« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月28日 (火)

ついつい実家に電話してしまう

今日は私の誕生日です。
ついつい実家に電話してしまいます。昨2006年に母が死に、母が連れて行ってしまったかのように今月・2007年8月5日に父が死に、一人っ子独身売れ残りの独りぼっちの私ですので、実家に電話しても父も母も出てくれないと分かっているのに。頭では分かっているのに、心が両親の死をまだ受け入れられないでいます。
呼び鈴が何回鳴っても、もちろん、父も母も出てくれはしません。
お父さん、お母さん、寂しいよぉ。悲しいよぉ。なぜ私を残して天国に行ってしまったの?。嘘でもいいから昔のように電話に出てよ。お願いだから。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年8月27日 (月)

もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

 お父さん、お母さん、明日は僕の誕生日です。お母さんに続いてお父さんまで亡くなってしまったので、一人っ子売れ残り独身の僕にとっては、独りぼっちの誕生日です。お父さんとお母さんが僕をこの世に生み出してくれてから、四十四回目の誕生日です。

 何回妊娠してもすぐに流産してしまう体質のお母さんが、一所懸命に頑張って僕を産んでくれて、僕はこの世に出て来ることができました。子供の頃 にはみ出しっ子で教師の迫害を受けた時にも、動じることなくお父さんとお母さんは僕を守ってくれました。子供の頃、重い風邪にかかった時に、僕を負ぶって 医者に駆けつけてくれた時のお父さんの背中は、小柄な体格なのにとても大きく思えましたよ。幼い頃、お父さんとお母さんが毎晩歌ってくれた子守歌や唱歌や 童謡が大好きでした。

 東京の池上に住んでいた頃には本門寺で、札幌に住んでいた頃には大通り公園で、 鳩に餌をやる僕を嬉しそうにお母さんは眺めていたよね。きっと、今から思えば、優しい子に育って欲しい情操教育だったんだね。大きくなってから後でも、盛 岡駅のホームの電車の待ち時間に鳩に餌をやったり、水戸にいた頃や北海道にいた頃に白鳥が来る湖に行って白鳥に餌をやったりしたのは楽しかったです。

 勉強しろとは言われなかったけど、コンサートや美術館や博物館や動物園や水族館や植物園や旅行によく連れて行ってくれたり、ささやかな生活の中 ても結婚記念日には必ずフルコースのディナーを食べに連れて行ってくれたよね。きっと、今から思えば、点取り虫的なお勉強よりも、どこに出ても恥ずかしく ない教養を遊びの中から身に付けて欲しかったんだよね。いろんな所に連れて行って貰えて、ずっと、ずっと、楽しかったよ。

 大人になってから後も、いろんな所に一緒に行ったよね。最後の家族旅行になってしまった鹿児島旅行も、正月に毎年行った鎌倉鶴岡八幡宮の 初詣も、みんな、今となっては、かけがえのない宝物のような大切な思い出になっています。ずっと、ずっと、とても楽しかったよ。先にお母さんが死んでし まってから後でも、お父さんがまだ生きていてくれた約半年の間は、お母さんの思い出をお父さんと話す時間は親子にとっては、悲しいとは申せかけがえのない 時間でした。お父さんも死んでしまった今日、他に家族のいない僕は、お父さんやお母さんとの思い出を共有できる人がいなくてとても寂しいです。

 勉強しろとは言われなかったけど、僕の受験や進学は一所懸命に応援してくれたよね。あまり豊かとは言えない家計なのに、転勤に付いていききれなくて、東京レベルの高い私立の高校に行きたいなどという我が儘を許してくれたことに、今でも心から感謝しています。おかげさまで高校の寮生活楽しかったよ。今にして思えば、その代償として、大好きなお父さんやお母さんと一緒に暮らせたのは中学時代が最後になってしまったのですけど。

 お母さんが作ってくれた料理もおいしかったなぁ。東京會館で習った本格的な料理は最高でした。お母さんのロールキャベツやハンバーグやかれいの煮たものなど、あの味をもう二度と食べられないと思うと寂しいです。おはぎも市販のものよりもおいしくて、マドレーヌもよく一緒に作ったよね。

 お父さんもお母さんも死んでしまって、みんな、みんな、二度と戻って来ない、家族がまだ幸せだった頃の思い出になってしまいました。お父さんもお母さんも、まだ死ぬには早過ぎます。僕は、僕は、独りぼっちになってしまいました。

 あんなに優しかったお父さんとお母さんなのに、死ぬ時にそばにいてあげられず、親不孝な子供で、本当にごめんなさい。怒ってるかなぁ・・・。生 まれ変わりなどというものが本当にあるのかどうかは分からないけれど、もしも本当にあったら、またお父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいです か?。今度は親孝行な子供になるから、許していただけますか?。僕は、またお父さんとお母さんの子供になって、楽しい日々をもう一度過ごしたいです。生ま れ変わっても、お父さんとお母さんは絶対に巡り会って結婚して下さいね。そして、僕をもう一度産んで下さい。もう一度、生きていてくれるお父さんとお母さ んに会いたいです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

横浜の桜(過去の日記の転載)

070331_11560001








 古い日記で恐縮ですが、某SNSに載せていてブログに載せていなかった、2007年3月31日の日記を、以下のとおり転載します。父も死んでしまった今となっては、まだ父が生きていてくれた頃の日記であり、とてもせつない日記です。

==========

 母が死んで以来独り暮らしの父が心配で、横浜の実家に週末来てみました。
横浜ではもう桜が咲いています。一昨日時点では鹿児島甲突河畔ではまだ少ししか咲いていなかったのに、もっと寒い筈の横浜で咲いているのはなんか不思議です。
母が死んで、初めての春です。



◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ この時期は、母が死んでしまってから後も、2007年8月5日に父まで死んでしまったまでの間の、老父と共に母を偲んでいた時期の日記です。

○ 死に近き母

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ショック!大切なお酒が・・・(過去の日記の転載)

 古い日記で恐縮ですが、某SNSに載せていてブログに載せていなかった、2007年3月08日の日記を、以下のとおり転載します。父も死んでしまった今となっては、まだ父が生きていてくれた頃の日記であり、とてもせつない日記です。

==========

 昨年(2006年)に母を亡くして以来急速に力を無くして老け込んでいる、横浜の実家の父を放っておけなくて、今月末の週末に横浜に帰省する予定です。山形屋新潟展やってて、昔父の転勤で新潟に住んでいたこともある私は懐かしくて行ってみたら日本酒売ってました。私は芋焼酎大好きなのですが父は日本酒党で焼酎NGなので、横浜に持って行って父と一緒に飲もうと思って、新潟の酒・八海山(公式WEBサイトは八海山)を買って帰りました。

・・・そこまでは良かったのですが、家に帰って玄関で鍵を開けた瞬間、なんと落としてしまったのです!。目の前で落ちていく酒瓶を、どうすること もできずいる時間1秒未満・・・あっという間に瓶は割れてしまい、父と親子で晩酌するために買ったせっかくの八海山は無駄になってしまいました。

母が倒れて以来、多忙さもあり、赴任地・鹿児島からあまり横浜に帰れなかった私を父は「いざという時に助けてくれない息子」観で見始めていて親子の間に隙間風が吹き始め た今日この頃、自他共に認める「男の子には珍しいファザコン」の私は父との関係修復の目的もあり、一緒に飲むのが楽しみで買ったのに・・・お酒はどんどん玄関を流れて消えてしまいました。

あー・・・覆水盆に返らず・・・もう手遅れです。とても悲しい出来事でした。



◎ 母の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ この時期は、母が死んでしまってから後も、2007年8月5日に父まで死んでしまったまでの間の、老父と共に母を偲んでいた時期の日記です。

○ 死に近き母

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

死に近き母(過去の日記の転載)

 古い日記で恐縮ですが、某SNSに載せていてブログに載せていなかった、昨2006年10月24日の日記を、以下のとおり転載します。母が死んで、落胆のあまり心身共に衰弱して後を追うようにして数ヶ月後に父も死んでしまった今となっては、母が既に死ぬ寸前だっとは申せ、まだ父も母も共に生きていてくれた頃の日記であり、今読み返してみると、とてもせつない日記です。

=======

 横浜の実家の母が余命あと僅かなので、急遽今週末は横浜に帰っていました。

 うーん、現居住地(赴任地)・鹿児島(この日記執筆当時)は、やはり横浜からは遠い。

 母の病気はもやもや病という病気で、お堅い漢語系病名が多い医学の世界では珍しい和語の病名です。脳の血管が細くて「動脈が無くて毛細血管で覆われている」状態であ り、病気というか、元々生まれつきの血管の状況がそうだ、という所から始まる病気です(何でも、優秀家系に多い遺伝病だとか)。脳の血管が細いだけならば 最初は発病しないのですが、血管が細い所を無理矢理にどでかい赤血球が通ることを何年も繰り返した結果、脳出血に至りますので、現象的には脳出血として現 れることが多いようです。子供の内に死ぬことも多いのですが運良く成人できた場合に、成人後に発病(というよりは、厳密に言えば表面化)すると脳出血にな ります。血管が破れても、動脈等とは異なり血管が細くて手術不可能なので外科治療が行えなえず内科治療しか行えないため、難病の内の一つです。

 母は元々四半世紀前から脳出血で倒れてはリハビリの末復活するということを繰り返していたのですが、6月に脳出血と脳梗塞(現象的には真逆です が、「赤血球が通るには血管が細すぎる」という元々の理由は同じ)とを併発して倒れてからは「脳出血と脳梗塞による脳損傷」状態から復活できず、それ以来 体は動かず口がきけず、意識はあるのですがコミュニケーション取れないという点では植物人間同様の状態が続いています。体も衰弱していて肺炎を併発し、い よいよ衰弱死を迎えつつあります。いろいろと多忙で今まで横浜に帰れなかったのですが、先々週ようやく帰ることができ、その時の(単に脳だけでなく)体の 衰弱の凄さに驚いていたところ、医師から「あと1ヶ月」と父が告げられたため、あわてて2週間連続の帰省となりました。

 急な時に駆けつけられないという点で鹿児島横浜からはやはり遠いと思います。私は、男の子には珍しい自他共に認めるファザコンで子供の頃から父親っ子だったのですが、やはり母のことは好きなので、とても悲しく切ないです。今思えば、昨年まだ母が動ける内に、両親を鹿児島の観光に誘って連れてきてあげて良かったと思います。丁度、帰省していた10月21日は、その1年前(2005年)に職場の先輩から貰った券を私が両親に 送って父母が歌舞伎を楽しんだ日なのですが、父にとっては忘れられない日だったらしく、あれから1年でこんなになっちゃって・・・と父は悲しんでいまし た。

 歌人でもある私は、齊藤茂吉の「死に近き母に添い寝のしんしんと・・・」等の歌をつい想起してしまいますが、茂吉は母の死に目に会えたのでしょ うが、私は実家から遠く離れて住んでいるため、母の死に目には会えないかも知れない、と覚悟を決めております。でも・・・今回の帰省が「今生の別れ」には ならないで欲しい、と切実に思います。

=====

 この日記を書いた数週間後の2006年11月11日(土)、とうとう母が死んでしまいました


◎ 関連する、当ブログ内の別の記事

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月26日 (日)

亡父や亡母の思い出のかごしま水族館が、名古屋でも放送されていました

 今日は、父の死後の事後処理の一環のため、日帰りで第1の故郷・横浜に行って来ました。名古屋の自宅に帰宅してTVのスイッチを入れたら、テレビ朝日系列の番組「素敵な宇宙船地球号」で、「「ユウユウ大海原へ帰る」
~ジンベエザメ放流大作戦~
」を、地元の系列局メーテレ(名古屋テレビ放送)で放送していました。鹿児島では、KKB鹿児島放送で放送されている筈です。内容はジンベエザメのユウユウが大きくなったので海に帰したことをドキュメントしたものです。

 いおワールド かごしま水族館は、本年2007年8月に死んだ亡父と、昨2006年11月に死んだ亡母が生前、2005年5月に最後の家族旅行になってしまった、前任地・鹿児島に遊びに来てくれた際に、私と合流する前に夫婦デートで立ち寄った所です。亡母は、モノの評価眼が厳しくその結果の好き嫌いがハッキリしている人でしたが、いおワールド かごしま水族館のことは凄く気に入ってくれていました。とても楽しかったようです。

 第2の故郷になった前任地であり、最後の家族旅行の思い出の場所である鹿児島の、特に亡母が気に入った観光スポットが放送されていて、うれしいと同時にせつなくなりました。両親が鹿児島に遊びに来てくれたのはわずか2年前のことです。それなのに今では両方ともこの世にいない・・・。家族が幸せだった頃の最後の時期の思い出の場所。亡母が楽しんでくれて、とても気に入ってくれた素敵な所。戻れるものなら、2年前に戻りたいと思いました。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月25日 (土)

やはり、何を見ても辛く悲しい

やはり、何を見ても辛く悲しい
やはり、何を見ても辛く悲しい
やはり、何を見ても辛く悲しい
在学中の社会人向け大学院・高知工科大大学院起業家コースの博士学位申請論文審査のために、高知に行って来ました。高知工科大大学院起業家コースは、東京大阪のサテライト・キャンパスでも土日に受講可能な、ベンチャー起業や企業内起業(新分野事業開拓)のための経営学のコースである、社会人向け大学院です。
父の死で 忌引きをいただいてしまい気が引けてさらなる休暇を取り辛かったことに伴い、当初は8/23(木),24(金)の2日間いただく予定だった休暇を、先生方 に急なスケジュール変更をお願いして遅めの開始時間にしていただき、24(金)1日だけ会社を休めば済むようにしていただきました。
行き帰りの途中のJR四国土讃線で、大歩危小歩危大歩危小歩危)の光景が見えました。母方の祖父が徳島の脇町の出身なので大歩危小歩危は、両親の生前に一緒に来たことがある所です。何を見ても、亡父亡母を思い出してしまって辛く悲しいです。
また、瀬戸大橋から瀬戸内の海を見ると、脇町に行った際に両親とサンライズ瀬戸に乗ったことを思い出してしまい、涙が流れ落ちてしまいます。
我が家は転勤が多く、かつ旅行好きだったので、全国至る所に、もう二度と戻って来ない、幸せで楽しかった頃の思い出があります。でも、まぁ、だか らこそ思い出は重要なのだと思います。思い出だけは消えませんので。今は思い出すと辛いけど、思い出は私にとっては大切な宝物です。独りぼっちになってし まった私は、亡父亡母の思い出を共有して語り合える人がいなくなってしまったことも、辛く悲しいです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月19日 (日)

名古屋帰行

父の葬儀も、横浜でなければできない事後処理も済ませたので、名古屋に帰ります。
父の死を頭では分かっていても気持ちの上ではまだ受け入れられていないので、名古屋の自宅に着いてから実家に電話したら父が出てくれるんじゃないか、というような、あり得ない妄想を捨てきれずにおります。
でも、そんなことはありません。父の白木の位牌は膝の上のカバンの中です。
辛いです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月18日 (土)

両親がお世話になった保険代理店

今日、父の死に伴い実家の火災保険の名義変更のために両親がお世話になった保険代理店の方がお見えになり、亡父と亡母にお線香をあげてくれました。
その方と両親とはかなり心の籠もった交流があった模様で、いろんな話を教えて下さり、涙を流して下さりました。
ありがたいと思います。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

かつて亡父や亡母と暮らした札幌

家に帰ってふとテレビをつけたらTV東京の「出没!アド街ック天国」で、札幌の円山をやっていました。見た瞬間、若かりし頃の両親を思い出してせつなくなりました。
札幌はかつて、亡父の転勤で住んだ街であり、私が中学を出た街です。高校入学時に寮のある高校を撰んで家を出て、生まれ故郷・東京に帰って以来ずっと独りだった私にとっては、両親と暮らした最後の街です。
家に帰れば優しい母が待っていてくれて、夜になれば大好きな父が帰って来てくれる。当時は当たり前だった日常は、昨2006年に母が死に、後を追うように先日父が死んだ今日から見れば、二度と戻って来ることのない幸せな日々でした。
円山は毎年初詣で北海道神宮に行った所であり、円山動物園に連れて行って貰った所です。両親がまだ生きていてくれた、あの子供の頃には戻れない。思わず涙がこぼれます。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お母さん、会いに来たよ

お母さん、会いに来たよ
お母さん、会いに来たよ
お母さん、会いに来たよ
忌引き期間の平日中にしなければならない最低限のタスクが昨・2007年8月17日(金)にようやくあらかた片付いたので、今日は墓地利用の継承契約と、父の納骨式申込み手続きと、そして亡母の墓参りとのために霊園に行きました。
亡父にとっても私にとっても最後の墓参りが5月のGWになってしまったので、それ以来の墓参りです。亡父は、亡母の生前最後の約半年間の無理な在宅看護を強行して肉体的に疲弊しきってしまったことに加えて、最愛の妻(拙母)を失ったことによる心理的ダメージのため、急速に老化が進んでいて足腰が弱くなっていました。このため、GW以降に私が帰省してあげられなかったことが、父の生前最後の数ヶ月間、父も墓参りできなかった理由と化してしまいました。
本日時点では納骨前で父はまだお墓に入っていないので、父の遺影を連れて行き、生きた父を連れての墓参りができなかった旨を、亡父と亡母とに詫びました。思わず、「お母さん、お父さんを連れて行っちゃったら俺は独りぼっちじゃないか」とか「お母さん、直にお父さんもそっちに行くから、また夫婦デートできるよ」とか呟いてしまいました。
前回には父と休んだ東屋も今日は独りぼっちです。墓石の建之者の父の名の赤い字は生存中の色との由で、次回納骨時には白い字に変わってしまう予定なので、今日が見納めです。母に続いて父まで失った、悲しい悲しい墓参りでした。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父の死の事後処理なんとか一段落

昨日(8月17日(土))、父の死の事後処理が一部の例外を除いてなんとか一段落し、無事に司法書士と税理士とにタスクを委ねることができました。昨2006年に母が死んだ時には父と手分けして行ったタスクを独りで行わなければならず、おまけに加えて例えば相続等前回には無かったタスクも存在し、結構大変です。
私の場合、横浜(実家)、東京都世田谷区(本籍地&亡父の実家)、名古屋(拙自宅)と関係地が分散しているため、戸籍、住民票、納税関係、相続登記と取り付け書類や申請にあっちこっち駆けずり回らなければならず、かなり大変でした。
父が互助会「(株)セレモジャパン」に入っていてくれたおかげで、同互助会グループのメモワールから税理士の先生をご紹介いただけたので忌引き最終日に滑り込みセーフで業務依頼でき、助かりました。こんなところにも、父が互助会加入してくれていた影響があり、改めて父の愛を感じます。(株)セレモジャパンの亡父担当の営業の方にもお世話になり、この場を借りてお礼申し上げます。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月17日 (金)

あの頃、両親共に生きていてくれたのに

今日も世田谷区役所の近くに来ていました。父の死の事後処理のための取り付け書類が、過日来たときに揃いきれなかったのです。んー、手際悪いなぁ、俺。
過日来た時の日記で述べたとおり、途中の田園調布駅世田谷区役所間のバス路線は、6年前に祖母が死んだ、等々力の病院の近くを通ります。当時、亡祖母のお見舞い・看病のために亡父や亡母と歩いた思い出のある道を通りました。
あの時はまだ両親共に生きていてくれていた。そう思うと、その道を両親と歩いたのも、二度と戻って来ない思い出の中の情景です。道端の、関東ローム層の赤土が見える低い崖(リンク先のgoogle mapの矢印の左側の崖)が、六年前そのままで、今にも両親と一緒の私がそこを歩いているような錯覚に襲われます。タイムマシンがあったら、両親共にまだ生きていてくれていた、あの日に戻りたいです。

◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月16日 (木)

その時近くで119番通報できていれば

今日、横浜法務局金沢出張所に行きました。途中、待合室で待っていたおばあちゃんが倒れてしまい、そのおばあちゃんに付き添っていた方が119番通報を求めていたので、とっさに119番通報しました。私にとっては、瞬間的に父を孤独死させてしまったことが脳裏に浮かび、他人事とは思えなかったのです。
その付き添っていたご家族の方は、対応が手慣れていたし「バイタル」などという専門用語を使っていたのでプロだろうと判断し、「自分がやるべきことは行うが、邪魔で余計なおせっかいはしない」というデリカシーの原則に鑑み、その場にプロがいるため応急処置以降はさし出口だと判断し、救急車コールだけを行いました。そのおばあちゃんは救急車で運ばれて行きましたが、担架に乗せられる時、亡母の末期と頭の中でダブっていました。
さて、父が孤独死した2007年8月5日(日)早朝に私がそばにいて、心筋梗塞の異変に気づいて119番コールできていれば、父の死は防げたのでしょうか?。そのおばあちゃんを見送りながら、改めて悲しく悔しくやりきれない思いになり、とても辛かったです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

亡父の遺品の中に、横濱タウン新聞・アカデミア港南台主催の「講師と行く歌舞伎観劇・舞台裏見学ツアー」に申し込んだ書類一式が出て来ました。予定日は2007年10月11日、場所は国立劇場です。演目は近松門左衛門作「平家女護島」俊寛、復活狂言「昔語黄鳥墳」うぐいす塚の二本で、松本幸四郎、中村芝雀、市川染五郎、中村東蔵、中村梅玉 他です。
両親にとっては生前、横濱タウン新聞の文化講座・アカデミア港南台に行くのが老年夫婦デートのメニューの一つになっており、この観劇ツアーも同講座主催のものです。
亡母の死後は抜け殻状態だった父がこの講座受講を再開したことを、私は知りませんでした。亡母との思い出を辿りたい思いが窺えると同時に、1人でも生きていくために自分の楽しみを見つけようという気持ちが窺えると思います。今にしてみれば、亡父のこの「生きよう」という気持ちはうれしいものです。
亡父も亡母も歌舞伎が好きでしたが、特に亡母は歌舞伎が大好きでした。一時期は歌舞伎座で夫婦デート観劇をして近くの店で食事するのが楽しみだったとの由です。経済状況故にあまり行けなくなっていましたが、2005年10月21日に、拙職場の先輩から貰った券を両親にプレゼントして行った国立劇場公演「操花鳥羽恋塚」は、亡母が元気だった最後の時期の夫婦デートになり父には忘れられない「楽しかった思い出」になっていました。昨2006年10月21日、死を目前とした母を前にして、「わずか1年前はあんなに元気で2人で楽しんだのに」と嘆いていました。
その翌月に母が死に亡母の死のわずか9ヶ月後に、後を追うようにして父も逝ってしまいました。父にとっては、横濱タウン新聞の文化講座・アカデミア港南台も歌舞伎も亡母との思い出が籠もるものです。さぞや行きたかっただろうと思います。きっと、行けぬまま死んでしまい、無念だっただろうと思います。

後日補記:横濱タウン新聞HP内の「編集室のこぼれ話」欄に、この歌舞伎観劇ツアーの模様が載っています。遺影の両親も楽しんで貰えた模様で、亡き両親についてもコメントしていただけました。どうもありがとうございます。また、当ブログ内の当日(2007年10月11日)の日記でも、この観劇ツアーについて書いております



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月15日 (水)

新横浜駅の待合室がせつない

父の遺体が発見されてから一週間が過ぎました。当初は今日までか忌引き休暇で明日から職場に復帰しようかとも思ったのですが、事後処理が終わらないため情けなくも忌引きを伸ばしていただきました。
今日はその過程で、急遽日帰りで名古屋に戻り、住民票の写しを取って来ました。前任地・鹿児島よりも距離が近い旨を実感しますが、その距離のメリットを父に会いに行く親孝行にはもう活かせないのが悲しいです。
明日以降行うべきタスクの内の一つは登記です。本当は司法書士に依頼すれば明日から職場復帰可能かもしれないのですが、普段横浜にいないので懇意の司法書士が無く、或るルートに紹介を依頼してはいますが見つからなかったリスクに備えて、できるところまで自分でやってみる所存です。
赴任早々休みが延びた言い訳と兼ねて記しておきます。会社にも申し訳ないのですが、キチンと終わらせなければキチンと納税ができないので、ネグれないタスクです。
新幹線は自由席車両が混んでいて立ち席だったので、新横浜駅の待合室のベンチで少し休んでいました。ここは、両親が元気だった頃の旅行の際に来た所です。こんな所にも両親の思い出があり、何を見ても辛いです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

辛くても頑張って生きなければ

暑くて倒れそうだと、つい、いっそこのまま熱中症で倒れてしまえば亡父や亡母の所に行けるかもしれないなどと、あらぬことを考えてしまいがちです。でも、亡父との或る会話を思い出して踏みとどまります。
小学校一年生の時に私は「はみ出しっ子」だったので、知恵遅れだと疑った担任教師から特殊学級に入れられそうになったことがあります。母は、その教師に逆らって或る研究所で私を検査して貰った結果、むしろ知能が高過ぎてはみ出していた旨が判明し、特殊学級入りをかろうじて免れました。これは自慢で言っているのではなく、その教師の凄まじい「迫害」のために我が学校生活のスタートラインは暗くて辛くて悲惨なものでした。
父に言わせれば「あの時せっかく母が必死になって守ってくれたのだから、子供ができなきゃ駄目じゃん」ということになるのですが、その父も失った今日では、「せっかく両親がここまで守ってくれたのだから、死んだら駄目じゃん」ということになります。いま私が後を追うようにして死んだら、亡父も亡母も悲しむでしょう。
だから、あの世の両親に会いたくても自分があの世に行くのは我慢して、独りぼっちで辛くても頑張って生きていかなければいけないと、その会話を思い出しながら自分に言い聞かせます。暑くても、「いっそのこと熱中症に」などと思ってはいけないのです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月14日 (火)

せっかく名古屋に赴任して来たのに

私が名古屋に転勤することになった時、両親との最後の家族旅行の思い出が残り大好きになっていた鹿児島から出たくはありませんでした。でも、名古屋自体が嫌いな訳では決してないし、老父のいた横浜に近くなることをありがたく思っていました。名古屋に赴任してしばらくして落ち着いたら、横浜への帰省頻度を増やそうと思っていました。
鹿児島から横浜までは余裕を持っての日帰りは無理であるため、週末土日の内の片方でも予定が入ってしまえば横浜への帰省は実質的に不可能になってしまいます。一方、日帰りでも行き来できる名古屋からは、土日の片方で予定が入った週でも横浜に帰省することが可能です。
老父は、異動が決まった旨を告げたら息子が近くなると喜んでおり、転居した8月1日に電話した時にも嬉しそうでした。後で知ったのですが、8月3日に喜んで親戚に電話をかけまくっていたそうです。
ところが、その父が孤独死したのは8月5日、正に私が名古屋に赴任したその週です。せっかく名古屋に赴任して来たのに・・・距離のメリットを活かす前に父に死なれてしまったことが、べらぼうに悔しく無念です。お父さん、せっかく近くに異動して来たのに、何で死んでしまったんだ?。お父さんだって、あんなに嬉しそうだったじゃないか・・・



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

亡父と亡母が好きだった店

世田谷区役所等の用事を済ませて、件(くだん)の田園調布駅行きのバスで戻る途中、今まで気づかなかったことに気づきました。このバス路線は、6年前に祖母が死んだ病院の近くを通っているらしいのです。
これで解けた謎があります。生前の両親は、田園調布駅構内のパン屋がお気に入りだったとの由ですが、今日まで、何の用でその駅に行っていたのかが謎でした。
今にして思えば、6年前に毎日祖母の看病に行っている時にこのバス路線を利用して、その途中で立ち寄っていたのでしょう。父も母も死んでしまった今となっては確かめる術もありませんが、わずか6年前に両親共に元気だったのだと思うと、改めて涙がこぼれ落ちます。
田園調布駅は、母と大昔来た時とは異なり、駅が地下になり、建築遺産として昔の駅舎が保存されています。両親が頻繁に乗り降りしていたのは、この新しい田園調布駅です。
本日の用事はタイムアウトになっちゃったので、熱中症対策水分補給と兼ねて一休みしようと思いました。駅前に、大昔に母と一緒に入ったケーキ屋と推測可能なケーキ屋を見つけましたが、改築されているらしく思い出を辿れませんし(そりゃあそうですよね、前回来たのは四半世紀以上前のことですから)、おまけに加えて館内禁煙ですので、愛煙家の私には辛い店です。
そこで、両親愛用だった駅構内パン屋に入りました。私個人にとっては両親との思い出はない店ですが、両親にとっては二人の思い出の店だった所です。亡父や亡母はどの席にいたのだろう・・・想像しただけで涙が頬を伝わります。できれば私も生前の両親と一緒に、この店に来てみたかったです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

独りぼっちの戸籍謄本

独りぼっちの戸籍謄本
本籍地の東京都世田谷区役所で戸籍謄本を待っている最中です。実家のある横浜市の住民票上の死亡届が世田谷区役所に届いたばかりなので、情報反映待ちです。昨日受領済みの住民票も同様ですが、父も母も除籍されているのを見ると、耐え難く悲しくて辛いです。
途中、東急田園調布駅から乗ったバスは、大昔、ここに来るために亡母と乗った路線です。写真は、このバスから見える馬事公苑の塀です。すぐ辞めてしまいましたが一瞬体育会馬術部にいた私には懐かしい光景で、あの頃は両親共に健在だったなどと考えます。そんなことを思い出していると、独りぼっちで来ることが本当に悲しくて辛いです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父が生きていてくれた時がだんだん遠くなってしまう・・・。

先々週までは、父は生きていてくれました。

先週は、父が生きていてくれたのか「先週のこと」でした。
そして今は、先々週のことになってしまいました。

お父さん、今からでも生き返って欲しいのに、生きていてくれた時がだんだん遠くなってしまいます。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お父さんに会いたい

目が覚めました。いつもならば話しかければそこにいた父がそこにいません。

夕べ見た夢をおぼえていません。せめて夢には出てくれたのかどうかも分かりません。

お父さん、会いたいよ。会いに来てよ。死んじゃうなんて早過ぎるよ。話したいこと、聞きたいことがまだ山ほどあったのに。夢の中だけでもいいから、幽霊でもいいから、顔を見せてよ。

テレビで袋田の滝が写っていたよ。お父さんの転勤で水戸にいた頃、お母さんと一緒に家族で何回も行ったよね。あの頃、楽しかったよね。週末になるとお父さんの車でいろんな所にドライブに行ったよね。陶芸の町・笠間も家族のお気に入りだったし、笠間への途中の行きつけのドライブインも家族のお気に入りだったよね。日立のかみね動物園も楽しかったよね。テレビを見ていて思い出しちゃったよ。

お父さん、家族が元気に生きていて楽しかった頃に戻りたいよ。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月13日 (月)

どこに行っても両親が思い出されて悲しい

どこに行っても両親が思い出されて悲しい
父の死後の事後処理の過程で、上大岡に行きました。途中、Wing上大岡の中の店・Afternoon Tea Roomショップリスト)の前を通りました。急いでいたので入りませんでしたが、ここはかつて両親と、母の死後も父と入った思い出のある店です。
私自身は二回しか入ったことがありませんが、母が元気だった頃の両親が頻繁に老後の夫婦デートを楽しんだ店で、母の死後に父と行ったのは母の思い出を父と共に偲ぶためでした。
前を通るだけでも涙がこぼれ落ちます。わずか数ヶ月前に私は父と共にここにいたのです。
父の社保解約のために区役所に行きました。ここは昨2006年の5月に横浜に帰省した際の行程でロビーのベンチで一休みした上で、当時住んでいた鹿児島に帰る私が両親と別れた場所です。
その翌月に母は後に死に至る脳梗塞の発作で倒れたので、私にとっては、動けていた頃の母に会えた最後の場所になりました。私にとっては、幸せだった頃の家族の情景の正に最後の1コマの記憶の場所なのです。
今でも、そこのベンチに行けば、あの日のように亡父や亡母が甦って座っているんじゃないかと思って行ってみましたが、当然、父の姿も母の姿も見えませんでした。
あぁ、何を見ても亡父や亡母が思い出されて悲しいです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父の痕跡が消えてしまう・・・

父の葬儀後初めての平日の今日から、例えば社保解約等事後処理を進めております。
いろいろと解約を進めていくと、その度に、この世に父が生きていた痕跡が消えてしまうので、とてもせつなく悲しいです。
特に介護保険などは長らく父が希望していながら通らなかったサービス申請内容がようやく通り、死の前々日に初めてそのサービスを利用し始めた矢先だったので、タイミングがせつないです。
介護サービス計画表の父の押印日付が死の前々日8月3日であるのがとてもせつなく、父の遺体を見つけてくれたのがその介護士なので、死ぬ前にサービスが間に合って救われ、ありがたいと思います。その計画表で父が「独り暮らしのため何かあったらと心配している。」としており、そのわずか二日後にはこの危惧が事実になってしまったので、孤独死させてしまった親不孝な愚息としては、とても申し訳ないです。
いずれにせよ、事後処理が進む度に父が生きていた痕跡が消えてしまう・・・。とてもせつないです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父とはもう食べられないバーミヤン・ラーメン

父とはもう食べられないバーミヤン・ラーメン
父の死の事後処理の途中、昼食で、生前の父と幾度も行ったバーミヤン・ラーメンに立ち寄りました。
両親は以前からこの店に来ていたようですが、実は私が父と来るようになったのは母が2005年ー2006年の年末年始に入院した際の見舞い帰り以降ですので、母と一緒に行った記憶は無く、父との間だけの思い出です。
母が倒れたり死んだりした後の思い出の場所なので、既に家族の幸せだった時代は終わった後の思い出ですが、父と来ることさえ叶わなくなってしまった今日よりは、遥かにまだマシです。
もう、母はおろか父と来ることさえできない。お父さん、いつも一緒に食べていたラーメンを今は独りぼっちで食べています・・・心の中で呟いた途端に、涙が溢れて来ました。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

せめて妄想で父と朝食

父の葬儀終了後初の平日なので、今日からは諸手続き事後処理です。「戦闘」開始前の腹ごしらえで、昨日同様に朝食は家族の思い出のデニーズです。
会話の思い出をつぎはぎすることで父と一緒に食べている妄想をしながら、食べていました。まだ、父がいないということが、頭では分かっていても心では受け入れ難いのです。
でも目を明ければ、実際には目の前に父はいてくれません。「あぁ、独りぼっちになっちゃった」と実感します。お父さん、会いたいよー。もう一度この店に一緒に来ようよ・・・。会いたい。会いたい。
追伸: デニーズのお店の近場の席に、母子連れで来ている客が見えます。あの家族が、今の私のような悲しみを味わうことなく、いつまでも幸せだといいな、と思いました。そして、生きている親と一緒にいられるその子が羨ましく思えました。子供の頃は、父も母も失ってしまった今日のことなど夢にだに想像しませんでした。どの時期でもいいから、両親が生きてくれていた昔に戻りたいです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父との思い出のバス路線

昨日菩提寺・天然寺に父のお骨を預かって貰った際に乗ったバスは、母の墓参りに行った時に乗ったバスと同じ路線です。
乗っているだけで、父との会話の思い出が甦って来ます。父には、もっと長く生きていてくれて、もっとたくさん、このバス路線で一緒に母の墓参りに行きたかったです。
足が弱くなっていた父は一人では墓参りに行けなくなっていたので、5月に帰省した時に一緒に行った墓参りが父にとっても最後の墓参りでした。次回帰省時に墓参りに一緒に行こうと話をしていたのに、連れて行ってあげられなかった・・・。
父との思い出のバス路線。菩提寺や、沿線の思い出の店スポットの話を父としながら乗る機会はもうありません。今だに、このバスに独りで乗る現実を受け入れ難いです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

一週間前の今頃父は

夜中に目が覚めました。
一週間前の今頃は、誰からも発見されないまま父は死んでいたんだ・・・
お父さん、寂しかったろうなぁ・・・。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月12日 (日)

父の遺骨を菩提寺に

父の遺骨を菩提寺に
父の遺骨を菩提寺に
父の遺骨を菩提寺に
納骨の日まで、父の遺骨を菩提寺・天然寺に預かっていただくことにしました。転勤が続いた生活からようやく落ち着いて母と18年間暮らした思い出多い家からこのタイミングで出て行かせてしまうことは申し訳ないのですが、母も昨2006年死に、私がここで暮らしていない以上は、無人の部屋に放置することはもっと酷いという判断から、菩提寺のご好意に甘えることにしました。
私が遠く離れて住んでいるばかりに孤独死させてしまったり、納骨日前に家から(遺骨の父が)出ざるを得なくさせてしまったりして、とても心苦しいのですが、やむを得ない判断です。
「お父さん、ごめんなさい、お母さんとの思い出が残る家も今日で見納めだよ」と話しかけながら遺骨を菩提寺に運びました。申し訳なくてせつなくて悲しくて、お寺様に対してはありがたくて、そしてこの家での父との思い出がこみ上げて来て、様々な思いがごちゃ混ぜになって涙を流しながらの、父の我が家からの出発でした。
写真は、家での祭壇と、菩提寺に持って行った後の遺骨天と、同じく菩提寺に持って行った後の位牌です。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

両親との思い出のデニーズ

両親との思い出のデニーズ
両親との思い出のデニーズ
心身共にズタボロ状態だけど、腹が減っては戦ができないのでデニーズでモーニングを食べています。デニーズは、我が家の思い出が詰まった、家族で大好きなファミレスです。
最初に発見したのは両親です。父の転勤で両親が茨城県水戸市に住んでいた時、横浜の我が家に両親が車で来る途中、腹減っていたのになかなか良い店がなく、ようやく見つけた店が松戸デニーズでした。店が綺麗でモーニング・セットが安くておいしかったので両親はファンになり、以来我が家ではデニーズを愛用してきました。
今いる実家の近くのデニーズは、両親存命時には、私が帰省すると日帰りで家族で遊びに行くときに朝の腹ごしらえに立ち寄っていた、ささやかながらも幸せだった頃の、家族の楽しかった思い出の店です。昨2006年に母が死んでから後も、老化が進む父が心配で帰省頻度を増やして実家に帰る度に父と一緒に訪れて、例えば松戸でデニーズを見つけた時の話等、楽しかった頃の亡母の思い出を親子で偲んだ店でした。
今回の父の死後、実家の机上には、毎日のようにデニーズを訪れたレシートが残っていました。多分父は、ここで毎朝のように最愛の妻(拙亡母)との思い出を偲んでいたのでしょう。
5日に父も母の後を追うように死んでしまったので、今は独りぼっちで泣きながらモーニング・セットを食べています。今にして思えば、母の死後でさえ、悲しいとは申せこの店で父と一緒に亡母の思い出を語り合うひとときは、その父さえ逝ってしまった今日に比べればまだマシであり、二度と戻って来ることの無い幸せなひとときでした。一人っ子売れ残り独りぼっちの私には、亡父や亡母との思い出を共有する人はいなくなってしまいました。
写真の席は、父とよく座っていた席です。一人で来ると二人掛け席に案内されるので、もう私がこの席に座る機会はありません(将来家族に恵まれて座る機会ができても、そこには父も母もいません)。この席自体が私にとっては、二度と戻って来ることの無い思い出の中にある、「手の届かない、憧れの夢のお城」と化してしまいました。もう一つの写真はデニーズのモーニング・セットの大好きなメニューです。
お父さん、お母さん、生き返ってくれよ。もう一度親子3人でこの店に来ようよ。・・・私は、私は、独りぼっちになってしまった・・・。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

8日見た夢の中の父

そう言えば、8月8日の早朝見た夢に両親が出てきて、内容は忘れましたが父に叱られている夢でした。父の遺体が発見されたのは、その夢を見た後その日のことです。
今にして思えば、遺体を見つけてくれない私を叱責していたのではないか、と思えてなりません。
親父、ごめん。連絡が密ではなかったために、大好きな親父を寂しく孤独に死んでいる状況のまま数日間放置してしまった・・・。
父が心筋梗塞の発作を起こした際に119番通報不可能だった状況な程に急だったので、連絡を密にしてもしょせん死は防げなかったかも知れません。でも、連絡を密にしていれば遺体の早期発見は可能だった筈です。
親父ー、ごめん。きっと、夢の中でそのことを叱っていたんだよね・・・。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

親父のバカヤロー

織田信長が父・信秀の葬儀の際に灰を投げつけたエピソードは有名ですが、私が子供の頃に拙父が「何故投げたか?それは投げたかったからだ」と言っていたことがありました(当人が後年忘れていましたが)。
今になって、私にはその理由が痛い程よく分かります。あれは、父親が好きだったからなのです。
親父のバカヤロー!死ぬんじゃねぇよぅ!何故俺を独りぼっちにして置いて行ってしまうんだよー!。バカヤロー、生き返ってくれよー!・・・。
親父ー、会いたいよー。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父と晩酌

昨夜は寝る寸前、お骨になっちゃった父と一緒に、私が父の日に贈って、私と一緒に晩酌したくて父が栓を開けずに残しておいた越乃寒梅で晩酌しました。おしゃべりだった親子なのに、何を話しかけても、父のお骨は応えてくれません。
親父、生きている間に戻って来られなくてごめん。うぁーー、生き返ってよ、幽霊でも夢の中でもいいから現れてよ、それが駄目なら俺もそっちに連れて行ってよ。何かしゃべってよ。会いたいよ、親父。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月11日 (土)

父の死の状況

父に寂しい孤独死をさせてしまった私は、父の死の状況を諸関係各位に訊きまくって調べて分かった結果を記録しておきます。親不孝な愚息のせめての罪滅ぼしとして、父がどのように死んでいったか事実を知りたくて調べました(以下、敬称略&「だ、である」調)。

1.死因
心筋梗塞

2.死の背景環境(直接の死因ではないが)
昨(2006)年の半年間母が死ぬまでの在宅看護で肉体が疲弊した上に、母の死で気落ちして心身共に老化が進んでいた。

3.死亡時刻
(1)死体検案書上の監察医による推定では2007年8月5日0時0分
(2)後述の110番騒ぎによれば、8月5日(午前)5時30分まで生きていた旨が、死体検案の後に判明

4.経緯
・8月1日(水)に名古屋に転居した私が電話した時は、息子が鹿児島よりも横浜に近くなって喜んでいた。
・3日(金)、息子が近くに転勤できて嬉しい旨、喜んで親戚に電話かけまくっていた。
・週1回金曜日訪問の介護ヘルパーに、最近の体調不良ゆえ6日に医者の診察を受ける予定を話した。
・4日(土)朝刊は、父が最後に新聞受けから取った新聞である。
・5日(日)5時30分、不審な男が玄関まで入って来たとして110番通報した(介護ヘルパー等来訪用に部屋の鍵は開けていたとの由)。その男は父と目があったら逃げて行ったとの由で事件に至らず、駆けつけた警察官は引き上げた。
・6日(月)、介護ヘルパーが気になって医者に訊いたところ受診していない旨が判明、父に電話してくれたが出なかった。
・7日(火)も介護ヘルパーが電話してくれたが出なかった。
・8日(水)、そこで介護ヘルパーが拙実家を訪問したところ、玄関の鍵が開き灯りがついているが呼べど反応が無かったため警察に連絡し、警察官同行で入室し、死んでいる父を発見した。
・部屋に荒らされた後がなく、金が残っており、監察医による死体検案の結果でも他殺の状況がなく死因が心筋梗塞だったため、孤独死と判明した(故に、5日の110番通報は死因とは無関係)。
・介護ヘルパーの連絡かにより叔母(父の妹)が駆けつけてくれ、伯父(その夫)の連絡で父の死を私が知った。

5.訊いた相手
・父からの電話を受けた叔父・叔母達
・110番受けて出動してくれた警察官
・父の死体を発見してくれた介護ヘルパー
・父の死体を発見してくれた警察官
・駆けつけてくれた叔母
・110番通報騒ぎの話を教えてくれたマンション自治会理事長



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

告別式と無言の帰宅

告別式と無言の帰宅
告別式と無言の帰宅
告別式と無言の帰宅
告別式無事終了しました。場所はエヴァホール横浜、父が生前に互助会「(株)セレモジャパン」に入っていてくれたおかげで、サクサク話が進みました。父が互助会に入ると言い出した時、一瞬「まだ早ぇよ」と思いましたが、結果としては助かりました。父が、私のことを考えてくれていたことを改めて実感します。
火葬場は、母の時と同じく久保山斎場です。とうとう父は骨になってしまいました。子供の頃私が病気した時におぶって医者に駆けつけてくれた父の背中・・・それが、焼け残った脊椎骨に変わってしまいました。
昨年(2006年)母が死んだ時には父と2人で手分けして遺骨や遺影を持って帰りましたが、今度は叔父や叔母達が手伝ってくれました。
父の遺体を、祭壇に安置しました。お父さん帰ってきたよ。我が家だよ。お父さんがお母さんと18年間暮らした家だよ。無言の帰宅です。「何かしゃべってよ、お願いだから」と、思わず涙がこぼれ落ちます。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

独りぼっちの朝

目が覚めました。お父さん、お母さん、と呼んでみても、応えてくれる声がありません。先月までなら父がいて、去年(2006年)までは母もいたのに。改めて両親の死を実感します。
今日は父の告別式、頑張らなきゃ。でも、父の葬儀だなんて、悪い夢なら覚めて欲しい。幽霊でもいいから父や母に会いだい。独りぼっちだ・・・。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年8月10日 (金)

父のお通夜が終わりました。

父のお通夜が終わりました。
父のお通夜が終わりました。
父のお通夜が終わりました。
父の葬儀のお通夜が終わりました。
正直、ヘトヘトです。泣き疲れて涙も出ないという感じです。
母が連れて行ってしまったような死だったので、棺に入れてあげる母の遺影焼き増し写真が祭壇にあります。棺に納める、かわいらしい「つわの紙人形」は、母の遺影を写した際の夫婦旅行の時のものと推測するもので、父にとっては母との楽しかった思い出の品と推測するものです。父の歌集を叔父が持って来てくれてこれも納めます。
お父さん、あの世に行ってもこの世と同様にお母さんと仲良く楽しんでね。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸
実家の片隅に、越乃寒梅が栓を切らずに置いてありました。
あれは多分、父の日の私からのプレゼントです。恐らく父は、私と親子晩酌をするのを楽しみにして、栓を開けずに残しておいたのだと思います。
その越乃寒梅を一緒に飲む機会なく父は亡母の所に行ってしまいました・・・。公私にわたって多忙だったとはいえ、せめてあと一回帰省する機会を捻出できていれば、私との親子晩酌の機会を父にあげることができたのにと思うと、越乃寒梅を見るのが辛いです。
父を孤独死させてしまった、父への申し訳なさもあり、いろいろ耐え難く辛いです。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 9日 (木)

母の遺影の焼き増し

棺に父の大切なものを入れることになりますが、何を入れるかで迷ってしまいました。
父にとって大切なものは亡母との思い出のもの、逆に言えば亡母のものなのですが、実はそれは私にとっても大切なものです。
とりあえず、叔父が持って来てくれることになった父の短歌作品の歌集と、私が行かなかった両親の旅行のお土産を入れることにしました。
ここで気づいたのですが、父にとって大切な最愛の妻(=我が母)自体として、亡母の遺影も入れようと思いつきました。でもって今、焼き増し完成待ち時間で、亡父や亡母との思い出が残る近くのデニーズに来ています。ここでの情景を見ると、生前の父や母を思い出して涙がこぼれ落ちます。
あの世に行っても、お母さんと一緒なら寂しくないよね、お父さん。あの世に行っても、この世での引退後と同じように「毎日が夫婦デート」状態を楽しんでね。きっと、お母さんが寂しくて手招きしちゃったんだよね・・・。
そろそろ焼き増し写真ができる頃です。取りに行かなきゃ。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お父さん、許して

俺、孤独死を防げなかった・・・。
さぞや寂しかっただろう。唯一の子供が愚息で申し訳ない。
一週間前は電話で声を聴けたのに・・・。叱られて怖くてもいいから、もう一度声を聴きたい。
お願い、亡母の側に行かずにしばらくはこの世に残って。嘘でもいいから生き返って。幽霊でもいいから話しかけて。
お父さん、逝かないで。一人っ子売れ残りの俺を独りぼっちにしないで。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

父の側にいられる最後の夜の夜中

父の側にいられる最後の夜の夜中
父の側にいられる最後の夜の夜中
父の側にいられる最後の夜の夜中
へとへとに疲れて眠ってしまい、夜中に目覚めたところです。疲れてガンガンしていた頭痛は治りましたが、アレルギー鼻炎体質の私は、泣きすぎて鼻水とくしゃみが止まらなくなり、鼻は詰まって苦しく、口でしかできない呼吸も苦しいです。正直、心身共に辛いです。
11月の母の一周忌の段取りの話を先月から父としていたのに、その父自体の葬儀の段取りをするとは思いませんでした。
亡母の在宅看護強行しての肉体的疲労により急速に進んだ父の老化と、母を失いうつ病になる程の父の精神的打撃と、二重の意味で母が父を連れて行ってしまったのだと思います。母に会いに行ってしまったのでしょう。
つい一週間前に電話で話をしたのが、夢か幻のようです。死後数日間発見されない孤独死をさせてしまったので、自分を責める気持ちでいっぱいです。父はさぞや寂しかっただろう・・・。大好きな鹿児島を去る代わりに、実家のある横浜に近い名古屋に転勤して、これからは父に会いに行く機会を増やせると思っていた矢先でした。母の死後、心配で電話や帰省頻度を増やしてはいましたが、孤独死させてしまった今となっては不足していたとしか言いようがありません。名古屋の新居に着いた夜に電話した時、近くなったと言って喜んでくれたのは、ほんのわずか一週間前のことじゃないか!早過ぎる!。
遺体の腐敗進行が早い夏なので、我が家で「形のある父」と一緒にいられる最後の夜です。汗かいているのに、へとへとに疲れているのと、一秒でも長く父の側にいたいのと、遺体の腐敗が進む中数日間発見されなかった父に申し訳ないのと、涙と鼻水が止まらないためにちり紙を手放せない状態であるのとのために、風呂に入れないまま茫然自失状態で我を失っております。
父の遺体と母の遺影が、幼い頃に川の字になって寝ていた頃と同様にすぐ側にあります。なのに、話かけても答えてくれないし、幼い頃歌ってくれた子守歌を歌ってくれないし、大人になってからいつも一緒に楽しんでいた親子晩酌をした父の口は開きません。父と一緒に吸う親子タバコは楽しかったのに、父の遺体の前で独りで吸うタバコのなんと苦いことか・・・。
親父、まだまだ聞きたい話は山ほどあるのに。嘘でも幽霊でもいいから、親不孝を叱られて怖くてもいいから、もう一度口を開いてくれ。どんなに母を愛していても、まだしばらくは母のいるあの世に行かないでくれ。一人っ子売れ残りの俺を独りぼっちのまま置いてけぼりにしないでくれ。奇跡でも何でもいいから生き返ってくれ。母の思い出を一緒に語り合える相手もいなくなってしまったじゃないか!。親父・・・。
写真は、今年のGWに帰省した際に一緒に母の墓参りに行った時の父の写真1枚と、昨年母の生前の、最後の家族の思い出の写真2枚です。
また頭痛がしてきたので、大好きな父の隣りで仮眠を試みます。私自身が倒れそうですが、疲労よりも怖いのは、倒れてしまえば大好きな両親に会いに行けるかも知れないと思ってしまう心です。何度も流産して子供を産むのに適さない体で無理して私を産んでくれた亡母のためにも、どんなに辛くても生きなければ・・・。「形のある父」の側にいられる最後の夜の今夜、頭痛を消すためにも、大好きな父の脇で仮眠を試みます。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年8月 8日 (水)

今度は父の死亡

今度は父が死にました。私はこれから急いで、新赴任地・名古屋から横浜に帰ります。つい先週、ちょうど一週間前に新赴任地に引っ越した時に電話した時には生きていてくれていたのが嘘のようです。鹿児島よりは近くなったので、これからは頻繁に会いに行けると思っていた矢先でした。
仲の良い夫婦だったことと、母の在宅看護を無理に強行しての疲弊とのために母の死後、父は心身共にやつれて弱ってしまい、いわゆる孤独死かつ衰弱死でした。母をなくして以来、うつ病にもなっていた模様です。名古屋転居時に電話で話をしてから一週間の間のことです。母の時と同様に、死に目には会えませんでした。
兄弟がおらず、売れ残っている私は、私は、とうとう独りぼっちになってしまいました。ほんのわずか二年前に両親が鹿児島に遊びに来てくれて、楽しい時間を過ごしたのに、わずか一年余りの間にどちらもいなくなってしまいました。わずか二年前まではみんな元気で幸せだったのに・・・。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。



◎ 父の死に関する、他のブログ記事

○ 国立市議会議員 松嶋としのぶ活動日誌: 父の死

○ ささやかな思考の足跡: 父の死

○ お母さんの日記  父の死

○ 父の死まで、-☆Past memories☆

○ こうさくジャーナル: 父の死

○ 大関直隆の"Live and let live.": 父の死

○ うつ病生活24時   【父の死】 会社で忙しくて父を見殺し

○ きっかけは・・・相続登記-*くまたん日記*

○ 父の死と成長の関係 - 長谷川健のプライベートコラム「ハセガワタケシ的こころ」 - Yahoo!ブログ

○ パスタdeブランチ | 今日は父の命日

○ お礼と生と死と-ひだまり日記

○ a wisdom tooth 90分間の奇跡

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年8月 6日 (月)

無事に名古屋に到着しました

無事に名古屋に到着しました
無事に名古屋に到着しました
無事に名古屋に到着しました
報告が遅れましたが、無事に名古屋に到着しました。
大好きな鹿児島から離れて寂しくはありますが、名古屋も結構良さそうな街なので、しばらくはここで頑張ろうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 1日 (水)

旅立ちの朝

旅立ちの朝
いよいよ鹿児島から出て行く朝になりました。写真は、宿泊ホテル・JR九州ホテル鹿児島から見た駅ビル商業施設・アミュプラザの観覧車のアミュランです。
あー・・・悲しいですが、名古屋もこれから楽しむ所存ですし、鹿児島も来訪観光客として楽しめば良いと思います。
今まで鹿児島で思い出を作ってくれた仲間に、改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »