お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?
本年(2007年)8月5日に死んだ亡父の遺品の中に、横濱タウン新聞・アカデミア港南台主催の「講師と行く歌舞伎観劇・舞台裏見学ツアー」に申し込んだ書類一式が出て来た旨は、既に8月16日の日記に書いたとおりです。
今日は当日です。席はキャンセルせずにアカデミア港南台の担当の方に亡父と亡母の遺影を預かっていただき、亡父と亡母とを連れて行っていただいた筈です。舞台裏を見られるツアーで生前の父は楽しみにしていたの由です。天国に行ってしまった父も今日、国立劇場に天国から降りてきて、歌舞伎観劇を楽しんでくれただろうか・・・と思います。
8月16日の日記に書いたとおり、亡父と亡母は歌舞伎が大好きで、会社の先輩から貰った歌舞伎の券をプレゼントして、2005年10月21日に2人で見に行った、国立劇場公 演「操花鳥羽恋塚」は、亡母がまだ元気だった最後の時期の夫婦デートの思い出として晩年の父には忘れられない大切な思い出になっていました。早いもので今 思えば、その夫婦デート歌舞伎観劇は、既に一昨年のことです。昨2006年10月に母が心配で実家に帰った時には、死を迎えつつある母の在宅看護をしなが ら、「1年前、一緒に歌舞伎を見に行った時はあんなに元気だったのに」と父は嘆いていました。その翌月、昨年(2006年)11月11日(土)に母が死に、後を追うようにして今年(2007年)8月5日(日)に父が死に、父も母もいなくなってしまいました。
丁度、今日の場所は、父にとっては亡母との思い出の場所である国立劇場です。お父さん、お母さんとの久し振りの歌舞伎、今日は楽しんでいただけましたか?。できれば生きて今日の観劇をしたかったであろう、遺影の父に話しかける夜です。
後日補記:横濱タウン新聞HP内の「編集室のこぼれ話」欄に、この歌舞伎観劇ツアーの模様が載っています。遺影の両親も楽しんで貰えた模様で、亡き両親についてもコメントしていただけました。どうもありがとうございます。
◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事
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コメント
こんにちは。
以前掲示板に短歌について書き込みした者です。今日も正岡子規についての部分を再度読ませていただき、
こちらに回りましたら、今度はお父さまがお亡くなりと知り、たいへん驚きました。
お悲しみ、いかほどかとお察し申し上げ、心からお悔やみ申し上げます。
私自身も4月末に実父を亡くしたばかりで、何とお慰めしたらよいかわかりませんが、
お気を落とさずに、どうぞ、お体おいたわりください。歌もこういうときには、逆にお辛いかと思います。
何か少しでも気の休まる時間が見つかりますように、お祈りいたしております。
投稿: Etuko | 2007年10月15日 (月) 20時16分
Etukoさん、コメントありがとうございます。
Etukoさんもお父様を亡くされたのですね。お互いに辛いですね。
投稿: カミタクこと神山卓也 | 2007年10月16日 (火) 00時19分
初めて書き込みさせていただきます。
私も生まれてはじめての歌舞伎、多いに楽しませていただきました。
笑ったり、驚いたり、ほろっときたり・・・・きっと生前のお二人もこのようにして楽しまれていたのだなぁ・・・・と、思います。
今回はご子息の代わりに、親孝行の役得を承り、とても素敵な一日となりました。
どうもありがとうございました。
まだまだ、ご両親がいなくなった空気に慣れることはないとは思いますが、どうぞお身体ご自愛くださいませ。
投稿: すたっふまっきー@横濱タウン新聞 | 2007年10月19日 (金) 21時34分
すたっふまっきー@横濱タウン新聞さん、コメントどうもありがとうございます。そして、亡父と亡母の遺影を国立劇場まで連れて行って下さり、誠にありがとうございます。生まれて初めての歌舞伎だったのですね。きっと、新鮮な驚きの感動があったことかと拝察いたします。
歌舞伎はよく西洋のオペラと対比されますが、オペラは貴族の文化であるのに対して、歌舞伎は長屋の八つぁん熊さんの女房達の文化だったんだ、というのが父の口癖で、江戸時代の庶民が娯楽として歌舞伎を楽しんでいたという点が、江戸時代の庶民の文化水準の高さの証左なのだそうです。「庶民の文化の格が上がっていく」のが日本文化で、「貴族から降りてくる」のが西洋文明(に限らず日本以外のほとんど)で、これは誇るべきことなんだ、というのが父の持論でした。歌舞伎には、例えば忠臣蔵で実名を幕府から禁じられたら高師直を吉良上野介に擬すなど歴史をパロディー化したネタも多いので、歌舞伎が「八つぁん熊さんクラスの娯楽」だっということは、当時の江戸の街の庶民の歴史に関する教養・素養の高さの証左だと私も思います。パロディーにして娯楽にして遊べるということは単なる「お勉強」の域では不可能なことですので、相当レベルが高いです。
上述のような話を、生前の父とよく親子晩酌をしながら話していました。いま思えば、私が両親と一緒に歌舞伎を見に行った最後の思い出は今から10年以上前のことでした。その時は浅草でやっていた歌舞伎を見に行ったのですが、もう二度と戻ることのない思い出になってしまいました。上述ような歌舞伎の話を父とする機会も、もうありません。また、その時に家族で楽しんだ上野-浅草間の2階建てバス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%96%B6%E3%83%90%E3%82%B9%E5%8D%97%E5%8D%83%E4%BD%8F%E5%96%B6%E6%A5%AD%E6%89%80#.E4.BA.8C.E9.9A.8E01.E7.B3.BB.E7.B5.B1
も、今では既に無くなってしまいました・・・。東銀座の歌舞伎座に夫婦で行く度に立ち寄ったレストランがあるそうなのですが、私は一緒にそこに行ったことがなく、亡父と亡母の思い出の場所を聞き出す前に父に死なれてしまったので、その点では両親の足跡を辿ることも叶いません。いろいろと寂しいです。悲しいです。「実家に帰れば両親がいる」という当時は当たり前だと思っていたことが、失ってみて今日、いかに幸せなことだったのかとつくづく実感いたします。もう、二度と戻って来ない日々・・・。
いつの間にか歌舞伎に行かなくなってしまった理由が経済事情によるものだった旨を母の死後、父の生前に聴き、両親の生前にそれを知っていればもっとたくさん一緒に連れて行ってあげたのに・・・と、今さらながら悔しく思います。もう一度、両親と歌舞伎を見に行きたい・・・。
きっときっと、大好きな歌舞伎を見に連れて行っていただけて、天国の両親は感謝していると思います。本当に、どうもありがとうございました。
PS.両親の足跡を辿るという意味では、将来いつか私も引退して、両親が老後を過ごした横浜の実家に戻って来られたら、両親が楽しんだアカデミア港南台に通うのが、ささやかな私の夢の一つです。その際には、よろしくお願い申し上げます・・・独身売れ残りの私は、叶うならば両親のように、一緒に行ける伴侶にそれまでの間に巡り会えれば良いのですが・・・。
投稿: カミタクこと神山卓也 | 2007年10月20日 (土) 00時52分
カミタクさん、いつもここに来ては、あなた様のご両親さまに対する気持に自分の気持ちを重ねております。日が短くになるにつれ、こんな日差しのなかで母と過ごしたわ、と思って泣いてしまいました。後悔ばかりだけれど、もう少し泣かせてねって母に言っています。
投稿: EIKO | 2007年10月21日 (日) 22時08分
EIKOさん、コメントありがとうございます。レスが遅れてしまい申し訳ありません。EIKOさんもお母様を亡くされて、さぞやお辛かろうと思います。
丁度、コメントをいただいた10月21日は、その2年前の同じ日に、両親共に元気だった最後の時期の両親が、国立劇場で歌舞伎観劇を楽しんだ日
http://kamitaku.cocolog-nifty.com/rock/2007/10/post_8e94.html
です。わずか2年前は幸せだったのに・・・と思うと、とても悲しいです。
投稿: カミタクこと神山卓也 | 2007年10月31日 (水) 00時04分