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2006年11月19日 (日)

母の死・その2

 過去の日記と一部重複する内容がありますが・・・過日の日記や拙ブログ記事
http://kamitaku.cocolog-nifty.com/rock/2006/11/post_77de.html
で述べたとおり、2006年11月11日に母が死にました。弔辞をいただいた方、葬儀に来て下さった方、等々、誠にありがとうございます。この場では「半径3メートル以内に止まるだけの記事」は務めて避けてきたつもりですが、やはり母の死は精神的にショックでしたので、ついつい買いてしまいます。

 母の病気はもやもや病という難病で、母の場合平たく申せば「生まれつき、脳に動脈が無く毛細血管のみ」という状態で、細い毛細血管を大きな赤血球が無理矢理通る結果、見た目の症状としては、血管が損傷すれば脳溢血(脳出血)、赤血球が血管の細さに「敗れて」固まれば脳梗塞になります。母が最初に脳溢血で倒れたのは私が高校時代の1979年で、以来四半世紀以上の長きに渡って、時折脳溢血で倒れて入院してはリハビリで復活することを繰り返して参りました。かつての母の主治医によればもやもや病患者は長生きする症例は少ないとの由で、母は奇跡的に長生きできた症例なのだそうです。脳細胞は壊れても新たに「結合し直して、新回路を形成する」ことが可能なので、恐らくは脳出血で脳細胞が壊れてもしぶとく再生していたものと推測します。昨年2005年12月11日にどデカい脳溢血で倒れて、何とか2006年1月11日に退院したものの、この時には脳の損傷が再生能力を上回っていて「かつては上手だった料理が作れなくなっていたり、すぐに体が疲れる状況」で在宅看護ステーションの方の手伝いでリハビリを繰り返していたりしたのですが、1006年6月19日に最後の脳梗塞の脳発作を起こして以来、「意識はあって目は開いているが、体は動かず、言語機能を喪失する、『意識だけはある植物人間』」状態となり、同時に脳は全身の司令塔であることもあり徐々に体が衰弱していきました。なまじ意識があるので、11月11日に死ぬまでの母は相当辛かったことと推測します。それまでの脳溢血(脳出血)と脳梗塞とは、見た目の現象は真逆なのですが、「細い毛細血管を赤血球が通ることに起因する」という元々の原因は同一であり、「見た目の現象が一見逆でも、実は単に鏡の裏表であるに過ぎない同じこと」になります。

 末期の母は、父が在宅医療で必死になって世話していたのですが、「昨年12月11日の発作以来脳が損傷する度合いが加速度的にひどくなり、脳の再生が追いつかなくなったと推測される」状況でなす術もなく、とうとう死に至りました。10月に肺炎を併発し、「人に有効な栄養は雑菌にも有効であるため、肺炎を叩くには栄養を断つ必要があることから抗生物質を投与する傍ら最低限の糖分を投与する」か、でもそうすれば宿主たる母の体も衰弱するため、肺炎を叩いた後で本格的に栄養を投与して体力が復活するのが間に合うかどうか、という「肺炎死か衰弱死か、その間の隙間の生を狙うイチかバチか」の賭けをせざるを得ない状況に陥り、この際どく狭いストライク・ゾーンを在宅医療の主治医が狙って下さった模様なのですが、ストライク・ゾーンが余りにも狭過ぎて肺炎を叩いた後の体力が回復しなかった模様であり、2006年11月11日に死に至りました。死ぬ一週間前の11月の3~5日の三連休に横浜 に帰省した時には、肺炎が治って熱が下がり、喜んで鹿児島 に帰ったのですが、わずかその一週間後に状況は暗転しました。鹿児島から横浜 は物理的だけでなく経済的にも遠いので、体調が戻ったので安心して11月11日(土)の終末は帰省せずに自宅待機していたらその日に死なれてしまい、死に目には会えませんでした。父によれば、「ろうそくが消える前の最後の輝き」だったのではないかとの由です。

 在宅医療の主治医、訪問看護ステーションの方々、訪問介護サービスの方々には母が生前お世話になり、遠く鹿児島 にいて、かつ業務の都合などで「帰りたくても帰れない」状況が多かった私は、この場をお借りして心から感謝申し上げます。この「なかなか帰れなかった」状況はとても悔やまれ、母に申し訳ないと思うと同時に、それでも死ぬ直前ながら生前の10月に3回帰省できて良かったと思います。

 母が死ぬ直前10月に3度帰省した際には、狭い実家の拙部屋を母の医療用ベッドが占拠していて家に寝るスペースが無かったのでホテル泊まりだったのですが、たとえ息をしてくれているだけでも構わないから母が生きていてくれるなら、ずっと「帰省時ホテル泊まり」でも構わないから生きていて欲しかったと思います。

 昨年2005年5月には拙赴任地・鹿児島 に両親が遊びに来てくれて、うれしかったのが遠い昔のようでもあり、昨日のようでもあります。その頃まではまだ元気だったのですが、上述2005年12月の発作以来、坂道を転げ落ちるように加速度的に病状が悪化した訳です。あと1年少々元気なまま生きていてくれたら、金婚式を迎える筈でした。父によれば「自称・両濡れ落ち葉」と自嘲する程「いつも一緒」の仲の良い夫婦でしたので、父はすっかり精神的に参ってしまっており、「母が父を連れて行ってしまわないか」子供としては心配です。2005年12月の発作で倒れるまでは母は「来年(=つまり今年・2006年)にはもう一度鹿児島 に行って、前回行けなかった桜島 に行く」のを楽しみにはしゃいでいたそうですが、母を拙赴任地・鹿児島 に呼んであげることは叶わないまま逝ってしまいました。

 「もやもや病」は先述のとおり一般には発病したら長くはない病気の模様ですので四半世紀以上頑張れたのは奇跡なのですが、もっともっと長生きして欲しかったので、「病気の割には長生きした」では悲しすぎるのが子供としてのやりきれなさです。父は、「もやもや病が憎い」と言っていました。

 母が焼かれる時には、火葬が遺族にとってこんなに酷いものだと初めて実感しました。大好きだった母が焼かれて骨になってしまう。熱かっただろう。熱かっただろう。嘘でもいいから蘇生して目を開けて飛び起きて逃げ出して来て欲しい、と心から思いました。父は、「俺も一緒に焼いて欲しかった」と泣いていました。遺骨は余りにも軽くて軽くて、遺骨を持った時悲しくてたまりませんでした。母が楽しみにしていた鹿児島再訪が叶わなかったので、鹿児島 市観光課発行の桜島も含む鹿児島温泉(鹿児島市内温泉) の観光パンフレットを一緒に燃やしてあげました。次回桜島に行く機会があったら、母の写真を持って行って、母の霊に桜島 を見せてあげたいと思います。

 母を呼ぶことができた鹿児島 の街の至る所に、また、思い出が多い故郷・横浜 の至る所に母の思い出が満ち溢れていて、実家にいても鹿児島に戻ってもせつなく辛いです。

 ふられ続けた「もてない族」代表の私としては、孫の顔を見せてあげられなかったことを母に申し訳なく思います。「結婚しない男」ではなく「結婚できない男(厳密には、愛しい人から選んで貰えない男)」ですので、この歳まで独身なのは本意ではありません。

 私が高校の頃、私のために頑張って私が大学を出るまでなんとか生きていたいと言っていた母が、私の大学卒業後20年弱生きていてくれて楽しい思い出をたくさん残してくれたのはありがたかったのですが、「もやもや病」さえ無ければもっと長生きしてくれたのに、と思うと残念です。

 幽霊でもいいからもう一度会いたい。母と行ったことのある場所ではどこでも、その時の姿のまま母がいるような錯覚に襲われます。会いたい。本当に心から会いたい。前赴任地も含めて、もっともっと帰省しておけば良かった(首都圏に住んでいた頃でも、正月とGW位にしか帰省していなかったので)。「家族3人で行った家族旅行楽しかったね、母さん」・・・もう一度家族旅行したかった(今年鹿児島 に来てくれるんじゃなかったの?)。こんなに親不孝な子供だったのに、母はいつでも優しかった・・・。悪い夢なら覚めて欲しい。「母が治ったのではなく、母が死んだ」ために母の医療用ベッドが無くなったので、「ホテル泊まりから開放されて自宅で寝られるようになった」ことがせつなく悲しい。実家で目が覚めたら母の遺影があった・・・いつもなら母が起こしてくれたのに。ああ、たまらなく切なく辛いです。

 


◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 死に近き母

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

等々です。上述以外の、2007年の父の死や2006年11月の母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

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コメント

ちょっとちょっとちょっと!

 最近「トラックバック・スパム」とも言うべきスパムが増えてきたので独断と偏見でトラックバック削除をしている場合がありますが・・・マナーの悪さが腹にすえかねているので、特に2点、文句を言いたいと思います。

1.リンクも張らずにトラックバックすんじゃねぇー!!
<解説>
 トラックバックとは本来リンク通知のための機能ですので、まずは自記事からリンクを張った上でトラックバックを行うのがマナーというもんです。それをせずにトラックバックするなどスパム以外の何物でもありません。マナーに疎いブログ初心者と思われる場合には「しょうがねぇや」と思う場合もありますが、リンク先サイトのコンテンツ上明らかにスパム行為として行っていると断じざるを得ない場合、即刻スパム削除いたします。悪しからず。

2.ちったぁ記事を選びやがれ!。それがデリカシーというもんだろうが!!。
<解説>
 例えば当記事「母の死・その2」に旅行ブログからのトラックバックが結構ありますが、遺族たる私の気持ちに対する配慮が全く感じられません。旅行ブログならば当ブログ内の旅行関係の記事にトラックバックするとか、少しはトラックバック先ブログ(この場合、当ブログ)ブロガーの気持ちを察して、適切な記事にトラックバックしていただきたいものです。なお、このようなトラックバックの場合大抵は元ブログにリンクが無く、↑のトラックバック・スパム・ブログと重複いたします。まぁ、スパム行為を平気で行える輩ですから、モラルが無いのも当然と言えば当然なのですが、べらぼうにムカつきますよね。

投稿: カミタク | 2006年11月23日 (木) 01時23分

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