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2008年5月 5日 (月)

友人のお父上のお通夜

今日は、新人の頃の配属先での会社同期の旧友のお父上のお通夜がありました。

お別れやご香典はご遠慮という話で、その趣旨が「来なくてもいい」か「来ねぇでくれ」かどちらか不明で、例えば家族葬か何かで行ったら場違いでご迷惑だったらどうしようと思い、直前まで行くべきか行かざるべきか迷いました。結局、式場の近くで様子を伺って、場違いだったら回れ右しようと思って出かけました。行ってみたところ、「一旦外から覗いて」という状況ではなかったため参列し、結果論としては友人の参列もアリでした。

その友人は、一昨年2006年11月11日に死んだ亡母の通夜にも、昨年2007年8月5日に死んだ亡父の通夜にも、私が以前いた、その部門の香典を取りまとめて代表として来てくれた友人二人の中の一人です。私が悲しくてボロボロ状態で崩れ落ちそうな時に来てくれたのは、私にとってはありがたかったので、上述のように「行っても構わないか否か不明」状況でも「自分は行かなきゃ」と思った訳です。特に、亡父の時には孤独死させてしまって父に申し訳なかったし、突然のことだしショックだし悲しいし、心底崩れ落ちそうな状況だったので、来てくれたことが心の支えになったのでした(他の友人も同様)。元々、公(仕事)の上でも私(友情)の上でも、仲間としては理想的とは言い難い私にも優しく付き合ってくれる友人だったので、ただでさえ「足を向けて寝ちゃぁ、渡世の仁義が通らねぇだろ!」という友人の中の一人だったことに加えて、上述のような当家葬儀の際の恩義があったので、なおさらです。

こんな経緯があったため、自分の亡き両親への思いがその友人の悲しみにシンクロしてしまい、読経の際に自分が泣き出しそうになってしまいました。故人と面識のない参列者が泣くのは変だし、「その友人が涙をこらえているのに自分がないちゃぁ、べらぼうにマズイだろ」と思い、必死になって涙をこらえました。

式後、その友人が参列者に挨拶に来た際、それまでこらえていたその友人が、私と話した途端に涙をこぼし、私ももう我慢しなくてよいのだと悟ったので涙をこらえることを止めました。父を亡くした者同士、感情がシンクロして共鳴している旨が分かったからです。周囲の、かつての拙職場の先輩や仲間達も、その友人と私の感情のシンクロや共鳴が分かった模様でした。

私も辛かったけど、その友人も辛ぇだろうなぁ、と思いました。若かりし頃は、家族を亡くす悲しみは頭では察しても心でシンクロしたり共鳴したりすることは無かったのですが、自分が親を亡くすとよく分かります。分かってしまうことが悲しい、決してうれしくはない、心の成長です。

なお、葬儀の際、「孫一同」名義の花輪があったのを見て、その友人は、私とは異なり親孝行で「やるべきことはやった」見送り方ができたのだと思いました。売れ残り独身の私は、孫の顔を亡父や亡母に見せてあげることが叶いませんでした。私も、その友人のように、亡父や亡母に孫の顔を見せたかったなぁ・・・。

 

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