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2007年8月 9日 (木)

父の側にいられる最後の夜の夜中

父の側にいられる最後の夜の夜中
父の側にいられる最後の夜の夜中
父の側にいられる最後の夜の夜中
へとへとに疲れて眠ってしまい、夜中に目覚めたところです。疲れてガンガンしていた頭痛は治りましたが、アレルギー鼻炎体質の私は、泣きすぎて鼻水とくしゃみが止まらなくなり、鼻は詰まって苦しく、口でしかできない呼吸も苦しいです。正直、心身共に辛いです。
11月の母の一周忌の段取りの話を先月から父としていたのに、その父自体の葬儀の段取りをするとは思いませんでした。
亡母の在宅看護強行しての肉体的疲労により急速に進んだ父の老化と、母を失いうつ病になる程の父の精神的打撃と、二重の意味で母が父を連れて行ってしまったのだと思います。母に会いに行ってしまったのでしょう。
つい一週間前に電話で話をしたのが、夢か幻のようです。死後数日間発見されない孤独死をさせてしまったので、自分を責める気持ちでいっぱいです。父はさぞや寂しかっただろう・・・。大好きな鹿児島を去る代わりに、実家のある横浜に近い名古屋に転勤して、これからは父に会いに行く機会を増やせると思っていた矢先でした。母の死後、心配で電話や帰省頻度を増やしてはいましたが、孤独死させてしまった今となっては不足していたとしか言いようがありません。名古屋の新居に着いた夜に電話した時、近くなったと言って喜んでくれたのは、ほんのわずか一週間前のことじゃないか!早過ぎる!。
遺体の腐敗進行が早い夏なので、我が家で「形のある父」と一緒にいられる最後の夜です。汗かいているのに、へとへとに疲れているのと、一秒でも長く父の側にいたいのと、遺体の腐敗が進む中数日間発見されなかった父に申し訳ないのと、涙と鼻水が止まらないためにちり紙を手放せない状態であるのとのために、風呂に入れないまま茫然自失状態で我を失っております。
父の遺体と母の遺影が、幼い頃に川の字になって寝ていた頃と同様にすぐ側にあります。なのに、話かけても答えてくれないし、幼い頃歌ってくれた子守歌を歌ってくれないし、大人になってからいつも一緒に楽しんでいた親子晩酌をした父の口は開きません。父と一緒に吸う親子タバコは楽しかったのに、父の遺体の前で独りで吸うタバコのなんと苦いことか・・・。
親父、まだまだ聞きたい話は山ほどあるのに。嘘でも幽霊でもいいから、親不孝を叱られて怖くてもいいから、もう一度口を開いてくれ。どんなに母を愛していても、まだしばらくは母のいるあの世に行かないでくれ。一人っ子売れ残りの俺を独りぼっちのまま置いてけぼりにしないでくれ。奇跡でも何でもいいから生き返ってくれ。母の思い出を一緒に語り合える相手もいなくなってしまったじゃないか!。親父・・・。
写真は、今年のGWに帰省した際に一緒に母の墓参りに行った時の父の写真1枚と、昨年母の生前の、最後の家族の思い出の写真2枚です。
また頭痛がしてきたので、大好きな父の隣りで仮眠を試みます。私自身が倒れそうですが、疲労よりも怖いのは、倒れてしまえば大好きな両親に会いに行けるかも知れないと思ってしまう心です。何度も流産して子供を産むのに適さない体で無理して私を産んでくれた亡母のためにも、どんなに辛くても生きなければ・・・。「形のある父」の側にいられる最後の夜の今夜、頭痛を消すためにも、大好きな父の脇で仮眠を試みます。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

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コメント

悲しくてたまりません。お母様を亡くされて、そんなにはやくお父様まで逝ってしまうなんて。私も母を今年3月に亡くして今年初盆です。悲しいです。

投稿 EIKO | 2007年8月10日 (金) 02時35分

EIKOさん、心優しいコメントありがとうございます。
2年前(2005年)には元気だった両親がどちらもいないという現実を私はまだ、頭では分かっていても心では受け入れることができず、とても辛いです。
EIKOさんもお母様をなくされたとの由、同じ思いを味わった者として心中お察し申し上げます。お盆にはお母様の御霊と心ゆくまでお話できましたでしょうか?
お互い、辛いですよね。

投稿 カミタクこと神山卓也 | 2007年8月15日 (水) 06時57分

カミタクさんも、大変悲しい思いをされたのですね!

私も、もう1昨年になりますが、弟が心筋梗塞で突然亡くなりました。
この2年ほど、何も希望を持てずに過ごしてきました。
でも、何もわからないとはいえ(認知症です)まだ母が生きているので最後の親孝行と、鹿児島と群馬を行ったり来たりしてます。

カミタクさんのブログを読んでいて、つい自分のことと重ね合わせ涙しております。

自分でも頑張れないので、頑張りましょう・・・なんて言えませんが・・。
人間って悲しいものですね!!

投稿 beryoska | 2008年4月 5日 (土) 21時38分

beryoskaさん、コメントありがとうございます。

beryoskaさんも悲しい思いをされたのですね。お母様がまだ生きておられるとの由、鹿児島と群馬の往復とは結構大変かとは思いますが、大切にしていただきたいと思います。

投稿 カミタクこと神山卓也 | 2008年4月 6日 (日) 11時16分

はじめまして
おととしたった一人の肉親の母を亡くして
現在、孤独とゆう第二の喪失感と戦っております。でもきっと誰かもどこかでやはり一生懸命生きておられる方はいるはずと探しておりました。やっと最近は母のことを思い出すことにためらいを感じなくなり一緒に行った場所へ足をのばすこともできるようになりました、今まではとても辛くて思い出すのも辛かったのですが…カミタクさんも思い出の場所に行ったりと、日々を乗り越えてらっしゃるのを拝見すると私もこの悲しみを近いうちにもうすぐ乗り越えられるのかなって思います。お互い自分を責めずに後悔せずにこの先生きていきたいものですね!長生きしましょうね!
下手な文章ですみません。

投稿 工藤 | 2008年5月22日 (木) 20時36分

工藤さん、コメントありがとうございます。

工藤さんもお母様を亡くされたのですね。思い出のスポットに行くと、悲しいけれど亡き両親とつながっているような気がして癒されます。父と母の命は消えてしまっても、私が生きている限り、誰も思い出だけは奪うことはできません。

お互い、あの世の親が悲しまないように、元気で生きていいきましょう。

投稿 カミタクこと神山卓也 | 2008年5月24日 (土) 01時13分

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