母の死
某SNSの書き込みと同じ内容で恐縮ですが...。
昨夜(2006/11/11(土))、横浜 の実家の母がとうとう死にました。死に目には残念ながら会えませんでした。母は元々脳の血管が細いという体質故に脳溢血になり易く、四半世紀の間「脳溢血で倒れては、リハビリをして復活する」ということを繰り返していたのですが、今年(2006年)6月に「脳溢血と脳梗塞の併発(注)」で倒れて以来、寝たきりになり、かつこの最後の発作で脳の言語機能に障害が生じて「意識はあるがコミュニケーション取れず、寝たきり故に動けず、目は明くとは申せ植物人間同様の状態」が続いていました。自力で食えないので点滴や胃ろう で栄養補給していたのですが限界もあり、肺炎が契機となり体全体が弱って力尽きて、とうとう死に至りました。
(注)脳の血管から血が溢れる脳溢血と血が詰まる脳梗塞は現象的には真逆の現象ですが、「細い毛細血管を大きな赤血球が通る体質(医学的には俗称ではなく正式名称で「もやもや病」という状況です)」故に、元々の原因は同一です。
11月最初の3連休(2006/11/03(祝・金)~11/05(日))に帰省した時に、その前にかかっていた肺炎が治り体調が或る程度復活していたので安心して今週末(11/11(土))に帰省していなかったら容態が急変してしまいました。こんなことなら、今週末も帰省しておけば良かった、そしたら死に目に会えたのに・・・と後悔先に立たずで無念です。
現赴任地の鹿児島 は大好きな第2の故郷になっているのですが、このような時に第1の故郷・横浜からはやはり遠いです。物理的距離だけでなく、経済的にも。
母の死を知った時点で夜の航空機には間に合わなかったので、翌日(本日記執筆時点で今朝・2006/11/12(日))朝1の便で羽田に向かう予定なのですが、鹿児島空港は鹿児島の空港というよりもほとんど霧島空港ではないか、というくらい霧島 に近いので(実際、市町村合併で所在地が霧島市になっちゃったし)鹿児島市 から遠いこともあり、8:00の便に乗るには6時ぐらいの空港行きバスに乗らなければ間に合わず、逆算すれば5:00には起きていなければなりません。
準備をしていたり、悲しみにくれている内に夜遅くなってしまったので、今寝たら5:00には起きられないと思い「徹夜しよう!」と覚悟した結果、こんな時間に日記を書いております。
親子二代の転勤族だった我が家はいろんな所に思い出があるので、これまで住んだ所や一緒に行った場所をGoogle Map で見ている内に、涙が止まらなくなりました。今思えば、昨年2005年5月、まだ母が動ける内に両親を鹿児島に呼んであげて良かったと思いますし、それが最後の家族旅行になりました。昨年母は父に、「来年(つまり今年、2006年)もう一度鹿児島に行って桜島 を見るんだ」と言っていたので、「嘘つき!。鹿児島にもう一度来てくれるんじゃなかったの?。一緒に桜島に行くんじゃなかったの?。」と言いたいです。鹿児島には素敵な観光スポットが多いので、たくさんいい所に連れて行ってあげたかったのに。
結構厳しい母だったので、生前は怖い思い出や嫌なこともあったのですが、今心に浮かんで来るのは優しかった母の思い出や楽しい思い出ばかりです。私自身はと申せば、お世辞にも親孝行な子供ではなかったので、月並みな言い方ではありますが「親孝行したい時に親は無し」と思っています。もっともっと、尽くしてあげれば良かった・・・。悲しいだけでなく、悔やむことが多いです。
今でも、横浜に帰れば母が生きていて迎えてくれるんじゃないか、とか、今まで住んだそれぞれの街にはまだそこに我が家があって、帰れば(現役時代の)両親がいるんじゃないか、とかいう錯覚に襲われます。でも、そんなことはあり得ないし、もう母はこの世にいない。生ある者いつかは必ず死ぬのが定めとは申せ、やはり、とても辛く切なく悲しいです。
◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事
○ 死に近き母
○ 母の死
○ 母の死・その2
○ 母の葬儀&墓地
○ 母の納骨
○ 母を偲ぶ拙歌9首
○ 母のいない正月
○ 母の夢を見ました
○ 母の墓参り
等々です。上述以外の、2007年の父の死や2006年11月の母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。
◎ 母の死をテーマにした、他のブログの記事 or 日記
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