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2010年1月31日 (日)

叔父の死(長文注意)

 過去の以下の日記に書いておりました、末期癌で死の床にあった叔父(母方の叔父)が、平成22(2010)年1月22日(金)、衣笠病院ホスピスにて召天いたしました。80歳でした。
○ 末期癌の叔父とひつまぶし(長文注意)(2009/12/27)
○ 最後の晩餐(恐らく)(2010/01/01)

 叔父は、子供ができない夫婦でしたので元々我が子のように私をかわいがってくれた人であり、奥様(私にとっては叔母)を平成13(2001)年9月20日に失って以来、親族で唯一の次世代の者である私をかわいがってくれて、私の両親の死後は親代わりのような存在でした。その意味では通常の叔父・甥よりもつながりが深かったと思いますので、見送る側としても、悲しみはとても深いです。この叔父は、亡母の兄になります。

 平成21(2009)年11月に衣笠病院ホスピスに転院する前、同年秋に昭和大学附属病院(旗の台病院)に入院した後の同年10月以降、私はほぼ毎週のように横浜に帰省して故郷・横浜を起点としたり、現赴任地・名古屋から日帰りしたりして叔父の見舞いに行っておりました。昨年の拙日記でも述べたとおり、会える機会に会っておきたいと考えたからです。亡母の際には死に目に会えず亡父の際には転勤族の悲哀で、死に目に会えないどころか孤独死さえさせてしまったことが心の傷として残っている私にとっては、叔父が死ぬ前に十分な別れの時間を持てたことと、私自身は叔父の死に目には会えませんでしたが、他の方々に看取られて「寂しくなく」叔父は逝けましたので、後悔しない見送りができたと思います。

 葬儀は平成22(2010)年1月25日(月)13時から、鎌倉鎌倉泉水教会で行われました。上述のとおり親同然の叔父でしたので、上司の許可を得て有給休暇をいただき、葬儀に参列いたしました。叔父はプロテスタント(新教)キリスト教徒で、大森めぐみ教会で受洗しており、このため、日本基督教団所属の教会として途中に転籍していた鎌倉泉水教会での葬儀となりました。余談ですが、大森めぐみ教会附属めぐみ幼稚園は、私が幼い頃に入園していた幼稚園です(が、入園理由は叔父が所属していた教会だからではなく、転勤族だった亡父の当時の官舎に近い幼稚園の中で最も気に入った幼稚園だったからでした。誤解を避けるべく念のため)。

 例えば聖書のどの箇所を読むか、どの賛美歌を歌うか、開始前と終了後のBGMに何を用いるか、お別れの言葉を述べて下さる方やオルガン奏者を誰 に依頼するか、等々、式次第は全て生前に叔父本人が決めていたのだそうです。叔父らしい立派な逝き方だと思いました。叔父がこの世に生きていてくれていた 記録残しと兼ねて、叔父が選んだものを、以下のとおり示します。
○ 招詞:  詩篇4章9節
○ 賛美歌:514番(故人愛唱歌),405番,251番,541番
(なお、賛美歌については、ホームページ「讃美歌集ー日暮れて四方は暗くー」でご参照可能です(注:リンク先URLは2010年1月現在)。)
○ 聖書: ヘブライ人への手紙・第11章13節,ペトロの手紙一・第2章11~12節
○ BGM:アメイジング・グレイス。叔父が病床でよくかけていた曲で、ただでさえ悲しい曲なので、涙があふれ出て来てしまいました。

 この叔父は、家族や親戚の中では亡き両親の 次に私に影響を与えてくれた人です。現役時代は最初は銀行マンで、銀行を早期退職後、一時期或るスーパー・マーケットの役員に転じていた時期がありまし た。これらの時期の以下の2つのエピソードは、若かりし頃の私に、職業人としての志や気骨、気構えについて大いに影響を与えたエピソードです。
○ エピソード1
 或る支店の支店長時代に配属直後の部下が痴漢事件を起こしたことがありました。その銀行では信賞必罰ですので、部下のミスは直属の上司全てに とってもマイナス・ポイントになります。ところが「配属直後」だったので「本来、そのダメ新人の適性を見抜けなかった人事部が悪いのに現場の支店内課長な どが処罰を受けるのは酷だ」として、「支店長の自分が責任を背負って失脚するから、代わりに、自分とダメ新人との間の職位の人々を助けて欲しい」と本部に 直訴し、失脚する範囲を自分1人に止めました。
○ エピソード2
 スーパー・マーケット役員時代に、そのスーパーの中国進出に1人反対して創業者と対立し、クビになりました。死の床にあった叔父に訊いたところ では、後年、その事業はうまくいかず、スーパーに残った人から「先見の明があった」と言われたとの由です。この、会社のトップが熱意を持って進めようとし ても「ダメだ」と判断したら、クビになってもいいから反対する姿勢が、私にとっては尊敬に値する点です。

 私の現赴任地・名古屋では、「名古屋近郊の津島市戦国時代には尾張国を代表する港であり、織田信長の家系がこの港湾地域を領有したことが財政上の豊かさをもたらし、それが織田信秀織田信長による尾張国統一事業の経済的背景になったので、歴史探訪しに行くとおもしろいよ」という情報を私に教えてくれたのは叔父です。私は歴史が大好きなのですが、不覚・不勉強・うかつなことに戦国時代尾張国における津島の重要性を見逃しておりましたので、赴任地での歴史探訪上、良いアドバイスになりました。

 叔父に食欲があった最後の日に、所望されていたひつまぶしを届けることができたのは、自分としては「間に合って良かった」と思います。とても悲しいですが、叔父は叔母のことを愛していたので、天国で再会できていたらいいなぁ、と思います。と同時に、葬儀に参列して、キリスト教の教会におけるコミュニティの強さも実感しました。

 叔父が生前お世話になった全ての方に、お礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

Photo

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 写真は、一番上が昨夏、まだ自宅にいられた最後の時期の叔父と共に写した写真です。2番目と3番目は、叔父の葬儀の際の鎌倉泉水教会の内部の写真です。

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