両親と歌舞伎にはもう行けない
10月11日の日記に書いたとおり、一昨年・2005年の10月21日には、拙職場の先輩がくれたチケットで両親は歌舞伎を楽しんでいました。その頃私は、当時の赴任地・鹿児島で休暇を取って屋久島に行き、憧れの秘湯・平内海中温泉や、屋久島いわさきホテル、JRホテル屋久島、尾之間温泉などの温泉や、ヤクスギランド、白谷雲水峽、ボタニカル・リサーチ・パークなどを楽しみ、屋久島のお土産を横浜の 実家に送ったら亡母に喜んで貰えたのでした。旅行先のお土産を送ると亡母は必ず御礼(兼)近況報告のハガキをくれ、それがちょっとした楽しみでした。電話 をかけたら、歌舞伎がとても楽しかったと、亡父も亡母も興奮して話してくれました。・・・私にとっては、とても幸せな日々でした。
その翌々月、後に2006年11月11日の死に至る、もやもや病に起因する脳溢血の発作で母が倒れて正月に帰省した時には入院していました。一旦は回復して喜んだのも束の間、2006年6月には今度は、もやもや病に起因する脳梗塞で母が再び倒れて、意識はあるがしゃべれず動けない状況に陥り、衰弱して同年11月11日に死んでしまいました。母が死ぬ直前、丁度2006年10月21日に帰省していた時に父は、「わずか一年前に一緒に歌舞伎を楽しんだのが嘘のようだ」と嘆いていました。
そして今度は、母の在宅看護で体力を消耗したことに加えて、母の死の気落ちで急速に老化が進んでいた父が、まるで愛しい妻(=私の母)の後を追うようにして、心筋梗塞で死んでしまいました。転勤族の私はそばにいてあげられず、大好きな父を孤独死させてしまいました。発見されないまま3日間、父はさぞや寂しがったであろうと思います。
わずか2年前、わずか2年前、あんなに家族は幸せだったのに・・・。そして、もう十数年前になりますが、歌舞伎座や浅草に私も一緒に歌舞伎を見に行った時もあったのに・・・。もう、家族が揃っていて幸せだった日々は二度と戻って来ない。両親と歌舞伎を楽しむ機会は二度と来ないし、旅行してもお土産を送る実家に両親はいないし、母からハガキが戻って来ることも、これからは無い。両親が歌舞伎を楽しんで2年が過ぎ、失ったものの大きさに耐え難く思います。父や母に会いたい、切実にそう思います。
母の死から約1年、父の死から約3ヶ月、私の悲しみは癒えることがありません。わずか二年前の幸せだった日々・・・今の心境を夢にだに想像することすらできなかった当時に、戻れるものなら戻りたいです。そしてもちろん、それより前の両親がまだ生きていてくれた時期にならばいつでも、戻れるものならば戻りたいです。
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