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2006年12月31日 (日)

めぐみ-引き裂かれた家族の30年 見てきました。

 映画めぐみ-引き裂かれた家族の30年を見てきました。鹿児島 ではアミュプラザ鹿児島鹿児島ミッテ10(リンク先はT-JOY) でやっていました。先週の記事「硫黄島からの手紙 鹿児島ミッテ10とTOHOシネマズ与次郎でやってます 」でお伝えしたように先週見逃したのですが、今週もやっていたので見られました。

 内容はドキュメンタリー映画でした。私は、横田めぐみさんの1つ年上で事件の1年前まで新潟 に住んでいたことがあり、丁度めぐみさんの通っていた中学の通り1本隔てて隣の中学にいたことから事件現場は身近な場所でした。北朝鮮による日本人拉致問題 は「自分だったら」と思うか「他人事」と思うかで思いが全く異なるのでしょうが、このような経緯からとても他人事とは思えません。現居住地・鹿児島 でも市川修一さんと増元るみ子さんとが拉致されており、鹿児島新潟 と、私にとってはかけがえのない第2の故郷2箇所を、異常国家の工作員に土足で踏みにじられた上に日本人が不条理な拉致にあったのだと思うと、許せないと思うと同時に、その方々のことを考えただけで涙が止まらなくなります。鹿児島ミッテ10(リンク先はT-JOY) では、当初は今週末は上映予定ではなかったのですが、事件の現場を抱えるで鹿児島 は問題意識がある方が多くて一定の観客が多いため、可能な限り上映期間を延ばす方針との由です。小スペースのブースで1日1回上映だったのですが、シネマコンプレックス の運営システムでは動的に部屋と時間をアサイン(割り当て)可能なようにお見受けしたので、このように「質は高いが商業的ではない映画(ただし、極端に商売にならない訳でもない程度)」の上映には以外と、シネマコンプレックス は良いのかも知れません。

 私は、今では解散した旧・北朝鮮に拉致された人達を救出するインターネットの会(略称「救う会ネット」,リンク先はアーカイブ) 設立賛同人の1人としてかつて多少なりとも救う会の運動の一端に連なっておりました。当時はそもそも「本当に拉致があったのか?」自体が疑われたり政府が冷淡だった「誰も見向きもしてくれなかった」頃なので情宣のためにお手伝いしたつもりですが、今では国民周知の話となったので、「他の人が動くようになったらカナリア(注)役は不要だろう」ということで2002年頃以降、多少離れております。
(注) カナリアはかつて鉱山で、有毒ガス発生時に人間よりも先に弱ることから「有毒ガス発生事故」未然防止検知器代わりに坑道に持ち込まれていました。このため、ヒトよりも先にリスクを検知して知らせる役回りのことを「カナリア役」と呼びます。

 でも、最近母を亡くした 私としては、横田めぐみさんが同世代であることから、ご両親の横田滋さん・早紀江さんご夫妻がご存命の内に再開させてあげるためには時間がない、と改めて思い直しました。もちろん他の未帰国の拉致被害者の方々も同様です。実際、拉致被害者の方でも地村保志さんが帰国した際にはお母様・と志子さんはお亡くなりになった後でしたし、未帰国の方の内、鹿児島 の被害者・増元るみ子さんのお父様・正一さんも娘に会えずにお亡くなりになってしまいました。私が旧・救う会ネットに参加していた、拉致の事実が一般には認められていなかった頃から既に、救う会の方々や、私のようなその賛同者は家族の方々の高齢化を心配して「生きている内に会えるようにしてあげたい」と思っていたのですが、既に何人かはその願いが空しくなってしまった訳です。映画でもその状況が写されていました。特に、映画の中に映し出されていた地村保志さんのお母様は寝たきり状況だったので、母が脳梗塞の発作後死ぬまでの5ヶ月間言葉も運動機能も失い寝たきりだった私にとっては、その情景は母と重なってしまい、涙抜きには見られないものでした。

 最愛の家族と理不尽に引き離され、会えないまま死んでいった方々を思うと最近母を亡くした 私としては、思わず涙が止まりませんでした。拉致が頻発した1970年代後半以降も私は父母と楽しい思い出を残すことができましたが、拉致被害者の方々はそのような家族の団らんや思い出を作る機会が得られなかったのです。なんとか家族の方が生きている内に帰国が間に合って欲しい、切実に心からそう思いました。映画終了後しばらくは涙が止まらず立てなくなる、めぐみ-引き裂かれた家族の30年はそのような映画です。1人でも多くの方に見ていただきたい映画です。

◎ 拉致された日本人を救う会など救出関係団体(一部ですが)

○ 救う会:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

○ 北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会(救う会神奈川)

○ 北朝鮮に拉致された日本人を救出する滋賀の会(救う会滋賀)

○ 北朝鮮に拉致された日本人を救う福岡の会

○ 北朝鮮に拉致された日本人を救う鹿児島の会

○ 北朝鮮に拉致された日本人を救出する市民ネットワーク R-NET

○ 特定失踪者問題調査会

○ 増元照明ウェブサイト

○ その他については、北朝鮮による日本人拉致問題(ウィキペディア)「Noblesse Oblige カミタクの部屋」内の「政策関係リンク集」 ご参照。

◎ この映画についての他ブログの記事

○ YUUの見聞録:『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』 - livedoor Blog(ブログ)

○ こちら編集ブログ- livedoor Blog(ブログ):『めぐみ - 引き裂かれた家族の30年』

○ 『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』作品情報@CINEMA COMIN'SOON

○ めぐみ-引き裂かれた家族の30年|★試写会中毒★

○ 新型そうだちゃんなダイアリー | 映画「めぐみ 引き裂かれた家族の30年 」を観てきた

○ 国民必見の映画『めぐみ引き裂かれた家族の30年』-涼風庵(iza版):イザ!

○ ウカツな日々: めぐみ 引き裂かれた家族の30年

○ 元・副会長のCinema Days 「めぐみ 引き裂かれた家族の30年」

○ 丸い石と白いものさし めぐみ 引き裂かれた家族の30年

○ So-net blog:如意宝珠:めぐみ/試写会

○ 映像と音は言葉にできないけれど: 『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』

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2006年12月30日 (土)

母を偲ぶ拙歌9首

 拙個人公式WEBサイトNoblesse Oblige カミタクの部屋内の短歌の部屋内の「平成18年短歌作品 」に、アララギ後継誌短歌21世紀2007年1月号に掲載された母の死 を悲しむ拙歌6歌と、落選非掲載歌中どうしても思いがあって消せない拙歌3首、併せて9首の拙歌を以下のとおり載せておきます。

○ ずつとずつと暖かなりし母の額我が着きし時既に冷たし

○ 遺体とはいへども形のある母とこの家にゐ得る最後の夜なり

○ あと二時間あと一時間母の遺体が我が家を出(い)で行く時近づくも (落選非掲載歌)

○ お母さん嘘でもいいから目を開けて焼かれてしまふ前に逃げてよ (落選非掲載歌)

○ 子守歌歌ひてくれしのど仏はかくも小さき骨になりたり

○ 暖かつた手はどこだらうばらばらの骨からは既に知る術も無し

○ 母の遺骨を持たせて貰へばこんなにも軽くなりたりこんなにも軽く

○ 一緒に俺も焼いて欲しかつたと泣く父の傍らにをりなす術もなく  (落選非掲載歌)

○ お母さんねえお母さんお母さん呼べども呼べども今は答へず

 アララギ歌人でもある私は、斎藤茂吉 の歌集赤光の中の有名な連作「死にたまふ母」を最近つい読み返してしまいます。悲しくて悲しくてたまらないです。

 

◎ 斎藤茂吉 の『赤光』や、その中の連作「死にたまふ母」に関する別ブログの記事

○ あそびをせんとやうまれけむ。: 綺麗な死に方

○ 我侭勝手日記: 死にたまふ母

○ 外灯都市: 斎藤茂吉を読んでみる 1

○ 仙丈亭日乘 「青年茂吉 「赤光」「あらたま」時代」  北杜夫

○ やっつぁんの読書日記 斎藤茂吉ノート その1 『赤光』

○ 斉藤茂吉記念館、結城豊太郎記念館 - 今日も生涯の一日なり - 楽天ブログ(Blog)

○ 蛙からひょいと悟って書き習い 茂吉の「蛙」(1)

○ 素晴らしき哉、人生!:垂乳根(たらちね)の母 - livedoor Blog(ブログ)

 

◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 死に近き母

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

等々です。上述以外の、2007年の父の死や2006年11月の母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

 

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第4回NikiNiki懇親会参加しました。

 以下の書き込みは、後述のNikiNikiでの拙日記と重複しますがお許しを。

 鹿児島では、地元のTV局KTS が運営する地域SNS・NikiNiki があり、そこの懇親会に12月28日に行って来ました。かごしまブログ・リンク集「【さつまブロ】かごしまBlog集 」に参加して第2回【さつまブロ】交流会に行って 以来、地域の社外のお友達、特に地域のPRや振興に思いのあるお友達と知り合う機会ができてとてもうれしいです。私にとってNikiNikiでのお友達の多くは【さつまブロ】かごしまBlog集 と重複しているのですが、【さつまブロ】かごしまBlog集 参加ブログは、拙・温泉天国・鹿児島温泉紹介! 同様、鹿児島PRのブログですので。

 最近、拙HP・温泉天国・鹿児島温泉紹介! を利用しての、SEM(検索エンジン・マーケティング)による鹿児島PRの「地域のマーケティング」事例を拙担当章で紹介した拙・新刊共著『木の葉、売ります。ベンチャーに見る日本再生へのヒント 』 を出しましたので、行くまでは、ついでにこの『木の葉、売ります。 』 のPRをしたり、本業での所属保険会社で行っている「お車をお買い求めご希望の方に良いディーラーをご紹介申し上げる『車両情報紹介』サービス」の情宣 をドサグサに紛れてしちゃおうかなとか思っていたのですが、し漏らしました。ま、いいか。目的は皆様とお会いすることですからね。

 でも、常々、「鹿児島が大好きになっちゃったからこそ、うまくいっていない所に苛々ジリジリする点」が鹿児島のPR不足、マーケティング不足ですので、 「地域(鹿児島)を他県にPRする地域のマーケティング」の試みの1つの事例として、鹿児島PRに思いのある方にはこの拙・新刊共著『木の葉、売ります。ベンチャーに見る日本再生へのヒント 』 を一度読んでいただけると、拙個人よりはむしろ鹿児島のためにありがたいなぁ、と強く思います。

 まぁ、ついでに、お車お求めの方がおられたら(社有車も含む)、カー・ディーラーご訪問の事前にご一報いただき、上述「車両情報紹介サービス」でディー ラーを紹介させていただければ、買われる方は良い来るまで鹿児島ドライブを楽しめて地域のディーラーもお客様を紹介して貰えて「地域のみんながハッピーだ ぜぃ!」とか思ったりいたしますので、どなたかお車お求めの方がおられたら一声事前にかけていただければありがたいのですが...。

 何はともあれ、ここでのご縁はずーっと大切にしていきたいな、と思いました。まだ独身売れ残りの身としては、鹿児島に赴任していられる内に「出会い」が あれば、県外に転勤しても大好きな鹿児島に「妻の実家」として戻る機会を設け易いのでいいんだけどなぁー、とか思う今日この頃です。どこかに、こんな私でもいいという物好きな方いればありがたいのですが変な奴だけど悪い奴じゃないと思いますよ、私は(って悪い奴が自分で「悪い奴」と白状する訳ないけど)。

 なお、NikiNikiは、入り口ブログKTS-NikiNiki★えんとらんすでの管理人の方の紹介、などの手段で入会することができます。SNSと言えば最近mixi がブームで私も入会していますが、鹿児島の方にはNikiNikiもお薦めです。地域のSNSですが地域限定ではないので、他県の方で鹿児島ファンの方もどうぞ。

 

◎ 第4回NikiNiki懇親会に関する別・ブログ記事

○ KTS-NikiNiki★えんとらんす | NikiNiki懇親会やりましたっ

○ 日本一に輝いた鍋料理 - もものためいき - 楽天ブログ(Blog)

 

◎ その他、当記事ご参照HP,ページ

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

Konohaur_1

 

 

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2006年12月26日 (火)

LIMIT OF LOVE 海猿のDVDが出ました。

LIMIT OF LOVE 海猿

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

映画LIMIT OF LOVE 海猿のDVDが出ました。私はまだ買ってませんが、今度買おうと思います。全国の海猿ファンの皆様、お薦めですよ~!。


◎ 
映画LIMIT OF LOVE 海猿のDVD


○ 【楽天ブックス】 LIMIT OF LOVE 海猿 プレミアム・エディション

○ 【楽天ブックス】 LIMIT OF LOVE 海猿 スタンダード・エディション

◎ 当ブログ内の、海猿に関する記事

○ 「LIMIT OF LOVE 海猿」凄く良かったです

○ 海猿ロケ地展

○ 海猿ロケ地展行ってきました

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2006年12月25日 (月)

硫黄島からの手紙 鹿児島ミッテ10とTOHOシネマズ与次郎でやってます。

 映画硫黄島からの手紙 を見てきました。

温泉天国・鹿児島温泉紹介!


 2006年12月24日現在、鹿児島 ではアミュプラザ鹿児島鹿児島ミッテ10(リンク先はT-JOY) と、フレスポジャングルパークTOHOシネマズ与次郎 で上映しています(いつまでかはご各位にてご確認願います)。残念ながら天文館 から映画館が消えてしまったので天文館 派の私も映画を見るためには市内でも他の場所に行かなければいけません。

 本当は、今では解散した旧・北朝鮮に拉致された人達を救出するインターネットの会(略称「救う会ネット」,リンク先はアーカイブ) 設立賛同人の1人としてかつて多少なりとも救う会の運動の一端に連なっていた私としては、是非とも映画めぐみ-引き裂かれた家族の30年 を見たかったのですが上映時間に遅れてしまい、入れませんでした。次の週末にはめぐみ-引き裂かれた家族の30年 鹿児島ミッテ10(リンク先はT-JOY) ではやっていないので、悔しいけれど見逃しました。「誰も見向きもしてくれない」頃に「まだ少数派だからこそカナリア(注)役として」積極的に参加して、「拉致の事実を世間が認めるようになったため、俺が参加しなくても他の方が参加するだろう」と思い現在は一時参加休止している私ですが、新潟市で少年時代を過ごし、めぐみちゃんの1歳年上で事件の1年前転校するまで事件現場のすぐ近くの中学校に通っていた私としては、他人事とは思えない事件なので、今でも拉致された日本人を救う運動には深い支援姿勢を維持しております。ですから、この映画を見逃したというのは私の精神の弛緩の現れとして反省すべきことと思っております。まぁ、せめてもの罪滅ぼしにめぐみ-引き裂かれた家族の30年 のパンフレットを買ってきました。せめて、DVDが発売されたら買うことにいたす所存です。最近母を亡くした 私としては、拉致された方々のご家族が高齢となっている今日、家族がご存命の内に生還して欲しいと切に願いますし、不条理に引き裂かれた方々の思いは想像しただけで耐え難い痛みを感じます。
(注) カナリアはかつて鉱山で、有毒ガス発生時に人間よりも先に弱ることから「有毒ガス発生事故」未然防止検知器代わりに坑道に持ち込まれていました。このため、ヒトよりも先にリスクを検知して知らせる役回りのことを「カナリア役」と呼びます。

 

硫黄島からの手紙 も今冬必ず見ようと思っていた映画ですので、すぐ代用可能だった訳です。見逃しためぐみ-引き裂かれた家族の30年 であれ、見られた硫黄島からの手紙 であれ、最近母を亡くした 私としては、「家族への思い」や「家族の絆」という視点からも必見の映画でした。硫黄島からの手紙 を所感としては、ひたすら涙という感じで、小笠原兵団の活躍により生まれ故郷・東京 や第1の故郷・横浜 の空襲被害や「米軍による本土上陸意図」が少しでも軽減された旨と、敗れ始めて以来恐らくは唯一と言える「米軍側死傷者の方が多い善戦」に深く思いをいたすと共に、それを成し遂げるために尊い命を散らした約2万人の日本兵、それを上回る米国の死傷者の御霊に自ずから頭が下がる思いでした(注:米軍の場合には戦死者だけでなく負傷者も含む)。映画にもあったとおり日本の将兵は家族を少しでも守りたい、そのためには1日でも長く抵抗を続けることに意議があるとして過酷な洞窟戦を耐え抜いて死んでいった訳で、ここ第2の故郷・鹿児島知覧特攻平和会館 への思いも同様ですが、最近母を亡くした 私としてはひしひしと思いが胸にせまって参ります。家族を亡くした遺族の思い、国と家族を守るために命を捧げた将兵の思い、さぞや辛かったであろうと思います。

 外国映画でありながら日本人の所作に不自然な箇所が無いのは、クォリティの高さとして驚きでした。

 硫黄島の戦い太平洋戦争 末期の「島の防衛戦」では唯一「米軍の損害の方が日本軍より多かった」戦いだった訳で、それを成し遂げたのが東京 兵もいる部隊であること(注)は実は密かに東京 っ子でもある私としては誇りであると同時に、彼らの奮戦で彼らの願いどおりに首都圏への被害が少しでも遅れたり米軍の本土侵攻が遅れた意議に深い感謝を感じます。さらに、繰り返しになりますが家族を思いながら死んでいった将兵への深い追悼の念と、そんなに頑張ってくれても被害が甚大だった空襲や原爆の犠牲者を思う時、深い悲しみを感じざるを得ません。この映画硫黄島からの手紙 の人間ドラマ部分のテーマが正に「家族への思い」ですので、最近母を亡くした 私としては深く感情移入してしまう内容であり、またの東京 兵が戦った旨の情報や、映画の中で横浜 出身の将兵がいたりするシーンは、「東京 生まれのハマ っ子」としては「故郷に帰りたかっただろう」と思うと涙抜きには見られない映画でした。
(注)私の記憶では、当時は出身地で師団が結成されていた中で、確か東京,山梨,千葉の兵です。映画では大宮や横浜出身の将兵が登場していたので、埼玉と神奈川の部隊もいたのかも知れません。

 いずれにせよ、この映画は一見の価値がある映画です。

◎ この映画の関連HP

○ 映画硫黄島からの手紙 公式WEBサイト

○ 硫黄島協会

◎ この映画(&内容)に関係のある本(powered by 楽天ブックス

○ 硫黄島の星条旗(文春文庫)

○ 散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

○ 栗林忠道硫黄島(とう)からの手紙 

○ 栗林忠道 硫黄島の死闘を指揮した名将

○ キーワード「硫黄島」での本の検索結果

◎ 映画硫黄島からの手紙 を紹介する他のブログ記事

○ ブログ長者  硫黄島からの手紙

○ 或る日の出来事  「硫黄島からの手紙」

○ 鑑賞日記: 硫黄島からの手紙

○ けろにあ・みだすのつぶやき -  『硫黄島からの手紙』 -

○ ただただ記録  『硫黄島からの手紙』

○ 日々誰かの思ふ壺  硫黄島からの手紙の感想

○ 明け方シネマ:硫黄島からの手紙 - livedoor Blog(ブログ)

○ 株式日記と経済展望 クリント・イーストウッド監督 「硫黄島からの手紙」

○ えいがのススメ: 硫黄島からの手紙

○ FUN - 硫黄島からの手紙

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2006年12月23日 (土)

知覧武家屋敷群(「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録)

☆ 「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録

 知覧武家屋敷群訪問記(2006年12月ページ新設。詳しくはリンク先ご参照。)

◎ 鹿児島県の温泉宿は、「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」鹿児島県内温泉宿宿泊予約画面 ご参照。

 

◎ その他、当期時筆者運営のページ,著作(共著)など

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

Konohaur_1

 

 

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2006年12月19日 (火)

お母さん、会いたいよー

 母に会いたい。母に会いたい。お母さんに会いたい。

 幽霊でもいいから出て来て欲しい。夢の中でもいいから姿を見たい、声を聴きたい、話をしたい。父と私を置いていくなんて早過ぎる。

 あまりにも悲しくて、ずっとさぼっていた短歌を再開しました。拙歌を整理していたら、さぼる前の時点の最後の拙歌7首
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/TAN_H17.HTM#omoide
は、母が死ぬ1年半前(2005年5月)に両親が故郷・横浜 から拙赴任地・鹿児島 に遊びに来てくれた時でした。あの時、大好きな両親が来てくれてうれしかったし楽しかったのが、今から思えば夢のようです。鹿児島でいろいろな所に両親と遊びに行った のはとても楽しかった。あれから1年半しか過ぎていないのに、あの日はもう二度と戻って来ない・・・。

 いま、その時に詠んだ拙歌を読み返すと、とても悲しいです。

○ 大隅桜島かは分からねど海の向うに街の灯の見ゆ

○ 城山の温泉の名物焼酎の利き酒コーナーを父と楽しむ

○ 近頃は桜島見る度この街に故郷のごとき安らぎのあり

○ 鹿児島に来し両親にどこよりも見せたかりしこの尚古集成館

○ 仙巌園の灯籠は妖怪に似てゐると父と二人で楽しみてをり

○ 灯籠は田の神(たのかんさー)にも似てゐたり鹿児島固有の意匠かと思ふ

○ 余りにも悲しいからと知覧にて遺書を父は読み得ざりしか

 それが、(タイミング的には母が死ぬ 直前ですが、)再開時には、こんな内容
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/TAN_H18.HTM
になってしまっていました。

○ 死ぬ前の母に会ひたしと思へども鹿児島からは横浜は遠し

○ 死の床の母に会ひたし飛行機の速さも今の我にもどかし

○ あんなにもおしやべりだつた母なれど眼(まなこ)は開けど口は動かず

○ 子の我を知覚してゐる様子なしせめて眼(まなこ)の反応を見たし

○ 故郷(ふるさと)横浜は街の隅々に母の思ひ出が満ち満ちてをり

○ 太りてゐし母なり今は細々と骨皮だけの足になりたり

○ 去年(こぞ)の今日母と歌舞伎を見し思ひ出繰り返し繰り返し父は語りぬ

 今思えば、私が短歌を始めたのは同様に歌人だった父の影響ですが、短歌結社として1990(平成2)年にアララギ に入会したのは、学生時代にアララギ の五味保義の授業を受けていたという母の影響でした。1997(平成9)年のアララギ 終刊後、現在ではアララギ 後継誌(後継短歌結社)『短歌21世紀』 で歌道鍛錬に励むことになった私にとっては、自分の歌人としての道筋を導いてくれた影響として父と母の影響は極めて強いものがありました。

 両親とはいろんな所に遊びに行った思い出があり、楽しかったし今となってはせつないです。選歌が厳しかったアララギ に1990年に初めて掲載された私にとっては記念すべき第1首目

○ 大根の畑を濡らし雨が降るかつての武士の館跡の丘

は両親と一緒に花巻 に旅行して、戦国時代の我が遠祖の館跡を見に行った時のものでした。1992(平成4)年には両親と木曽路に行きました。

○ 病む母が歩ける内に来たしとて親子で木曽路の峠を越えぬ

○ 昔々桂小五郎も通りしと思ひつつ馬籠(マゴメ)の石畳踏む

 故郷・横浜 や母が好きだった鎌倉 にも、両親と一緒に行った思い出があります。

  ◎ 1999(平成11)年、ランドマーク・タワーにて

○ ランドマーク・タワーに登れば房総は峰々が分かるまでに明るし

○ 冬青きこの海見れば思ひ出づる新潟の海は灰色なりき

○ 幼きに見つつ育ちし日本海は冬の船出は思ひ難かりき

○ 日本海を見て育ち来しこの我に冬なほ青き東京湾眩し

○ 夕されば埠頭の対岸は地図に見る形そのまま明かり連なる

  ◎ 1999(平成11)年、鎌倉にて

○ 時宗公の廟所を拝めばこの国の来し方行く末かなしく思ほゆ

○ 木洩れ日に透くがごとくに黄緑の葉の揺れてをり淡々として

○ 円覚寺の茶屋に休めば目の前を灰色のリスが駈けて行きたり

○ 手を伸ばさば届かむばかりにすぐ近くリスとしばしを眼合ひたり

○ 新しき菓子リスサブレーを見つけたり鎌倉の加藤さんも知らないだらう

  ◎ 2004(平成16)年、鹿児島 に赴任する前に両親と横浜 の思い出多い行きつけのレストランに行った時

○ 行きつけのレストランのマスターが蜂蜜の缶一つくれたり

こうして拙歌を読み直してみても、両親との思い出がたくさん甦って来て、その中に母の笑顔が出て来ます。ああ、もう一度母に会いたい。幽霊でもいいから出て来て欲しい。死んじゃった なんて、思いたくないです。

◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 死に近き母

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

等々です。上述以外の、2007年の父の死や2006年11月の母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

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2006年12月17日 (日)

母の納骨

 早いもので2006年11月11日の母の死 から1月以上過ぎ、拙・赴任地・鹿児島 から実家のある横浜 に帰って12月15日に35日法要 を行い、母の納骨を行いました。省略されることも多い35日法要を行い49日の代わりに納骨してしまったのは、49日が12月晦日になるので参列者や菩提寺のご都合を考えてのことです。

 この1ヶ月間、横浜 の実家の父と私は、母の死から立ち直れないでいました。この間、遺骨としてだけでもせめて母は実家にいてくれたのですが、家を出る時には、「母がこの家を出る最後の時で、もう遺骨とはいえ形ある状況で帰って来ることはないんだ」と思うと悲しい思いがしました。いよいよ母を納骨し、祖父・祖母の骨壺と並べて母の骨壺を置いた時の心境は、言葉ではうまく言い表せないせつないものでした。

 骨壺を納める作業係の方が、(祖父・祖母の墓参りに行った頃の)生前の母を覚えていてくれていたのが、ありがたいと同時にとても悲しかったです。我が家の墓がある公園墓地は、1991年に両親と私とで探して見つけた気持ちの良い公園墓地で母が気に入っており、これまで父や母と共にこの墓地を見に来るのは「自分たちのお墓を作れたので一緒に見に行くんだ」という楽しいことだったのですが、これからはここに来る時には母は隣におらず、「母と霊園に行く」のではなく「母の墓に行く」ことになるのです。「母と」と「母の」とでは大違いで、とても寂しいことです。最後に母とここに来たのは、2002年に祖父の故郷・八戸 の墓を引き払って祖父・祖母の遺骨を横浜に移して祖母の一回忌を行った翌年、祖母の三回忌を行った2003年でした。あの頃、八戸 で定宿にしていた八戸第1ワシントンホテル に母と一緒に行ったり、この横浜 の公園墓地に母と共に行ったりしていたのが、今日から見れば夢のようです。これからは、母と共に墓参りに行くのではなく、母の墓参りにこの公園墓地に行くことになります。こんな日が来て欲しくなかった・・・今、切実にそう思います。



061216_0741000112月15日までは横浜 の実家に、せめて遺骨としてでもいてくれた母が、とうとうこの家から出ていってしまいます。母にとっても思い出多かったこの家に母の遺骨が戻って来ることは、もうありません。




Pc160368一番左が母の遺骨です。一番右側の小さな骨壺は幼児の頃に死んだ叔父(父の弟)の骨壺で、4年前(2002年)に八戸の墓を横浜に移す際に母が選んだものでした。当時母は、「かわいい図柄でしょ。大切に弔ってあげましょう」と言っていました。今では、そのような会話も思い出の中でしか聞けないものと化してしまいました。



061216_10550001母の遺骨を納めた骨壺は、とうとう墓石の下に納められてしまいました。さぞや暗かろう・・・と思うと胸が締め付けられるような思いになります。今まではこの墓に、母と墓参りに行っていたのに、これからは母の墓参りに行くことになります。




Pc160372一番左が母の戒名です。ここに母の戒名が刻まれる日が来てしまったのは、せつない程悲しいことです。







Photo_6かつては母と行っていた、横浜 の公園墓地の入り口。もう、ここに母と一緒に訪れることはありません。今までこの気持ちの良い公園墓地に母と行くのは、今では「二度と戻って来ない貴重な思い出になってしまいました




Pc160376かつては母と一緒に歩いた、横浜 の公園墓地までの道。もう、ここを母と一緒に歩くことはできません。




Pc170383私にとっては元気な頃の母との最後の思い出の場所になってしまった横浜プリンス・ホテル は、死に至るきっかけになった6月の母の脳梗塞の大発作後閉館してしまい、高台のホテルと写真左側のマンションとを結ぶ橋(ブリッジ)も撤去されてしまっていました。こうして、母との最後の思い出の場所が消えてしまうことは、とてもせつなく寂しいことです。



◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 死に近き母

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

等々です。上述以外の、2007年の父の死や2006年11月の母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

 

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2006年12月 9日 (土)

ご当地検定とは(鹿児島,横浜,東京,新潟,札幌,京都,長崎等)

 ご当地検定ては、各地の観光振興のために行われている地域の検定です。私も受けたかごしま検定 等、ご当地検定に関する情報を集めてみました。ブックマーク代わりにご利用いただけると思います。




◎ 第2の故郷・鹿児島

○ 当ブログ内の関連記事かごしま検定

○ 鹿児島商工会議所(かごしま検定[鹿児島観光・文化検定]主催団体)

○ 政策投資銀行南九州支店  ・ 情報発信(ミニレポート(鹿児島,宮崎))  ・ 「ご当地検定」と地域振興~これから発揮される「かごしま検定」の効果~(18年4月:PDF)

060601_23270001かごしま検定公式テキストブック







○ 鹿児島の観光案内については、「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」HP ご参照。

○ 福岡商工会議所九州観光マスター検定試験



◎ 第1の故郷・横浜

○ 横浜商工会議所かながわ検定
(かながわ検定については、日本商工会議所HPでもご当地検定「横浜ライセンス」来春実施へ として紹介されています。)



◎ 生まれ故郷・東京

○ (財)東京観光財団  ・ 東京シティガイド検定
(横断組織「東京シティガイドクラブ 」もあります。)

Edotokyo大江戸東京の歩き方 東京シティガイド検定公式テキスト










○ 江戸文化歴史検定



◎ 亡き母 や大好きな父と昔住んだり実家があった、上述以外の家族の思い出の場所

○ 長崎商工会議所  ・ 長崎歴史文化観光検定(通称:長崎検定)
(私は住んでいませんが、両親の新婚時代赴任地で、私事で恐縮ながらにとっては、亡き母 の思い出が残る場所の一つになっています。)

○ ニイガタ検定( 新潟市観光・文化検定)
(小2~中1まで、父の転勤で住んでました。)

○ 札幌商工会議所札幌シティガイド検定

○ 北海道観光マスター検定
(札幌は中2~中3まで住んでいて、寮のある高校受験をして国際基督教大学高等学校(International Chiristian University High School,略称:ICUHS or ICU高校) に入学して実家を出た後も、高2まで実家があった所です。私事で恐縮ですが私にとっては、にとっては、亡き母 と一緒に住んでいた最後の街です。)

○ 京都・観光文化検定試験  ~通称・京都検定~
(私が社会人になってから後、実家が父の転勤で京都府舞鶴市にあった頃、京都は両親の熟年デート・コースの場で、私事で恐縮ながらにとっては、亡き母 の思い出が残る場所の一つになっています。)

Kyotoken京都・観光文化検定試験改訂版(公式テキスト)












◎ その他、全国的な紹介HP

○ 日本商工会議所 観光振興ナビゲータ  ・ ご当地検定情報

○ 地域活性化ニュース・ブログ  ・ 【まちおこし】 : 「ご当地検定」がブームです

○ 御当地通(地域検定応援サイト)

○ ご当地検定・おもしろ検定・ユニーク資格に関する情報サイト:検定の森

○ 国土交通省:通訳案内業法及び外国人観光旅客の来訪地域の多様化の促進による国際観光の振興に関する法律の一部を改正する法律案について

○ 立命館大学校友会報『りつめい』戸祭達郎『ご当地検定 地域文化・歴史の伝承の新しいかたち』(立命館大学校友会報「りつめい」2006年1月号:PDF版)
同上・HTML版

○ 「ご当地検定」情報サイト・ご当地ですよ!

○ 四国観光検定
(我が母校・高知工科大学大学院起業家コース がある所です。)



◎ その他地域観光PRの本

Konohaur拙参加共著:高知工科大学大学院起業家コース著『木の葉、売ります。ベンチャーに見る日本再生へのヒント』((株)ケー・ユー・ティー発行,丸善(株)出版事業部発売)

私は、「第六章 ネットワークで行う地域マーケティング」で、SEM(検索エンジン・マーケティングを用いた鹿児島観光PR事例を紹介しております。)








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2006年12月 8日 (金)

知覧特攻平和会館(「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新情報)

☆ 「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録

 知覧特攻平和会館訪問記(2006年12月ページ新設。詳しくはリンク先ご参照。)

◎ 鹿児島県の温泉宿は、「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」鹿児島県内温泉宿宿泊予約画面 ご参照。

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高知工科大学大学院起業家コース著『木の葉、売ります。ベンチャーに見る日本再生へのヒント 』:拙新刊(共著)

母の死 からまだ立ち直れていない、カミタクこと神山卓也 です。

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 さて、拙・新刊が出たのでお伝えします。共著で、

○ 高知工科大学大学院起業家コース著『木の葉、売ります。ベンチャーに見る日本再生へのヒント 』((株)ケー・ユー・ティー発行,丸善発売,2006年12月10日)

です。楽天ブックスでも買うことができます 。私が現在後期博士課程学生として在籍しております、東京・大阪のサテライト・キャンパスでも学べる社会人向け土日開講大学院・高知工科大大学院起業家コース の学生と教員とでまとめたベンチャーやベンチャー支援の事例集です。経営学専門書ではなく「高校生でも分かる優しい本」として編集したので、肩が凝らずにお読みいただけることと思います。

 私は、「第六章 ネットワークで行う地域マーケティング」を担当しており、「かごしまマスター(かごしま検定こと鹿児島観光・文化検定[初級]合格者) 」として私が運営する、鹿児島の観光・温泉PRボランティア・サイト温泉天国・鹿児島温泉紹介! でのSEM(Search Engine Marketing:検索エンジン・マーケティング)の事例紹介をしております。この内容は「地域のマーケティング」の事例としてだけでなく、WEB2.0時代のインターネット動向について簡単におさらいするのにも適しています。

 

新エネルギー・産業技術総合開発機構(略称:NEDO) に出向して国の石炭政策に従事していた時に、国内最後の大手坑道掘り炭鉱の閉山 に直面して大量の失業発生を防げなかったことをトラウマとする私は、地域の雇用創出をモチベーションとして経営学での研究テーマを、後述の拙・共著『IT活用で地域が変わる 地域活性化・危機管理』 のように、産業クラスター論に基づく地域産業振興にシフトさせておりますが、今回の本の拙・担当章は特に、鹿児島の観光産業振興のための「地域のマーケティング」のSEM支援が内容になっております。

 なお、以下の拙・旧刊(いずれも共著 or 共訳)も、よろしくお願い申し上げます。

○ 共著:原田 保,涌田幸宏編著『デジタルストラテジー』(中央経済社,2000/07/14)

○ 共著:宮崎正康 地域研究会編著『IT活用で地域が変わる 地域活性化・危機管理』(ぎょうせい,2005年3月)

○ 共訳:チャールズ・I・ジョーンズ著,香西 泰監訳『経済成長理論入門 新古典派から内生的成長理論へ』(日本経済新聞社,1999)

○ 共訳:P.エドワーズ著,深谷庄一監訳『クローズド・ワールド コンピュータとアメリカの軍事戦略』(日本評論社,2003年4月)

 

 

◎ 当ブログ内の高知工科大学大学院起業家コースに関する日記

○ 高知工科大学大学院起業家コース著『木の葉、売ります。ベンチャーに見る日本再生へのヒント 』:拙新刊(共著)

○ 高知工科大大学院起業家コース集合セミナー

○ 博士の学位を貰えました。

 

 

◎ その他、当期時筆者運営のページ,著作(共著)など

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

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