する個別サブ・ページ
・ 「炭鉱マニア」WEBサイト
・ 「Noblesse Oblige カミタクの部屋 」掲載の「平成14年短歌現代新人賞次席入選作品「閉山」 30首
・ 「Noblesse Oblige カミタクの部屋 」内の「学術研究の部屋 」(地域産業振興に関する拙・研究業績が紹介されています)
・ 「Noblesse Oblige カミタクの部屋 」内の「神山卓也による起業家のための産業振興,地域振興,産学連携,TLO,起業支援,中小企業支援リンク集


◎ 映画『フラガール』 に関する他のブログ記事
・ フラガール - INDY500 【 みんカラ 】 ブログ
・ 気まぐれ961部隊! ― フラガール
・ フラガール|日っ歩~美味しいもの、映画、子育て...の日々~
・ たぴろぐ―フラガール
・ 356/1日の些細な出来事: フラガール
・ 笑う龍:フラガール
・ BLACK&WHITE  フラガール
・ ひらりん的映画ブログ ★「フラガール」
・ ナナシ的エンタメすたいるNet: 「フラガール」
・ 京の昼寝~♪ 『フラガール』

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2006年11月 8日 (水)

ホテルニューグランド訪問記

☆ 「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録

 ホテルニューグランド訪問記(2006年10月ページ新設。詳しくはリンク先ご参照。)

◎ 鹿児島県の温泉宿は「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」鹿児島県内温泉宿宿泊予約画面 を、横浜のホテルは同・横浜観光案内・ホテルをご参照。

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◎ その他、当期時筆者運営のページ,著作(共著)など

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

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「ブリーズベイホテル RESORT & SPA(リゾート&スパ)」&「リゾートカプセル桜木町」入湯記

☆ 「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録

 「ブリーズベイホテル RESORT & SPA(リゾート&スパ)」&「リゾートカプセル桜木町」入湯記(2006年11月ページ新設。詳しくはリンク先ご参照。)

◎ 鹿児島県の温泉宿は「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」鹿児島県内温泉宿宿泊予約画面 を、横浜のホテルは同・横浜観光案内・ホテルをご参照。

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横浜伊勢佐木町ワシントンホテル訪問記

☆ 「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録

 横浜伊勢佐木町ワシントンホテル訪問記(2006年11月ページ新設。詳しくはリンク先ご参照。)

◎ 鹿児島県の温泉宿は「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」鹿児島県内温泉宿宿泊予約画面 を、横浜のホテルは同・横浜観光案内・ホテルをご参照。

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横浜ランドマークタワー&横浜ロイヤルパークホテル訪問記

☆ 「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録

 横浜ランドマークタワー&横浜ロイヤルパークホテル訪問記(2006年11月ページ新設。詳しくはリンク先ご参照。)

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