« 「富士乃湯(富士の湯)入湯記」掲載(「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録) | トップページ | 今日は母の日 »

2010年5月 9日 (日)

大和百貨店新潟店・閉店前の見納め旅行

 私は子供の頃、小2~中1までの間、亡父の転勤で新潟市に住んでいました。その新潟市在住時代の、今は亡き両親との思い出のあるスポットの1つ、大和百貨店新潟店が今年(2010年)6月25日をもって閉店してしまうので、名鉄バス新潟交通共同運行の夜間高速 バスで「車中2泊日帰り」旅行で急きょ、現任地・名古屋市から新潟市に行き、思い出の大和百貨店新潟店の見納めをして来ました。

P1050185

100508_16220001


大きな地図で見る

 大和百貨店新潟店に行くのは、恐らくは亡父の転勤のために私が新潟市から札幌に転校した昭和52(1977)年4月以来、恐らくは33年ぶりになるだろうと思います(注)。
(注)大学1年生の夏休みに、昭 和57(1982)に、上越新幹線開業に伴う廃止前に、181系183系エル特急とき」に乗っておくことと兼ねて新潟市に行ったことがあり、もしかしたらこの時に大和百貨店新潟店に行ったかも知れませんが、この時に大和百貨店新潟店に行った事実があったとしても記憶から落ちていますし、行ったとしても28ぶりのお久しぶりであることに変わりはありません。

 私が新潟市にいた子供の頃の時代は、まだ週休二日制の時代ではなく土曜日は「半どん」と行って午前中仕事の時代でした。亡父気象庁の技官・観測業務に従事していて、盆暮れ正月無し1年間365日24時間”営業”、3交代の夜勤有り、レーダー観測業務従事時には「1週間泊まり込みのレーダー観測有り」という働き方をしていたので、通常の「月~金+土曜日半どん」ではなかったり、亡父は日曜日が休みとは限らないため休日が私と重なるのも月に1度程度しかなかったのですが、だからこそ逆に、オフの時間が珍しく重なる日には必ず家族サービスをしてくれました。そのような話の一環として、夜勤当番勤務に就いている時やレーダー観測業務以外の時には土曜日半どんの時もあり、そのような時には小学校の授業が午前中で終わると母と一緒に新潟市の繁華街(中心商店街)・古町(ふるまち)で仕事帰りの亡父と待ち合わせたり、日曜日に行楽や近所の「お散歩日帰り身近な旅行」をしない時には、やはり家族でよく古町(ふるまち)に行ったりしたので、古町(ふるまち)には、今は亡き両親がまだ健在で若かった時代の我が子供の頃の、楽しい家族の思い出が満ちあふれています。そのような古町(ふるまち)での待ち合わせ場所の一つが大和百貨店新潟店であり、私にとっては、大和百貨店新潟店には、亡き両親との「思い出の聖地」の一つなのです。

 先日、現任地・名古屋市での丸栄百貨店の大鹿児島展に行ったり、名鉄百貨店の大九州展に行ったりした日記をブログに載せましたが、このような物産展(特に九州)の楽しさを私が知ったのも、私が生まれる前に両親が新婚時代を過ごしたのが当時の亡父の赴任地・長崎市だったために亡母が九州を懐かしんでよく百貨店の物産展に連れて行ってくれたからでした。子供の頃、当時、丁度、大和百貨店新潟店の九州展に亡母が連れて行ってくれた時に、新潟の地元のテレビ局が来ていて取材され、夜のニュースのネタとして登場したことがあったりしました。思い出の中のこの舞台も、記憶に誤りが無ければ大和百貨店新潟店です。両親と行く九州の物産展が楽しかったので、後年将来、自分自身が鹿児島に赴任する以前から、原体験的に九州は大好きでした。

 大和百貨店新潟店には、子供の頃の、亡き両親との楽しかった思い出がたくさん詰まっています。繰り返しになりますが、亡き両親との「思い出の聖地」の一つなのです。

 平成22(2010)年の今日現在、百貨店という業態が苦況にあるとは申せ、亡き両親との「思い出の聖地」の一つ・大和百貨店新潟店が消えてしまうということは、私にとっては、とても悲しく、我が身を引き裂かれるように辛いニュースでした。両親は死んでしまったので、大好きな両親とは、もう二度と生きて会うことはできない・・・でも、「思い出の聖地」さえ残ってくれていれば、心の中でつながっていることはできます。ですが、その「思い出の聖地」が、今年(2010年)のゴールデン・ウィーク中に第1の故郷・横浜に帰省した際に取り壊し前の見に行った歌舞伎座と同様に、相次いでドンドン消えていきます。新潟市在住時代に両親によく連れて行って貰った、古町(ふるまち)北光社という書店も廃業してしまっています(訪問前から存じてはいましたが)。亡き両親との「思い出の聖地」がドンドン消えちゃう・・・楽しくて、まだ幸せだった子供の頃の家族の思い出と現在の自分をつないでくれる場所がドンドン消えちゃう・・・

 閉店してしまう前に、大和百貨店新潟店にお別れをしに行かなきゃ!・・・

 強行軍でしたが、大和百貨店新潟店に行って来ました。「涙を流しながら歩いている男」などというのも、第三者的にはいかがなものか、という変な絵姿だとは思いますが、泣きながら大和百貨店新潟店や古町(ふるまち)を歩いていました。

 丁度私が新潟市にいた頃に、大和百貨店新潟店が増床した時の写真が百貨店壁面に載っていました。厳密に申せば写真を写すのは著作権に触れると は思いますが、この時代のキラキラ輝いていた頃の大和百貨店新潟店に思い出のある方の思いは大同小異だと思いますので、敢えてカメラで写したのを載せておきます(大和百貨店の皆様、勝手に転載ごめんなさい。趣旨に鑑み、許して下さいませ)。その写真を見ると、様々な思い出がこみ上げてきて、涙が止まらなくなります。

P1050279
(↑大和百貨店新潟店壁面にあった写真)

 

P1050278
(↑大和百貨店新潟店壁面にあったご挨拶)

 

P1050207

P1050276

P1050241

P1050233

P1050232

P1050197

P1050192

P1050190

P1050209

P1050257

P1050223
↑地下街「西堀ローサ」からの入り口です。

 

P1050222
↑地下街「西堀ローサ」からの入り口です。

 

P1050221
↑地下街「西堀ローサ」からの入り口です。

 

P1050220
↑地下街「西堀ローサ」からの入り口です。

 

P1050216
↑記憶に間違いが無ければ、今は亡き両親と、待ち合わせをしたベンチが、かつてはあった場所です。

 

P1050210

P1050211

P1050212

P1050213

P1050214
↑私自身はこの場所に思い出がありませんが、幼少期に過ごした方やその親御さんには思い出があるのではないか、と推測する場所です。私自身、幼児の頃には、京王百貨店のこのような場所に思い出があります。

 

 大和百貨店新潟店の皆様、最後の数十日、大和百貨店新潟店ファンのお客様のために営業頑張って下さい。いままで、素敵な思い出を残してくれて、心からありがとうございます。

 そして、まだ営業を継続して頑張っている街の大和百貨店ファンの人達が同じ悲しみを味わうようなことがないようにするべく、歯を食いしばって意地でも頑張って、店を残して下さい。

 大和百貨店新潟店は66年の歴史があるそうですね。今まで66年間、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。最後に行って写真に納めてきましたので、お店は消えても、思い出を思い出すことはできます。私の心の中では、私がまだ子供の頃、亡き両親がまだ健在で家族が幸せだった頃の、楽しかった大和百貨店新潟店の思い出は一生消えません。心の中では、いつまでもキラキラと輝いています。

 1顧客としても、地域産業振興を研究テーマとする1経営学徒としても、全国の小売り業者や(交通・飲食業も含む)観光業者の方に、応援とお願いを申し上げます。頑張って生き残ってサバイバルして下さい・・・と。このような施設やサービスは、単に販売時点で財やサービスを売っているだけではなく、思い出を売っているのです。ファンにとって最も悲しいことは、思い出の場所が消えてしまうことです。どうか、どうか、頑張って残って下さい。苦しくても立ち直るべくサバイバルして下さい・・・心から、私はそのように、お願い申し上げます。

 

 

◎ 両親の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 挽歌~父の死,母の死に関して詠んだ短歌

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

 

 

◎ 本件に関連する、他の方のブログ記事

○ 今日もふらふら: 大和デパートが新潟から撤退

○ 大和デパート 新潟から撤退の衝撃 - ゴーシュ君のチクタク日記 - Yahoo!ブログ

○ 日本の原風景 : 新潟県内の3デパート閉鎖(大和)

○ 大和 百貨店 斉藤尚善専務 北村秀明・新潟店長: 日本御辞儀倶楽部

○ 柾谷小路の大和デパート撤退><(新潟ネタ) - ばかおやじ徒然日記

○ 平成浮世風呂:大和百貨店4店舗閉鎖

○ 大和デパート新潟店 - ユニーカーJUNの感撮日記 - Yahoo!ブログ

○ 大和デパートの屋上遊園地跡で思いを馳せる - 新潟下町おおよそイエローページ - Yahoo!ブログ

○ 新潟の街中。 大和デパート撤退。 - 新潟市中央区下町 - Yahoo!ブログ

○ 新潟大和デパート・・・今日閉店!! - 食の宝島佐渡ドットコムの店長ブログ - Yahoo!ブログ

○ 新発田農高同期会1972 : 投稿68  新潟大和デパート、閉店セール

○ トラッドスーツ専門店:ガーベル新潟 » 新潟大和デパート閉店・・・

 

|

« 「富士乃湯(富士の湯)入湯記」掲載(「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録) | トップページ | 今日は母の日 »

コメント

チクタク日記のゴーシュと申します。
大和関連記事のトラックバック、ありがとうございました。
私にとっても大和上越店は幼い頃の甘い思い出が詰まった大切な場所だっただけに、閉店は寂しい限りです。
大和富山店は数年前に移転新築され、富山市が中心商店街の核として支援しております。ただ、戦前に建てられ大空襲にも耐えた旧店舗が解体予定なのは、残念でなりません。富山にしかない懐かしい風景を敢えて残すことも、活性化の道ではないかと思う次第です。

投稿: ゴーシュKT | 2010年5月 9日 (日) 18時09分

こんにちは

わざわざ名古屋から大和を見にこられたんですね

新潟では古き良き昭和の時代だった「古町」がピンチです(涙)

わたしも昭和50年前半の中学生の頃、寺尾から自転車でよく遊びに行きました

映画見た後、大和の最上階食堂街のカウンター式のカレーショップでシュリンプカレー食べるのが定番

子供のころは丸大だったかイチムラの食堂でチョパフェ食べながら、大きな大仏?坊さん?の銅像を見たのが思い出されます

先日、西堀ローサも全テナントが入り再出発リニュアールオープンされ集客効果が確認されました

とはいえ、大和の開いたスペースはまったく見通しが立ってないみたいです

時代の流れを感じますね

投稿: ばかおやじ | 2010年5月 9日 (日) 18時33分

ゴーシュKTさん、コメントありがとうございます。ゴーシュKTさんは上越店に思い出があるのですね。お互い、寂しいですよね。

富山は、中心市街地再活性化の戦略の中で、地域のリソースとしてLRT(近代的な市電)を用いた公共交通機関の活用を利用するプランを立てています。新潟市の場合も、昭和の初めの新潟電鉄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E4%BA%A4%E9%80%9A%E9%9B%BB%E8%BB%8A%E7%B7%9A

(1) 古町経由新潟駅への路面電車延伸
(2) 開業した区間中、後に邪魔扱いされて廃止された東関屋-白山前間の路面区間の信濃川埋め立て地寄り専用軌道化
(3) 全線、だめでもせめて白根までの複線化によるフリークエント(頻発)運行
が、後の新潟交通が新規鉄道開発投資体力を喪失する前の昭和初めにもしも実現できていたならば、広島電鉄
http://www.hiroden.co.jp/
のように郊外電車が市内路面線に乗り入れて、人の流れの状況も変わり、状況が変わっていたのではないか、と思います。地方都市でも大都市近郊路線は乗客数が増えているので、実は数十年前の投資不足が無かったら、状況は一変していた可能性があるのでは、と思います。

細かな話は省略しますが、中心街の活性化のために新潟市では頑張っている旨がいくつか窺えました。ですが、中心商店街空洞化の最大要因はモータリゼーションの時代に旧来の中心街が対応していないために人の流れが変わってしまったことであり、地価が高い中心値では郊外SCのような無料駐車場は困難であるためにリソース的に元々不利である以上は、軌道・鉄道系公共交通機関を発展させられなかった半世紀以上前の「断念」史は、新潟市の中心市街地活性化のためには、ジワジワとボディ・ブローのように今日に至るまで手強い壁として立ちふさがっているような気がします。

富山のビルの解体はいたしかたないとは思うものの、例えば鹿児島の山形屋
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKAN16.HTM
の事例のように、外見だけでも復元するという手もあるのではないか、と思います。

何はともあれ、残った店舗だけでも頑張っていっていただきたいし、上越市にせよ長岡市にせよ新潟市にせよ、なんとか跡地利用で良い状況になって欲しいと思います。

投稿: カミタク | 2010年5月 9日 (日) 22時23分

ばかおやじさん、コメントありがとうございます。昭和50年代前半に中学生ということは、私と同じ世代ですね。

 新潟市は、私にとては、第2の故郷の一つです。

 かつてのイチムラ百貨店の食堂には、私も、亡母によく連れて行って貰った楽しい思い出があります。小2の昭和47(1971)年~中1の昭和52(1977)年まで、キラキラ輝いていた頃の古町を知っている者として、最近の古町の状況はとても悲しいです。

 ホント、ご指摘のとおり、古き良き昭和のキラキラ輝いていた古町がピンチですよね。百貨店以外にも再訪してみて、以前からネットで調べて知ってはいたものの、今は亡き両親との思い出の場所として、都屋レストラン、北光社が消えていたのは悲しかったですし、そば処あたらしやも見つけられませんでした。

 地下街・西堀ローサは地域としても支えて頑張っている旨が窺えました。でも、西堀ローサ開業時の食のエリアが或る意味公共エリアになっている状況は、「胃袋が満たされなければ客は来ない」状況下で「胃袋を満たす業種が進出してくれなかった」ということでもあり、頑張っていてくれてうれしいと同時に、どのような業種の店があるかという点で悲しい思いに襲われてしまいました。

 ばかおやじさんの日記にも書かれていた交通要因は、正におっしゃるとおりだと思います。百貨店の低迷や中心商店街の苦境は、「人々が基本的に電車で移動し、車は本音では邪魔だとさえ思っていて、近年の若者達は車など『タダでも欲しいとさえ思わない』東京圏」と、「車が無ければ生活できない必需品であり、そのために車で移動する行動パターンが身についてしまったため、『はじめにクルマありき』である地方都市」とでは、本質的に発生メカニズムが異なるのではないか、と思います。私は東京生まれの全国育ち(←転勤族)で自分自身も転勤族のため、どちらの事情も皮膚感覚でよく分かります。

 まぁ、あとはコンテンツも課題があるのでは、と思います。私たちがイチムラの食堂で食べていた頃、デパートにはおもちゃ売り場や、(現在のような電子化されたものではない)ゲーム・センターがあり、父や母に連れて行って貰うと楽しい所でした。現在のデパートは、「食品とファッションばかり」ばかりなので、子供が楽しめないのではないでしょうか。子供が楽しめなければ家族は来ないし、子供の頃にデパートを楽しまなかった子供は、ファッション製品を買うような大人の年齢になっても、デパートに行くという「行動文化」自体が体の中に存在しないでしょう。

 子供が楽しめる場所・・・こそが家族が来る場所だと思うのですが・・・と売れ残り・負け犬の私が申しても説得力無いのですけど。

 古町がキラキラ輝いていて、今は亡き両親がまだ健在だった子供の頃に戻りたいなぁ・・・と思います。

投稿: カミタク | 2010年5月 9日 (日) 22時56分

大和に熱い思いを寄せて頂いて、新潟モンとして一言お礼を言いたくてメールしました。
本当に強行軍で大和での思い出を紬に来ていただき、またこのような形でアップしてくださりありがとうございます。
いつまでも心の中の思い出にしっかりと残っていくとのことで少しは気が休まります。
閉店後半年が過ぎましたが、未だにその後の展開が見えず古町の地盤沈下が叫ばれて久しい中で本当に寂しいです。大和が帰ってくることはことはないですが、それに代わる古町を元気にする案が無ければどんどん寂れるばかりではと気をもんでおります。
まだ、建物は残っておりますし、新潟を古町を元気にするためにも、また機会をみて遊びに来てください!では、お元気で!

投稿: 越後の走り屋 | 2011年1月 7日 (金) 13時50分

越後の走り屋さん、コメントありがとうございます。

大和百貨店を訪問して数ヶ月が過ぎ、改めて、「もう、なくなってしまったんだなぁ」と思います。古町の地盤沈下、中心商店街がまだ元気でキラキラ輝いていた頃を知っている者としては、とても寂しいです。

またいつか新潟を訪問したら、再訪したいと思います。

投稿: カミタク | 2011年1月 7日 (金) 22時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/169624/48313555

この記事へのトラックバック一覧です: 大和百貨店新潟店・閉店前の見納め旅行:

« 「富士乃湯(富士の湯)入湯記」掲載(「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」更新記録) | トップページ | 今日は母の日 »