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2009年1月 2日 (金)

あけましておめでとうございます(長文注意)。

あけましておめでとうございます(長文注意)。
あけましておめでとうございます(長文注意)。
あけましておめでとうございます(長文注意)。
あけましておめでとうございます(長文注意)。

あけましておめでとうございます。

昨年は日本全体が辛く苦しい一年でしたが、今年こそは明るく楽しい年にしたいですよね。

二○○六年、二○○七年と相次いで両親を失い、売れ残り負け犬の私は家族を失って寂しく孤独で悲しい正月もこれで二回目ですが、結婚して再び家族に恵まれて暖かな家庭で過ごす夢をまだ諦めてはいないので、今年こそ素敵な出会いに恵まれるように頑張らなくっちゃ。最近では「就活(就職活動)」になぞらえて「婚活(結婚活動)」という言葉さえある程に結婚も簡単ではありませんが、婚活を一緒懸命に頑張ろうと思います。父が私にしてくれたような教育を子供にもしてやりたいし、例えば「老後は買い物もいつも一緒で毎日がデート状態」だったような両親のように理想の夫婦になりたいですし。今の私には、家族の重要さが切実によく分かります。

また、武家の嫡男(、いや、父の死後の今は当主)としては、我が代で家系を絶やす訳にはいきませんし・・・こんなこと書くと古いと言われるかも知れませんが、アタマデッカチで観念論的なへ理屈こ理屈を離れて考えれば、血統を代々つなげていくというのは生物の種が存続していくためにはべらぼうに重要なことです。ヒトである以前にそもそも生物として、私は自分の子供が欲しいです。私は、自分のDNAを伝えたいです。思いをはせてみれば、最初の単細胞生物が出現して以来、そして、その単細胞生物が多細胞生物に進化して細胞分裂による「再生産」が不可能になったために「有性生殖と、個体の死」が生じて以来(注:細胞分裂で生殖活動する単細胞生物の場合、事故死や「捕食されての死」はあっても老化による死は無い)、何億年もの気の遠くなるような長い間、一世代も途切れることなくお父さん、お母さんが命を伝えてくれたからこそ、今の私達はいるのです。無脊椎動物の時期から魚類、両生類、爬虫類、哺乳類になってからもヒトに進化するまでの間に様々な形のご先祖様がいましたが、その過程でどの一世代でも、子孫を設ける前に外敵に捕食されちゃったり事故や病気や飢えに遭遇しちゃったりして死ぬ前に、都度都度のお父さん動物、お母さん動物が子供を作ることに成功したからこそ、私達は今ここにいるのです。命のバトンタッチに何億年も成功できてきた・・・それって凄いことだと思いませんか?。そう考えると、私は「命のバトンタッチ」を自分の代で失敗させてはいけないと思うのです。

うん、「命のバトンタッチ」頑張らなくっちゃ!・・・結婚したいよー!(←現在売れ残り負け犬独りぼっち状態)。公私に渡って崖っぷちで辛いけど、このまま死んでたまるか、べらんめぇ。頑張ってサバイバルしなくっちゃ!。

今日は両親の墓参りに行きました。最近の私の楽しみは、横浜に帰省して、霊園に眠る両親に会いに行って、思いきり泣くことです。生きた両親にはもう会えないので、お墓まで会いに行きます。ありたいことに、年末年始に誰か来て下さったみたいで、花がありました。叔父かな?。私が持参した生花と併せて花が多いので、花が好きだった亡母はきっと喜んでくれるでしょう。

行きの途中の駅に、この冬の神奈川県の観光キャンペーン・ポスターがありました。かながわ観光親善大使・船越英一郎さんの応援挨拶付きのポスターです。皆様、観光の際には神奈川県をよろしくお願いします!。もちろん、現任地の愛知県や、前任地の鹿児島、その他我が第一、第二の故郷の他の地域も同様ですが。

特に神奈川県では、我が故郷・横浜市は、今年・二〇〇九年は横浜開港一五〇年です!。その博覧会のポスターもありました。

四年前、家族が元気に揃っていた頃までは、正月の二日は鎌倉鶴岡八幡宮に行くのが一家の楽しみでした。もう二度と戻って来ない、家族がまだ幸せだった頃の習慣です。今は両親とも死んでしまったので墓参りですが、帰りがけに寄り道して鶴岡八幡宮の代わりに、横浜市金沢区・金沢八景瀬戸三島大明神「瀬戸神社」に寄って来ました。思わず、縁結びのお守りを買っちゃいました。今年こそ、素敵な出会いがあるといいな。

 

 

◎ 両親の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 挽歌~父の死,母の死に関して詠んだ短歌

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

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2009年1月 1日 (木)

独りぼっちの大晦日・その2

もう、年があけちゃいましたが・・・

今年の紅白歌合戦で、森進一が「おふくろさん」を歌っていました。両親を亡くして悲しい私には、感動できる曲でした。森進一がこの歌を再び歌えるようになって良かったと思います。

実家に帰るのが遅かったので、布施明の「君は薔薇より美しい」を聴き逃してしまいました。この曲は、私の記憶に誤りがなければ確か一九七九年の曲。高校受験の頃に流れていたと思います。

安月給の公務員の家に生まれてきたのに、中学を出た場所である、当時の父の赴任地・札幌の公立高校に行きたくなくて、生まれ故郷・東京の国・私立進学校に 行きたいなどという(経済的に)身分不相応なわがままを許してくれた両親・・・。曲を聴くと、その曲が流行っていた頃の家族の歴史を思い出し、改めて両親 の私への愛の深さに涙がこぼれ落ちます。

余談ですが、私が札幌で中学を出たのは父の赴任が妻子帯同だったからです。当時の国家公務員は単身赴任は珍しかったと思います。理由は、単身赴任の前提条件である「持ち家」を持てる程に豊かではなかったからです。持ち家はあったらあったでローンで家計が苦しいという話はあるのかもしれませんが、ローン云々以 前に「そもそも買えない」という状況でしたので、(現在はどうか知りませんが少なくとも当時は)家族と一緒に転勤するのが当然のことでした。家族が父の赴 任地で暮らしていたのも当時は「持ち家なんか無かった」からで、結局、我が家では寮のある高校を選んで、子供(私)が家を出たのでした。

話を本題に戻します。

子供の頃は、いや、大人になっても最近までは懐メロに対しては純粋に音楽的な名曲としての価値しか分かりませんでした。懐メロには、悲しくせつなく「あの頃」を思い出させてくれる力があるのだと、両親を亡くしてから知りました(昔のドラマや映画も同様)。

「君は薔薇より美しい」、聴きたかったなぁ・・・。

 

 

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