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2010年1月31日 (日)

叔父の死(長文注意)

 過去の以下の日記に書いておりました、末期癌で死の床にあった叔父(母方の叔父)が、平成22(2010)年1月22日(金)、衣笠病院ホスピスにて召天いたしました。80歳でした。
○ 末期癌の叔父とひつまぶし(長文注意)(2009/12/27)
○ 最後の晩餐(恐らく)(2010/01/01)

 叔父は、子供ができない夫婦でしたので元々我が子のように私をかわいがってくれた人であり、奥様(私にとっては叔母)を平成13(2001)年9月20日に失って以来、親族で唯一の次世代の者である私をかわいがってくれて、私の両親の死後は親代わりのような存在でした。その意味では通常の叔父・甥よりもつながりが深かったと思いますので、見送る側としても、悲しみはとても深いです。この叔父は、亡母の兄になります。

 平成21(2009)年11月に衣笠病院ホスピスに転院する前、同年秋に昭和大学附属病院(旗の台病院)に入院した後の同年10月以降、私はほぼ毎週のように横浜に帰省して故郷・横浜を起点としたり、現赴任地・名古屋から日帰りしたりして叔父の見舞いに行っておりました。昨年の拙日記でも述べたとおり、会える機会に会っておきたいと考えたからです。亡母の際には死に目に会えず亡父の際には転勤族の悲哀で、死に目に会えないどころか孤独死さえさせてしまったことが心の傷として残っている私にとっては、叔父が死ぬ前に十分な別れの時間を持てたことと、私自身は叔父の死に目には会えませんでしたが、他の方々に看取られて「寂しくなく」叔父は逝けましたので、後悔しない見送りができたと思います。

 葬儀は平成22(2010)年1月25日(月)13時から、鎌倉鎌倉泉水教会で行われました。上述のとおり親同然の叔父でしたので、上司の許可を得て有給休暇をいただき、葬儀に参列いたしました。叔父はプロテスタント(新教)キリスト教徒で、大森めぐみ教会で受洗しており、このため、日本基督教団所属の教会として途中に転籍していた鎌倉泉水教会での葬儀となりました。余談ですが、大森めぐみ教会附属めぐみ幼稚園は、私が幼い頃に入園していた幼稚園です(が、入園理由は叔父が所属していた教会だからではなく、転勤族だった亡父の当時の官舎に近い幼稚園の中で最も気に入った幼稚園だったからでした。誤解を避けるべく念のため)。

 例えば聖書のどの箇所を読むか、どの賛美歌を歌うか、開始前と終了後のBGMに何を用いるか、お別れの言葉を述べて下さる方やオルガン奏者を誰 に依頼するか、等々、式次第は全て生前に叔父本人が決めていたのだそうです。叔父らしい立派な逝き方だと思いました。叔父がこの世に生きていてくれていた 記録残しと兼ねて、叔父が選んだものを、以下のとおり示します。
○ 招詞:  詩篇4章9節
○ 賛美歌:514番(故人愛唱歌),405番,251番,541番
(なお、賛美歌については、ホームページ「讃美歌集ー日暮れて四方は暗くー」でご参照可能です(注:リンク先URLは2010年1月現在)。)
○ 聖書: ヘブライ人への手紙・第11章13節,ペトロの手紙一・第2章11~12節
○ BGM:アメイジング・グレイス。叔父が病床でよくかけていた曲で、ただでさえ悲しい曲なので、涙があふれ出て来てしまいました。

 この叔父は、家族や親戚の中では亡き両親の 次に私に影響を与えてくれた人です。現役時代は最初は銀行マンで、銀行を早期退職後、一時期或るスーパー・マーケットの役員に転じていた時期がありまし た。これらの時期の以下の2つのエピソードは、若かりし頃の私に、職業人としての志や気骨、気構えについて大いに影響を与えたエピソードです。
○ エピソード1
 或る支店の支店長時代に配属直後の部下が痴漢事件を起こしたことがありました。その銀行では信賞必罰ですので、部下のミスは直属の上司全てに とってもマイナス・ポイントになります。ところが「配属直後」だったので「本来、そのダメ新人の適性を見抜けなかった人事部が悪いのに現場の支店内課長な どが処罰を受けるのは酷だ」として、「支店長の自分が責任を背負って失脚するから、代わりに、自分とダメ新人との間の職位の人々を助けて欲しい」と本部に 直訴し、失脚する範囲を自分1人に止めました。
○ エピソード2
 スーパー・マーケット役員時代に、そのスーパーの中国進出に1人反対して創業者と対立し、クビになりました。死の床にあった叔父に訊いたところ では、後年、その事業はうまくいかず、スーパーに残った人から「先見の明があった」と言われたとの由です。この、会社のトップが熱意を持って進めようとし ても「ダメだ」と判断したら、クビになってもいいから反対する姿勢が、私にとっては尊敬に値する点です。

 私の現赴任地・名古屋では、「名古屋近郊の津島市戦国時代には尾張国を代表する港であり、織田信長の家系がこの港湾地域を領有したことが財政上の豊かさをもたらし、それが織田信秀織田信長による尾張国統一事業の経済的背景になったので、歴史探訪しに行くとおもしろいよ」という情報を私に教えてくれたのは叔父です。私は歴史が大好きなのですが、不覚・不勉強・うかつなことに戦国時代尾張国における津島の重要性を見逃しておりましたので、赴任地での歴史探訪上、良いアドバイスになりました。

 叔父に食欲があった最後の日に、所望されていたひつまぶしを届けることができたのは、自分としては「間に合って良かった」と思います。とても悲しいですが、叔父は叔母のことを愛していたので、天国で再会できていたらいいなぁ、と思います。と同時に、葬儀に参列して、キリスト教の教会におけるコミュニティの強さも実感しました。

 叔父が生前お世話になった全ての方に、お礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

Photo

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 写真は、一番上が昨夏、まだ自宅にいられた最後の時期の叔父と共に写した写真です。2番目と3番目は、叔父の葬儀の際の鎌倉泉水教会の内部の写真です。

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最後の晩餐(恐らく)

 

mixiでは平成20(2010)年1月1日に掲載した日記の転載です。

 数日前の日記「末期癌の叔父とひつまぶし(長文注意)」の続きです。

 叔父が、身近な人と共にひつまぶしを食べたいというので、大晦日の日に再び、名古屋名古屋駅西口地下街「エスカ」・「備長」のひつまぶしを買って、衣笠病院ホスピスに行きました。

 叔父はもう、食える状況ではないので、「ひつまぶしを一緒に食いたい」は「食いたい」よりも「一緒に」の方に重点があるのだろうと思います。それでも、少しだけ叔父もひつまぶしを食べることができました。

 見送るためのゴール間際の状況ですので、恐らくこれが、叔父と一緒に飯を食う最後になるだろうと思います(後日補注:実際にそうなりました)

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末期癌の叔父とひつまぶし(長文注意)

 以下の日記は、mixiでは平成21(2009)年12月27日に書いたものの転載です(ので、若干、タイムラグがあります)。

 私の母方の叔父の内の1人が、今(2009年12月現在)、末期癌で死の床にあります。

 その叔父は、子供ができないまま恋女房(私にとっての義理の叔母)を8年前に亡くして自分自身の跡継ぎがいないこともあり、両親を亡くしてから後の私にとっては親代わりの後見人とも言うべき存在でいてくれた人であり、「親戚と言うよりはむしろ、家族に近い」叔父です。私が幼かった頃からお世話になった叔父でした。

 今は、衣笠病院ホスピスに入院していて、静かに死を待っています。年末まで持つかどうかという状況です。プロテスタント系の病院である衣笠病院ホスピスに入ったことから窺えるように、叔父はキリスト教プロテスタントの信仰を持っているので、本人は平静な心で死と向き合っています。

 上述のとおり「年末まで持つか」という状況ですので、会えるうちに会っておかないと一生会えないかも知れないと思い、ここ1ヶ月ほどは毎週末神奈川に帰って、叔父のお見舞いに行っておりました。

 先々週(12月13日(日))に神奈川県に帰省した際に、叔父は、名古屋名古屋駅西口地下街「エスカ」にあるひつまぶしの店「備長」のひつまぶしを食べたいと言っておりました。このため、先週(12月20日(日))、買って行きました。

 本日現在、叔父はまだ生きていてくれているのですが、12月21日(月)にさらに容態が悪化し、12月23日(水)の祝日に再び日帰りで見舞いに行きました。その時に聞いた話によれば、21日以降、食べることもできなくなったとの由です。

 

ひつまぶしを 持っていった日は、食べ物を食べられた最後の夜だったとの由です。その地下街の店に叔父がどのような思い出を持っていたのかは存じ上げません。ただ、食べ られる内に食べたいと希望していた訳ですから、食べることが可能なギリギリのタイミングで持っていくのが間に合って、良かったと思います。

 ところで、かつて私には高校時 代に大切な友達がいて、ところが、その友人は社会人なって1年目に、骨肉腫の手術の術後が悪くて死んでしまいました。彼とは仲良かったのですが別々の大学 に進学した大学時代、なまじ近い所に住んでいたので「いつでも会える」と思っている内に一緒に遊ぶ機会をなかなか作れないままお互いに大学を出てしまいま した。手術の前、入院先にお見舞いに行ったのですが、まさか後に死ぬとは思っていなかったので、「これが話をする最後」だとは当時は思っていませんでし た。でも、そのお見舞いにいけたおかげで「間に合った」訳であり、その時、お見舞いに行っていなかったら、私は一生後悔しただろうと思います。と同時に、 その友人のお見舞いには間に合ったとは申せ、大学時代に「いつでも会える」と思っている内に(高校の同窓会などの機会を除けば)会いそびれたことを後悔し ています。

 余談ながら、その友人のことは、後日の「お別れ会」が開かれた際にお父君は、私たちのことを気遣って「今日で息子のことは皆さん、忘れて下さ い」と言って下さったのですが、仲間のことを忘れろだなんて、それは無理な話です。だって、大切な友達を亡くしてしまったのですから。もう故人ですので、 固有名詞を出しても構わないですよね。亡くなってしまったかけがえのない友人の名前は、「松内君」と言います。

 松内君とはさらに別に、「いつでも会える」と思っている内に、本当に会いそびれたまま亡くなってしまった親友もありました。私は小学校1年生の 時に、異常に知能が高過ぎたために社会的に不適応でハミ出したことがあり、それを先生からは逆に知恵遅れと見なされて特殊学級に入る寸前に陥ったことがあ りました。その友達は、その時の友達です。当時は、地獄のような学校生活でした。特殊学級転級の判断の是非の調査のために或る研究所に行って検査したら、逆に、「知能が異常に高過ぎて学校生活に適応できずにハミ出しちゃっていた」旨が判明し、特殊学級入りを免れました。「紙一重」のあっち側に片足突っ込んじゃった状況だった訳です。つまり、知能の高低ではなく、「フツーか、ヘンか」の次元の問題だった訳です。

 まぁ、校長先生に「バカ」と言ってみたり、担任教師に「先生、そんな簡単なことも分からないんですか」とか、「先生、それ間違ってます。ウソ教えないで下さい」とか言っちゃうような子でしたから、恨まれもするでしょうね。元々県民性的にも、東京っ子の県民性には「偉い奴が言うことでも納得できなければケツまくるし、中でも気が強い奴は目上の人にも平気で『バカ』と言えちゃう」的な要素がありますので、歯止めが利かなかったのです。この県民性を漫画チックにデフォルメすれば、「勝海舟が上司(老中)に対して(酒の席ではなく、咸臨丸渡米の公的な帰朝報告の場で)相手をバカ呼ばわりして物議を醸した」り、「明治維新後に江戸の鎮守神である神田明神の主祭神の座から謀反人・平将門明治新政府が外したら、江戸っ子は主祭神の拝殿にはお参りせずに将門を祀ることになった摂社の社殿の方にお参りに行き、明治政府も根負けして将門を主祭神の座に戻した」りするなどの史実での行動パターンが、いかにも東京のこの県民性を如実に表すエピソードになります。余談ながら東京のこの県民性は、「納得しなければケツまくる反面、納得さえすれば命がけで頭脳プレーで尽くす」という側面でもあり、県民性的には硫黄島の戦いにおける戦功は、東京兵の県民性と指揮官の作戦指導との組み合わせが良かったという話でもあると私は思っております。玉砕戦する場合には、サイパンの戦いでのバンザイ玉砕よりも硫黄島の戦いの方が、東京の県民性には合っています。ただでさえ東京の県民性は「極端にデフォルメしたタイプの場合には勝海舟のように、上から見て扱い辛い」ことに加えて、おまけに加えて「『紙一重』のあっち側」の私は、相手が教師でも「バカ」とか「そんなことも、分からないの?」とか平気で言えちゃう子だったので、教師から見れば「いい子」になどなれる訳がありません。

 当時の担任教師の私への対応は異常でした。勉強なんかしなくてもテストは毎回100点なのに、通知票はオール1でした。 当時の私はこの矛盾に気づいていなかったのですが、この矛盾に気づいていた両親は、担任教師が何をほざこうと平然としていました。今でもこの時の両親には感謝しています。余談ながら両親は私が入学する前からハミ出すのは、そのような状況の発生原因や発生メカニズムも含めて既に予想しており、「想定の範囲内」だったので気にしなかったし、驚かなかったのだそうです。でも当時、当の本人の私にとっては「想定の範囲内」ではありませんから、地獄のような日々でした。

 級友達の親は私のことを低知能の子と思っていますから、「あの子と遊ぶとアタマ悪くなるから、一緒に遊んじゃダメ」と子供に言います。口先では綺麗事を言っている「偉そうなオバサン」程、実は差別を行い、言行不一致だったので状況の悪化に拍車が掛かります。生涯を通じては私は総じて友人には恵まれてきたのですが、その小1の1年間だけは例外的に、「誰も友達になってくれない」1年間でした。当時は「シカト」というイジメ方が無かった時代ですので、当時の感覚では「いじめられっ子」にさえなれない「仲間外れ」でした。その時に、差別することなく友人になってくれた数少ない友人がおり、そのような時に友人になってくれた友人は、自分にとっては「逆境の時にでも友人でいてくれる、本当の親友」です。正に、「まさかの友は真の友」です。その中でも一番の友人は、故人なので、固有名詞を出します。吉良君と言います。

 余談ながら名前から窺えるように吉良君は世田谷吉良氏(奥州吉良氏)の末裔であり、今にして思えば、私の祖先は奥州鎌倉室町幕府御家人稗貫氏(の庶流)であり、世田谷吉良氏(奥州吉良氏)吉良貞家奥州管領だった時期がありますから、中世の我が祖先の上官の子孫だということにもなります。

 話を本論に戻します。

 その地獄のような状況は、小2の時に父の転勤で東京から新潟に転校したことによって解消されました。高校進学時以降に東京に 戻ってきた時にも、会おうと思えば会えた筈なのに、「いつでも会える」と思っている内に会えないまま、吉良君は亡くなってしまいました。吉良君の訃報を聞 いたとき、これまでの自分の生涯でただ一度、「ショックで腰が抜けて歩けなくなり、倒れそうになった」体験をしました。親の死の方が悲しみの深さでは自分 にとってはショックでしたが、両親が死んだ際には、腰が抜けたり倒れそうになったりはしませんでした。

 

いずれにせよ、松内君や吉良君を亡くした体験から、私は、「『いつでも会える』は、一生会えないことになるかも知れない」という教訓を思い知りました

 その教訓があったにもかかわらず、私は、大好きな両親を親不孝な見送り方で見送ってしまいました。特に父は私が独身転勤族だから仕方なかったとは申せ孤独死させてしまったの で、多分、一生抱えていくことになるであろう心の傷になってしまいました。父が突然死すると事前に知っていたら、多忙な中でも無理して帰省する局面はあっ たのかも知れませんが、突然死するとなど思っていなかったので帰省しなかった週があり、そのことを今でも後悔しています。

 そのような体験や思いや反省もあり、叔父には、生きている内に会おうと思っております。前任地・鹿児島に比べれば近いとは申せ、名古屋からこのような事情で毎週のように神奈川県に行くのは結構心身共に疲れますし、経済的にも多少しんどいですが、「今、会っておかねば一生後悔する」と分かっているからこそ、会いに行くのです。

 上述のひつまぶしの 話は、「今でなければ会えない」という思いで疲れていても衣笠に行ったので間に合ったのでした。実は、その日は行くか行かずに休むか迷っておりましたが、 松内君や両親のことを思い出して、行くことに決めたのでした。ですから私の内面的には、叔父が食べることがまだ可能な内にひつまぶしを持っていくことに間に合ったのは、松内君や両親のおかげなのです。

 

「『いつでも会える』は、一生会えない」かも知れない。モデルを拡張して一般化すれば、「『いつでも行える』は、一生行えない」かも知れない。このことを、肝に銘じておこうと思います。今日も、昨夜は横浜に帰省して(注:私は東京生まれのハマっ子です)いるので、今日もこれから、叔父の見舞いに行く予定です。

 松内君も吉良君も両親も、死んでから後でも私にいろいろなことを教えてくれます。私は何もしてあげられなかったのに・・・。

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2010年1月17日 (日)

「明治温泉旅館入湯記」掲載(「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録)

☆ 「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録

  明治温泉旅館入湯記

 2010年1月、「明治温泉旅館入湯記」を新設しました。明治温泉旅館についての地図や交通案内、写真など詳しくはリンク先ご参照.。


大きな地図で見る

明治温泉旅館















詳しいご案内は  明治温泉旅館入湯記;

 

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ロックバンド・STATISTICSスタティスティックスの1stアルバムCD「せつなくて...sentimental season」(ジャケットは上(↑)の写真)収録曲(以下(↓)は曲の一部の無料試聴)

○ 夏よ終わらないで

○ 

○ 翔べ!! フェニックス Part II

○ Forever

○ 素敵な恋をいつもしていたいね

○ もっと素直に振る舞えたなら

○ I WANNA STAY MORE

○ 君は粉雪

○ ラブソングはもう歌えない

○ 彼女の素敵なBoy Friend

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2010年1月 8日 (金)

高松丸亀町商店街再開発~TV東京番組「ルビコンの決断」の感想(長文注意)

 いま、所属会社はお盆も営業していてお盆休みが無い代わりに、連続休暇をいつ取得しても構わないので正月に続けて連続休暇を取得しています。両親亡き後の実家の片づけ作業をしようとしているのですが、疲れて寝ていたりする間に時間だけが無駄に過ぎて焦っています。

 前置きはさておき・・・今夜見ていたテレビで、オフの時間の顔である経営学徒、特に地域産業振興を研究テーマとする経営学徒としては、思わず自分の不勉強を恥じるべきと実感した新鮮な発見をしました。

 見ていた番組は、テレビ東京の番組経済ドキュメンタリードラマ「ルビコンの決断」です。ウィキペディアの「経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断」欄によれば、2009年4月から始まった経済ドキュメンタリー番組であるとの由です。名前の由来が、ローマ内戦においてカエサル(シーザー)が「賽は投げられた」と言って元老院派との戦争を決意してルビコン川を渡った故事に基づくものである旨は、番組名を見ただけで言うまでもないので、この題名から番組の趣旨が容易に推測できちゃうような番組です。

 今夜の内容は、高松丸亀町商店街の商店街再開発でした。全国でドンドン、シャッター街化している地方都市の中心市街地商店街で、再開発の成功事例があるということを、初めて知りました。成功のエッセンスを要約すれば高松丸亀町商店街では、
(1) 商店街再開発会社を設立して旧・各商店主は土地を再開発会社に貸した上で、
(2) 商店街出店業種が偏らないようにして場所の配転も含めて商店街を再構成する。
(3) (2)により、営業を継続する商店主も店は従来と同じ場所とは限らず、
(4) また、同様に(2)により、営業を継続する商店主も業種は従来の業種と同じとは限らず、
(5) 営業を継続しない商店主は地代収入だけを受け取る。
(6) また、(2)により、業種構成上必要な店を誘致する。
(7) 客の人口を増やすべく、再開発工事の過程で商店街の上にマンションを建築する。
というもので、これにより商店街衰亡を防いだというのです。この成功事例は、中小企業庁でも、「がんばる商店街77選」に「香川県高松市 高松丸亀町商店街 商店街で取り組むタウンマネージメントプログラム」として採用されています中小企業庁コンテンツのリンク先URLは2010年1月現在)

 余談ですが、中小企業庁経済産業省の外局ですので、かつて経済産業省所管の特殊法人(当時。現・独立行政法人)「新エネルギー・産業技術総合開発機構(略称:NEDO)」に3年間社外出向して国の石炭政策の行政実務に従事していた私にとっては、首尾分担分野や組織の志・使命の点で「兄弟」感を感じる組織の内の一つです。高松丸亀町商店街公式ホームページのリンク先で、経済産業省の中心市街地商業等活性化支援業務(人材育成事業)として運営されている以下のサイトを見つけましたので、研究者としての自分の情報収集用備忘録として載せておきます。
→ 街元気-まちづくり情報サイト

 話を本題に戻します。

 商店街の衰退に関して頑張っている事例は、私は従来からも首都圏であれば、
(1) 観光地化で生き残った横浜元町商店街横浜中華街
(2) 駅前の商店街を囲むようにして大規模小売店舗を配置した吉祥寺サンロード商店街吉祥寺ダイヤ街
(3) 「はじめに電車ありき」で「クルマが不要な」首都圏の鉄道郊外住宅地の駅前商店街として元気なことで知られている戸越銀座商店街武蔵小山商店街PALM
の3パターンの生き残り事例は知っていました。でも、「はじめにクルマありき」の地方ではべらぼうに難しいと思っており、自分自身でも良いアイデアは持っていませんでした。高松丸亀町商店街における「処方箋」は、私にとっては新たなモデルであり、正に「目から鱗(うろこ)」という感じです。

 でも、土地や業種の入れ替えが伴うため、伝統的に他民族対比で異常なまでに私権が強い行動文化があるである日本においては、高松丸亀町商店街の事例はWhatの次元で有効だと分かっていても、意思決定上のHowの次元では極めて難しいだろうなぁ・・・と思いました。商店街の人々に同意していただくための取引コストが極めて高いため、容易に水平展開可能だとは思えません。実際、高松丸亀町商店街の再開発事例でもこの点が正に最大・最強の打ち破るべき壁になっていた旨が放送されていました。逆に申せば、他の商店街では打ち破れなかった壁を打ち破れたからこそ、高松丸亀町商店街の事例は光っているのでしょう。この辺りの経緯については、高松丸亀町商店街公式ホームページでも、「再開発について」という欄に載っています。

 冒頭で「新鮮な発見」と申しましたが、地域産業振興を研究テーマとする経営学徒として私はいくらなんでも、頑張っている商店街の名前として「高松丸亀町商店街」の名前は聞いたことはありました。ですが、実は、どんな施策を打っていたかまでは存じておりませんでした。これが、自分が不勉強だと実感した理由です。

 

高松丸亀町商店街の事例は上述のと おり取引コストが極めて高い方法論ですので容易には水平展開できないものであり、各商店街には外部環境だけでなく内部意思決定の相違に応じて「ヒトそれぞれ」ならぬ「商店街それぞれ」向けの「処方箋」が必要なのでしょうが、他の商店街にも頑張って欲しいと思います。放映局・テレビ東京はキー局としては系列局が少なくて系列化が弱いので、この番組は放送されていない地域も多いと思います。実際、ウィキペディアの「経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断」欄によれば、第2の故郷・鹿児島では放送されていません(ただし、2010年1月現在)。鹿児島天文館等の私が好きな商店街には衰退して欲しくないので、このような鹿児島県外の良い事例も鹿児島の人々に伝わるといいなぁ、と思いました。

 来週(2010年1月14日(木))の放送のテーマは、徳島県上勝町の有名な、「株式会社いろどり」の「木の葉ビジネス」の事例であるとの由です。この「木の葉ビジネス」については、私も著者の1人として参加した共著である高知工科大学大学院起業家コース『木の葉、売ります。ベンチャーに見る日本再生へのヒント 』((株)ケー・ユー・ティー発行,丸善発売,2006)で他の執筆者が1章を設けて解説していますので、『木の葉、売ります。ベンチャーに見る日本再生へのヒント 』でご参照可能です。

 

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◎ このテーマに関する他の方のブログ記事

○ 高松丸亀町商店街の視察 : 小さな会社のための明るく元気な経営相談広場

○ まちはみんなの宝箱:高松 丸亀町商店街

○ ふくだぶろーぐ::高松丸亀町商店街。

○ 高松丸亀町商店街SPC設立 - 勝手気ままなFP独り言

○ 民主党参議院議員 ふじすえ健三: 大みそか ルビコンの決断

○ ファンドレイジング道場:上勝町の「木の葉ビジネス」にみる顧客ニーズの発掘力

○ 上昇スパイラル・イノベーション~「木の葉」ビジネスが教えてくれる地方再生~|はみだしオヤジの起業・夢追いセレナーデ

○ アリストテレスな時間:徳島県上勝町徹底研究 (2) 「葉っぱビジネス」彩集荷現場見学

○ ほっとメール@ひたち:「葉っぱビジネス」で有名な上勝町を視察

○ 葉っぱがお金に・・・世界のモデル 上勝町 - 小学教師の雑感・多感

 

 

◎ 地域産業振興に関する過去の私の研究業績

・ 神山卓也(2004)「新世紀の地域産業振興」2001-2002年度私立学校振興・共済事業団大学院重点特別経費補助金助成研究『地域社会とIT』報告書拙担当分,東洋英和女学院大学,計38頁.

・ 神山(2005))「第1章 地域産業の振興とIT」『IT活用で地域が変わる 地域活性化・危機管理』,ぎょうせい,pp.15-41

・ 神山(2005)「新川崎K2(ケイ・スクエア)タウンキャンパスの事例研究 ― 産学官連携型産業振興を目指して ―」OA学会『オフィス・オートメーション 第50回全国大会予稿集』,pp.117-120

・ 神山(2005)「鹿児島における人口変化と域内人口移動」OA学会『オフィス・オートメーション 第51回全国大会予稿集』,pp.209-212

・ 神山(2006)「ソフトプラザかごしま及びソーホーかごしまに関する事例研究」OA学会『オフィス・オートメーション 第53回全国大会予稿集』,pp.7-8

・ 神山(2006)「第六章 ネットワークで行う地域マーケティング」共著:高知工科大学大学院起業家コース著『木の葉、売ります。ベンチャーに見る日本再生へのヒント』,(株)ケー・ユー・ティー発行,丸善(株)出版事業部発売,pp.145-178

・ 神山(2007)「地方都市の地域産業振興 - 産業構造の変化に対応していかに地域が生き残るか:鹿児島の観光食料産業クラスターと創業支援を例にして -」  高知工科大学大学院工学研究科基盤工学専攻(起業家コース)博士学位論文.

・ 神山(2008)「「営業のスタイルと場のモデル」に基づく,WEB2.0における「SEMによる訪問型営業プロモーション・モデル」の概要」『日本情報経営学会 第56回全国大会予稿集』,pp.85-88

・ 神山(2008)「「地域のマーケティングにおけるITと経営革新-SEMによる訪問型営業プロモーション・モデル 」『日本情報経営学会誌』,Vol.29,No.1,pp.22-29
(powered by CiNii(NII論文情報ナビゲータ)..)

・ 神山(2008)「鹿児島県における地域ブログ・ネットワークと地域SNS」『日本情報経営学会 第57回全国大会予稿集』pp.127-130

・ 神山(2009)「AISASモデルにおけるSEOのメリ・デメに関する考察」『日本情報経営学会 第58回全国大会予稿集』pp.135-138

・ 神山(2009)「クチコミ観光情報サイトにおける知識創造のECIプロセス」『日本情報経営学会 第59回全国大会予稿集』pp.161-164

・ 神山(2009)「地域SNS発のまちおこしに関する事例研究」『日本情報経営学会誌』,Vol.30,No.2,pp.12-21.

 

◎ 私の共著・共訳の本

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○ 夏よ終わらないで

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○ 翔べ!! フェニックス Part II

○ Forever

○ 素敵な恋をいつもしていたいね

○ もっと素直に振る舞えたなら

○ I WANNA STAY MORE

○ 君は粉雪

○ ラブソングはもう歌えない

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仏像大好~TVKでおもしろい新番組を見つけました

 

テレビ神奈川(TVK)で、仏像大好というおもしろそうな番組を見つけました。新番組で、今日の放送は東大寺の大仏様でした。

 「仏像大好」番組公式WEBサイトによれば、趣旨は、「真穂ロバの都を舞台に、名仏美仏を訪ねる」というものだそうです。ナレーション担当は中嶋朋子さんで、そのブログ「Robin's egg blue -nakajima tomoko official-blog」でも日記記事「仏像大好」の中で紹介されています。

 テレビ神奈川(TVK)での放送時間は木曜日21時00分~21時30分ですが、「仏像大好」番組公式WEBサイトによれば、現任地・名古屋がある中京地域でも三重テレビで2010年1月8日(金)から、毎週金曜日22時30分~23時00分に放送される模様です。

 その他の地域での放送については、「仏像大好」番組公式WEBサイトでご参照可能です。

 

 

◎ このテーマに関する他の方のブログ記事

○ tvkが名仏を訪ねる新番組「仏像大好。」-仏像ブームを背景に - ヨコハマ経済新聞

 

 

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アルバムの表紙







ロックバンド・STATISTICSスタティスティックスの1stアルバムCD「せつなくて...sentimental season」(ジャケットは上(↑)の写真)収録曲(以下(↓)は曲の一部の無料試聴)

○ 夏よ終わらないで

○ 

○ 翔べ!! フェニックス Part II

○ Forever

○ 素敵な恋をいつもしていたいね

○ もっと素直に振る舞えたなら

○ I WANNA STAY MORE

○ 君は粉雪

○ ラブソングはもう歌えない

○ 彼女の素敵なBoy Friend

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2010年1月 7日 (木)

テレビ神奈川「信州湯けむり紀行」を見て

 テレビ神奈川(TVK)で、「信州湯けむり紀行」という番組をやっていて、浅間温泉の「ホテルおもと」が出ていました。

 「ホテルおもと」は、私が小学校4年生の時の夏休みの家族旅行で泊まったホテルです。今でもあるか否かは存じませんが、当時は玄関脇に大きな水車があって、それが気に入って泊まりたくて宿を選びました。今は亡き両親と一緒の楽しい思い出が詰まっている場所です・・・もう何十年間も行っていないけれど。

 思い出のホテルが元気に営業してくれているのがうれしかったと同時に、大好きな両親と思い出を築いていくことはもうできないだとか、あの時は両親が生きていてくれた楽しかったなぁ、と思うと涙が出てきました。

 両親との思い出のスポットの中には、既に消えてしまったスポットもたくさんあります。思い出の場所には消えて欲しくないので、「ホテルおもと」にはいつまでも頑張ってサバイバルして欲しいと思います。

 余談ですが、私が運営するホームページ「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」に今日までに掲載済みの信州の温泉の入湯記には、以下の温泉があります。

○ 奥蓼科温泉郷 渋御殿湯

○ 毒沢鉱泉神乃湯

 

 両親の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 挽歌~父の死,母の死に関して詠んだ短歌

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

 

 

◎ その他

温泉天国・鹿児島温泉紹介!
鹿児島温泉については、温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

 

・ 城山観光ホテルの桜島が見える天然温泉露天風呂「さつま乃湯」

城山観光ホテル(さつま乃湯)















・ 山川ヘルシーランド露天風呂

ヘルシーランド露天風呂

















・ 桜島

桜島















 

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2010年1月 1日 (金)

独りで見る紅白歌合戦3回目

 

NHK紅白歌合戦・・・昔は家族で楽しむものでしがた、4年前に入院して亡母が抜け、その年はまだ生きていてくれましたが、さらに翌年の今から3年前には亡母が死んで亡父と二人だけになり、その亡父まで亡くしてしまい、一昨年から独りぼっちの大晦日になって3回目です。

 一緒に亡父と一緒に酒を飲んだり家族で年越しそばやお菓子を食べながらNHK紅白歌合戦を見た最後の年は、もう5年前のことになってしまいました。

 私の内面では主観的には両親を亡くしてから時間が止まっているのに、客観的物理的には時間がドンドン過ぎていく・・・無常と無情、二重の意味で「ムジョウ」です。

 

ゆず逢いたいという曲を歌っていました。亡くなったお父様への思いを歌った曲だとか。今の私には感情移入してシンクロしてしまいます。ゆずは特にファンという訳でもなく残念ながら曲も詳しくはないのですが、故郷・横浜の出身のアーティストなので、応援しているアーティストです。

 今年のNHK紅白歌合戦は、アリスチャンピオンだとか矢沢永吉時間よ止まれとか布施明のマイウェイとか懐かしい曲がたくさん出てきて、あの頃はまだ子供(中学・高校も含む)で、両親の愛に包まれていて幸せだったなぁ・・・と思うと、帰れるものならば帰りたいという気持ちになりました。

 

どうして時間は、不可逆反応なのだろう・・・

 でも、単に悲しんでいるのではなく、実は、悲しむことで癒されています。子供の頃は、NHK紅白歌合戦に「懐メロ」が出て来るのがあまり好きではなかったのですが、歳月を経て幾多の喜びや悲しみを乗り越えてみると、懐かしい曲には癒されます。もう二度と両親に会えなくても、両親と共にいた時間は思い出せる・・・たとえ時間は不可逆反応でも、思い出だけはいつでも呼び起こすことができる・・・これが、私にとっては、今回のNHK紅白歌合戦のテーマ「歌の力」なのだろうと思いました。

 逆に申せば、アーティストには歌う責任というのがあるのだろう・・・と思います。我がロックバンド・STATSITICSにも、ありがたいことにファンになってくださった方々が昔おられました。その方々のためにも、将来、その方々が思い出を思い出すことができるようにするためにも、STATSITICSをこのまま、ブレイクできないままに終わらせてしまってはいけないのだろう・・・と思ったりもいたしました。

 

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○ 夏よ終わらないで

○ 

○ 翔べ!! フェニックス Part II

○ Forever

○ 素敵な恋をいつもしていたいね

○ もっと素直に振る舞えたなら

○ I WANNA STAY MORE

○ 君は粉雪

○ ラブソングはもう歌えない

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 両親の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

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○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 挽歌~父の死,母の死に関して詠んだ短歌

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

 

 

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