父の死亡叙勲
今年(2007年)8月5日に死んだ父
http://kamitaku.cocolog-nifty.com/rock/2007/08/post_9a0e.html
http://kamitaku.cocolog-nifty.com/rock/2007/08/post_bb3e.html
の死亡叙勲があり、瑞宝双光章をいただきました。
亡父は現役時代は気象庁に奉職しており、気象庁での父の本籍部門(兼)最後の職場であった東京管区気象台が手続きを取ってくれたものです。
気象,防衛,海上保安,警察,消防など、国家公務員と地方公務員を問わず、「365日24時間営業,命や体を張っての現業系公務員」は長年公務に より公益に励むと、(恐らくは生存者叙勲を受けなかった場合、)死後に死亡叙勲を受ける権利を有します。今回の死亡叙勲は、この叙勲の手続きを、東京管区気象台がとってくれたものです。私は詳しくはないのですが、春秋叙勲にはどうやら生存者叙勲もあるようなのですが、死亡の場合には個人に位階も授けられます。
亡父は、勲章としては瑞宝双光章をいただき、それに関して勲記をいただき、位階としては正七位をいただきました。内閣府HP・日本の勲章・褒章・勲章の種類及び授与対象によれば、瑞宝章とは「公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた方」との由です。写真は、勲章と勲記と、正七位の位階の位記と、それから、父の生前の最後に私が当時住んでいた鹿児島から故郷・横浜に帰省できた際に、生前の亡父と一緒に亡母の墓参りに行った際に写した、最後の父の写真です。
叙勲が死亡叙勲なのであれば叙勲されなくても良いから父にはいつまでも生きていて欲しかったというのが本音です。ですが、叙勲手続きをお願い申し上げたのは、今さら生き返ることが不可能になった旨を前提とすれば、長年に渡り気象庁で防災業務に従事した父の公共心に鑑み、父が頑張ってきた証、父が生きていてくれた証を残したかったからです。悲しいけれど、こういう形でも父の生前・現役時代の防災業務の苦労に報いたい、と思いました。
よくは分からないのですが死亡叙勲があるということは、叙勲の陰には多くの遺族の涙や悲しみがあるのだと思います。そう考えると、叙勲というもの がとても重くせつなく悲しいものに思えます。私も・・・最愛の父を、それも孤独死させてしまうという形で失ってしまった・・・。叙勲で父が生き返ってくれ る訳ではないけれど、「父の防災業務の公務に報いたい」という思いが天国の父に伝わってくれたら本望だと思います。
なお、叙勲や位階等に関しては、以下のHPで詳しく解説されています。
○ 内閣府HP・日本の勲章・褒章
http://
○ ウィキペディア・勲章
http://
○ ウィキペディア・位階
http://
◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事
○ 今度は父の死亡
○ 父の死の状況
○ 父と晩酌
○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか
○ 今日は納骨日
○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店
○ 父の孤独死
等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/169624/16645020
この記事へのトラックバック一覧です: 父の死亡叙勲:






コメント
はじめまして、名古屋市在住の主婦、えると申します。
褒章のことを調べていて神山さまのブログにたどりつき、びっくりしました。実はうちの父も、大阪管区気象台に40数年間勤務し、退官後母と二人暮らしでしたが、昨年10月自宅にて転倒、遷延性意識障害のまま半年入院し、本年5月他界しました。その際叙勲を受けたのですが、瑞宝双光章、正七位と、神山さまのお父さまとまったく同じです。
私には父の叙勲については少しひっかかりがあるのですが、神山さまが厳粛に受け止めて、お父さまへの尊敬と慰労の念を新たにされている様子を拝見し、それを忘れてはいけなかったと反省いたしました。
いま、母が実家で一人暮らしをしております。「孤独死」という言葉が胸に突き刺さります。
投稿 える | 2007年11月 6日 (火) 12時57分
える様、コメントありがとうございます。
気象庁のような、265日24時間「営業」3交代夜勤アリ、正月3が日三日間とも家にいることはない、というような、社会のインフラ的現業で頑張っている公務員が、死亡叙勲されることは良いことだと思います。防災業務に対する父の使命感は子供心にも感じるものがあり、なかなか休日が重ならなくても「誇りではあっても寂しくはなかった」ですし、また、子供の頃、希に休日が重なると私と時間を共にしてくれた父の愛が、今思いだしても、とてもうれしかったです。
本当は叙勲されなくても構わないからいつまでも生きていて欲しかったのですが、父が一所懸命に尽くした防災業務の証を残すことが父の人生に報いることだと思い、地震など災害が多い今日、防災の念も込めて、大好きな父のために死亡叙勲申請をした次第です。
える様も私もそうですが、地道に生きてきた気象庁職員が死ぬと死亡叙勲されるということは、叙勲の陰には遺族の数多くの涙や悲しみがあるのだと最近思うようになりました。
お母様を大切にして下さいませ。父を孤独死させてしまった
http://kamitaku.cocolog-nifty.com/rock/2007/10/post_afe1.html
自分の反省に鑑みれば、独り暮らしで業務多忙なために平日は家に帰れば「電話するには失礼な」夜遅い時間であることもあり、1週間か2週間に1度しか実家に連絡をできていなかったのですが、1週間や2週間に1度では頻度としては足りなかったのだろうと思います。私のような、大好きな親を孤独死させてしまった自責の念を未然防止するためには、連絡の頻度は頻繁であればある程よろしかろうと思います。私の場合も毎日電話できていれば、孤独死自体は物理的に防げなかったとしても、せめて、少なくとも、死後3日間発見されなかったような事態は防げたのではないか、と思います。大好きな父を死んだまま3日間も発見されない状況にしてしまい、いくら後悔しても後悔しつくせない程、父に対して申し訳ない思いでいっぱいです。
投稿 カミタクこと神山卓也 | 2007年11月 7日 (水) 00時12分