ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ
昨年(2006年)5月に、閉館して今は無き横浜プリンス・ホテル のフラワー・プロムナード を見納めに行った時、母はまだ一時退院できて「或る程度元気」でした。私にとっては、横浜プリンス・ホテル のフラワー・プロムナードに一緒に行ったのが「リハビリ中とはいえど、歩けて、口がきける状態の母」との最後の思い出になったのですが、その帰省した際、私が幼児だった頃に母から貰ったピコピコ・サンダルの思い出話を母と話したことが何故か記憶に鮮明に残っています。
ピコピコ・サンダルとは、歩くと「ピコピコ」とかわいい音がするサンダルで、確か青い色をしていたと思います。子供だった私は母からそのサンダルを貰ったのがうれしくて、毎日それを履いて歩いていました。実は私がどこかに勝手に行ってしまって危ない目に遭わないように音で居場所を母が知るために買ったという経緯があり、昨年(2006年)の母に言わせれば、「それに気づいた途端に履かなくなったのよ」と言う訳ですが、履かなくなったことは覚えていないので、「そいつぁ覚えてねぇな。お母さんに買って貰ったというだけで、俺はうれしかったんだよ。お母さんが買ってくれたんじゃん、それだけでうれしかったことしか覚えていねぇぜ。」と言ったら母はうれしそうな顔をしていました。
何の変哲もない、第三者から見れば右でも左でもどうでも構わないたわいもない思い出話ですが、そのような話をできていたということ自体が、母を亡くした 今日では「もう二度と戻って来ない日々」になってしまいました。たわいもない会話ができる幸せ・・・でも、もうそれは二度と戻って来ない。もちろん、ましてや、母にピコピコ・サンダルを買って貰って喜んでいた子供の頃には戻れない。
そんなたわいもない何気ない日常会話ができるということが、いかに幸せなことだったのか、ということをしみじみと実感しています。くだらない話でもいい。もう一度母と話をしたい。母に会いたい。母の声を聴きたい。幽霊でもいいから出て来て欲しい・・・最近、そんなことを考える度に涙が流れて止まらなくなります。
まぁ、せめて、拙・赴任地である第2の故郷・鹿児島から第1の故郷・横浜の実家に帰省すれば母との思い出話を父とできる日々を大切にしようと思います。客観的に見ればこの日々もいつか「二度と戻って来ない」日々になってしまうのですから。子供の頃から自他共に認める「男の子には珍しいファザコンの、お父さんっ子」だった私は、母を亡くした だけでこんなに立ち直れない程悲しんでいる旨に鑑みれば、父まで亡くしてしまえば二度と立ち直れない程の悲しみに襲われてしまうでしょう。今は、仲の良かった父とはぐれて天国で寂しがっているであろう母には悪いけれど、打ちひしがれている父を連れて行ってしまわないように母にお願いしたいと思います。せめて父には、もっと長生きして欲しい、と思います。
あー...何はともあれ、もう一度母とピコピコ・サンダルの話をしたい。幽霊でもいいから私の前に現れて欲しい。
◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事
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○ 母の死・その2
○ 母の葬儀&墓地
○ 母の納骨
○ 母を偲ぶ拙歌9首
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○ 母の夢を見ました
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等々です。上述以外の、2007年の父の死や2006年11月の母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。
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