2009年8月 5日 (水)

命日に果たせた亡父との約束と、思い出の品とのお別れ

 カミタク@休暇中です。横浜の実家に帰って、両親亡き後の実家の整理片づけをしなければならないのに、ダラダラしている内に時間が過ぎて焦り始めた頃です。

 それでも、長期休暇でなければできないこととして、来るべき地デジ化に対応するべく、既存のアナログ・ブラウン管テレビの地デジ対応液晶テレビへの買い換えを行いました。普段住んでいないので配送時に在宅しているためには、購入時にも配送時にも横浜にいられるような長期休暇を狙う必要があるのです。

 これは、2007年8月5日に死んだ亡父と、 生前、「次回帰省したらテレビ買ってあげるね」と約束していながら果たせていなかった約束を、ようやく果たしたものです。父に対しては、生前に買い換えて あげられなかったことを申し訳なく思います。特に父が生前、歌謡曲でつづる昭和の映像のDVDを購入しながら実家にはDVDプレーヤーが無かったので、併 せて買ってあげて一緒に見たかったので、買い換える前に父に死なれたことを無念に思っていました。余談ながら、今回、DVDプレーヤーは買いませんでした。将来私が実家に戻って来たら、私が現在使っているDVDプレーヤーとの置き場所の棲み分けが難しくなると思ったからです。

 本当は、父と一緒に店に行ったヤマダ電機で買いたかったのですが、日曜日に父の三回忌法要の後で店に行ったら、配送が私の滞在中に間に合わない日程でしたので、残念ながら断念しました。鹿児島を第二の故郷と思っている元・九州人のはしくれとしては、応援したい家電チェーン店はベスト電器ですので、ベスト電器の「敵役(かたきやく)」であるヤマダ電機は個人的には「応援したくない会社」なのですが、ヤマダ電機でもあの店だけは父との思い出が籠もっており、父の晩年に、ステレオ(ミニ・コンポ)や電気釜を買い換えに一緒に行った店であり、もしも父がもっと長生きしてくれていてテレビ買い換えの約束を果たせていたら買いに行ったであろう店ですので、「ベスト電器大ファン!」の看板を例外的に敢えて降ろしてヤマダ電機に行ったのに、配送が間に合わず、とても残念でした。

 一昨日(2009年8月 3日 (月))の日記「懐かしいネクタイ(母校のスクール・タイ)」でも書いたように、それではということで、横浜市日吉ベスト電器に買いに行きました。が、残念ながら、お目当ての機種はありませんでした。父とは、シャープの液晶テレビがいいよね、と話していて、実家の間取りの狭さ故に15V型のLC-15SX7Aが欲しかったのです。ヤマダ電機も同様ですが、店には大画面の液晶画面やプラズマ画面のテレビが並んでいて、思わず、「日本人の家はいつから、うさぎ小屋ではなくなったのだろう?」と突っ込みを入れたくなる程でした。

 余談ながら、経済学における我が師匠・辻村江太郎教授は、競合・補完理論に関する研究の 際に、「住宅(の間取り)と家具や耐久消費財とは補完関係にあるから、消費財の消費量を増やすためには、ボトルネックになる不動産事情を解決する必要があ る」と言っておられました。もしかしたら、三浦展『シンプル族の反乱 モノを買わない消費者の登場』(ベストセラーズ新書,2009)にあるように若い人 たちが必ずしもテレビを必要としなくなっているために、特に家が狭くてマーケット・セグメンテーション上 小型液晶の対象と思える若い家計(含む独身)でテレビを買わなくなって小型画面ニーズが消えているのか、或いは、シンプル族は他の家財を買わないために家が狭くても大画面テレビを置けるのか、どちらかなのかも知れないと思いました。もっとも、山本直人『売れないのは誰のせい? 最新マーケティング入門』(新潮新書,2007)中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言』(光文社新書,2009)で述べられているようにAISAS時代になってもテレビの視聴ニーズが減る訳ではないので、シンプル族だから買わないというのは早計かも知れませんが、「シンプル族だったらワンセグで済んでしまい、小型液晶画面購入層が消滅している」という事情であるのかも知れません。実のところはよく分かりませんが、とにかく、「狭い日本の家で、みんな、あんなに大画面のテレビを置く場所があるのけ?」と疑問に思ってしまいました。

 いずれにせよ、狭い我が家では大画面は邪魔で不要で全くニーズが無いので、当家では小型画面でなければ、困っちゃいます。

 そこで泣く泣くヤマダ電機ベスト電器も諦めて、ビックカメラに行ったら、私の滞在中に配送が間に合う状況下でシャープ15V型のLC-15SX7Aがありましたので、結局、ビックカメラで買いました。ビックカメラならば、ベスト電器と資本提携している企業であるので、鹿児島を第2の故郷と思う私でも妥協可能なお店です。ちなみに、ベスト電器が完全子会社化したカメラのさくらやは、残念ながら横浜にお店がありません。

 今まで使っていたテレビは、オンキョーオンキヨーエンターテイメントテクノロジー(株))がコジマ向 けにOEM供給しているブランド「D'ZAC」のC-15Z3です。いつ実家がこのテレビを買ったのかは記憶にありませんが、1990年代後半以降の実家 での家族の団らんの情景の思い出にいつも出て来たテレビです。液晶テレビに買い換えて、亡父との果たせなかった約束をようやく果たせて良かったと思う反 面、亡き両親との思い出の品が消えてしまうことが、身を切られるように痛く悲しいです。今回の買い換えはテレビが壊れたからではなく、地デジ化で旧機が使えなくなってしまうからであり、主体的に望んだ訳ではありません。このような理由で、思い出の品とお別れすることが、とても悲しいです。

 そして今日、2009年8月5日(水)、いよいよテレビが置き換わりました。前の思い出深いテレビが消えてしまって悲しく寂しいですし、ようやく亡父との約束が果たせて良かったです。

 

父の三回忌の法要は今週初め・8月2日(日)に行いましたが、本当の父の命日は今日です。2年前の今頃、父には既に息はありませんでした(恐らく)。そして、親不孝にも孤独死させてしまったので、2年前の今日、その事実に私は気づいてもいませんでした。おやじ、会いたいよー・・・。せめて、新しいテレビを、妄想の中の両親と一緒に見ようと思います。

 

◎ 思い出のテレビ
 以下の写真は、今となっては懐かしくなってしまった、家族団らんの思い出のテレビと、そのリモコンです。もう、思い出の中にしか存在しなくなってしまいました。
オンキョーのテレビは→【楽天市場】「オンキョー&テレビ」の検索結果

 

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◎ 新しいテレビ
シャープの液晶テレビです。
シャープ液晶テレビは→
【楽天市場】イーベストPC・家電館キーワード「シャープ 液晶 テレビ」の検索結果
【楽天市場】デジ倉家電館(鹿児島ベスト電器運営会社の楽天市場店)キーワード「シャープ 液晶 テレビ」の検索結果

 

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◎ 両親の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 挽歌~父の死,母の死に関して詠んだ短歌

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

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2009年8月 4日 (火)

法爾山天然寺(横浜市金沢区,浄土宗)

 当家の菩提寺は、横浜市金沢区浄土宗法爾山天然寺です。亡父が残してくれた資料の中から金沢区仏教青年会編『かなざわの霊場めぐり』(平成6年(1994年))を発見しましたので、記載内容を引用して、菩提寺のご案内の「勝手にボランティア」として、法爾山天然寺の紹介をします。

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寺名:法爾山天然寺(てんねんじ)
宗派:浄土宗
住所:横浜市金沢区町屋町5-1
電話:045-701-7598
交通:京浜急行電鉄金沢八景駅より徒歩10分。もしくは、京浜急行バス・横浜京急バス追浜営業所の「4番系統 磯子駅-追浜車庫前(追浜日産自動車)線」,「文15系統 追浜車庫前-町屋経由-金沢文庫駅線」で、「町屋」バス停下車すぐ。

 


大きな地図で見る

 

 法爾山天然寺は、金沢区仏教青年会編『かなざわの霊場めぐり』(1994)pp.46-47によれば、「金沢の霊場めぐり」の第22番です。以下は全て、『同書』pp.46-47からの引用です。本尊は阿弥陀三尊立像(脇侍):観音菩薩勢至菩薩、または阿弥陀五尊と称して、阿弥陀三尊立像に善導大師立像,法然上人坐像が安置されているとの由です。

 『同書』pp.46-47によれば、創建年代は天文9年(1540年)頃との由で、戦国時代のことになります。鎌倉浄土宗大本山・光明寺19代の然誉禅芳和尚(ねんよぜんぽうかしょう)による創建との由であり、蓮社号は法蓮社との由であり、これが山号の由来となったとの由です。

 『同書』pp.46-47によれば、その後、安政5年(1858年)に一度焼失しており、また、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊の厄に遭ったとの由です。関東大震災後は、26世華誉霊賢(けよれいけん)大和尚の尽力で本堂・庫裡等を再建したため、同和尚は「中興上人」の号を得ているとの由です。ですが、その本堂は全損した旧本堂の材料を使用した経緯もあり、規模が一回り小さくなったとの由です。現在の本堂は、昭和52年(1977年)12月20日の27世念誉正雄(ねんよしょうゆう)上人の遷化(せんげ:高僧の死去)の際に、現住職及び並びに檀家が一丸となり老朽化した本堂を新築することになったことにより、昭和56年(1981年)に建て直されたものであるとの由です。この機会に併せて、庫裡等も建て直されることになり、昭和58年(1983年)に完成したとの由です。

 また、『同書』pp.46-47によれば、寺宝は、法然上人の弟子・源智上人の秘蔵仏であり、弘法大師(空海)の真筆と称されている、不動明王の御影であるとの由です。これは元々鎌倉の農家に伝わっていたものとの由ですが、後に横浜南大田の増田家の秘蔵仏を経て、明治5年(1872年)に天然寺の寺宝になったとの由です。伝承としては、明治10年(1877年)9月に悪疫が流行った際に、原仁左衛門(はらにざえもん),小泉鉄五郎の2氏をはじめとする野島町民の信仰が深かったために、悪疫がしずまったという話が伝わっているとの由です。現在でも各檀家では、不動明王のお札が祀られているとの由です。

 私にとっては、大好きなのに親不孝な見送り方しかできなかった、今は亡き両親を弔う際にお世話になっていて、心の拠り所になっているお寺さんです。

 天然寺さんの紹介記事においては私事となり恐縮ですが、我が家の菩提寺は、元々、鎌倉幕府室町幕府御家人稗貫(ひえぬき)氏の庶流・根子(ねこ)氏として奥州稗貫郡(現在の岩手県花巻市)根子村を治めていた室町戦国時代には、花巻市曹洞宗法音山 昌歓寺でした。豊臣秀吉による小田原の役(北条征伐)に参陣しなかったために役後(戦後)の奥州仕置稗貫(ひえぬき)氏が滅んだ際に主家と運命を共にし、二度に渡る和賀・稗貫一揆の領土回復武装反乱が鎮圧された際に一族のほとんどが戦死した後、南部盛岡藩への仕官が叶いました。やがて南部盛岡藩から南部八戸藩が分離独立した際に南部八戸藩士として八戸に移住し、八戸城下の都市設計の過程で各藩士に所属寺院が割り当てられた際に、八戸浄土宗天聖寺の檀家になりました。その後、大正時代末期か昭和時代初期に父方の祖父母が上京して「東京神山氏」になった後も数十年間菩提寺は天聖寺のままでしたが、平成14年(2002年)に父方の祖母の一周忌を機に、天聖寺さんに紹介していただいて、天然寺さんに新たな菩提寺なっていただくことになりました。

 

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山門です。








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山門・その2







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本堂です。








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本堂・その2








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本堂・その3。







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鐘楼です。







 

◎ 法爾山天然寺に関して載っているホームページ,ブログ記事

○ 浄土宗ホームページ寺院五十音検索「テ」

○ 浄土宗 神奈川教区・教化団神奈川教区寺院情報

○ 小市民の散歩行こうぜようこそ「金沢・時代の小波  金沢地区2」へ!・天然寺

○ YAHOO! 地域情報 浄土宗天然寺

○ 浄土宗天然寺 【神社・仏閣まっぷ】

○ そらいろネット横浜市金沢区町屋町史跡巡り・観光名所案内天然寺

 

◎ 両親との思い出が残る故郷・横浜の紹介

温泉天国・鹿児島温泉紹介!
温泉天国・鹿児島温泉紹介!

鹿児島県には、城山観光ホテル等の鹿児島温泉鹿児島市内温泉), ふるさと観光ホテル, 霧島いわさきホテル, 硫黄谷温泉霧島ホテル, 新湯温泉霧島新燃荘, 野々湯温泉等の霧島温泉, 栗野岳温泉南洲館, 指宿白水館, 指宿いわさきホテル等の指宿温泉, 妙見温泉, 日当山温泉, 鰻温泉うなぎ温泉), 吹上温泉みどり荘, 紫尾温泉, 山川ヘルシーランド露天風呂, 平内海中温泉等の温泉や、霧島神宮, 高千穂峰, 霧島連山, 高屋山上陵, 鹿児島神宮, 鹿児島市内観光案内, 尚古集成館,  仙巌園磯庭園), 鶴丸城鹿児島城), 黎明館, 城山城山展望台), ドルフィンポート, いおワールド かごしま水族館, 桜島, 大中寺薩摩義士の墓), 知覧特攻平和会館, 知覧武家屋敷群, 時遊館COCCOはしむれ橋牟礼川遺跡), 長崎鼻, 開聞岳, 薩摩金山蔵, 新田神社, 可愛山陵, 泰平寺, 出水市ツル観察センター, 龍門滝, 屋久島観光案内, 白谷雲水峡, 屋久杉ランドヤクスギランド), 屋久杉自然館, 益救神社等の観光スポットがあります。また、温泉天国・鹿児島温泉紹介!では、黒川温泉, 由布院温泉, 別府温泉, 京都観光案内, 高知城高知観光案内, 横浜温泉, 鎌倉・三浦観光案内等の鹿児島県外の観光や温泉も紹介しています。

○ 【温泉天国・鹿児島温泉紹介!】横浜観光案内・横浜(ヨコハマ)地域紹介案内リンク集

○ 【温泉天国・鹿児島温泉紹介!】横浜温泉リンク集(横浜市内の天然温泉+スーパー銭湯)

 

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2009年8月 2日 (日)

父の三回忌

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 今日、亡父の三回忌を行いました。

 早いもので、最愛のを亡くしてから、もう2年が過ぎました。父の声を最後に聴いたのは、私が2年前の2009年8月1日に鹿児島から名古屋に転勤で引っ越しした夜のことで、もう、父の声を聴けなくなってしまってから2年が過ぎてしまったことになります。

 平成2年(1990年)頃から亡父亡母と3人で探して選んで、平成3年(1991年)に建てた墓の下に、今では亡父亡母も眠ってしまっています。を亡くしてから気落ちして、あっという間に心身共に衰弱して死んでしまった程にを愛していた父ですから、遺骨になってしまっても一緒に仲良くしているに違いありません。

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 菩提寺である横浜市金沢区浄土宗天然寺の副住職さんがお経を上げて下さいました。我が家の菩提寺は、元々、青森県八戸市天聖寺でしたが、2002年9月の父方の祖母の一周忌を機会に八戸の墓を上述の1991年に建てた墓に移転統合して祖父母の骨を納めた際に天然寺さんに新たな菩提寺になっていただいたものです。

 

母が亡くなってから早くも約3年弱、父が亡くなってから2年が過ぎましたが、いつまでたっても悲しいです。横浜の実家には両親との思い出がたくさん詰まっています。両親がいないのが悪い夢か何かで、目覚めたらそこにいて欲しいと思います。

 どうして、時間は不可逆反応なんだろう・・・

 

 

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2009年7月18日 (土)

亡父の声

 私が使っているauの携帯電話・W41Hは、亡き両親が存命だった2006年から使っている機種で、両親と最後に一緒だった時期の機種を変更する気になれず、使い続けているものです。

 過日、と申しても1年程前のことですが、その携帯電話の「簡易留守メモ」に、亡父の声が残っている旨を発見しました。私は普段はキャリア会社(au)の回線サービスとしての留守番電話サービスを使っているため、「携帯電話の機種のハードウェアの機能としての簡易留守メモ」機能は使っていないのですが、操作ミスで「簡易留守メモ」機能をオンにしている時に亡父からの電話がかかってきたものでした。

 丁度、その留守電の時期は、2006年6月に、亡母が後に死に至る過程の発端となった脳梗塞の発作で倒れて言語・運動機能を失ってから、同年11月11日に死ぬまでの間、基本的には在宅看護体制だったのですが一時期入院して、退院した旨の連絡を亡父がしてくれたものでした。当時私は第2の故郷・鹿児島に赴任していて、実家がある第1の故郷・横浜から遠く離れて住んでおり、なかなか実家に帰れず、やきもきしていた時期でした。 

母の死後、1年もしない内の2007年8月5日に父まで死んでしまったので、今となっては、大好きな父の生きた声を聴くことは、もう叶いません。ですから、上述のごとく操作ミスによる「或る意味、予測外の事故」とは申せ、私の携帯電話に亡父の声が残っていてくれたことは、とてもありがたいことでした。

 私の携帯電話の簡易留守メモの音声データをデータとしてパソコンに取り込む機能が調べても分からなかったので(もしかしたら、そのような機能自体が無いのかも知れません)、「ミニプラグ-ミニプラグ」間接続ケーブルを携帯のイヤホン・ジャックからパソコンのマイク端子につないで、再生した亡父のアナログ音声をパソコンで録音し、wma(Windows Media Audio)形式のデータとして保存しました。こうすれば、亡父の声を聴きたくなったらいつでも聴くことができます。亡父の声・・・聴いているだけで涙がこぼれ落ちてしまいます。

→ wma形式で保存した父の声はこちら(のリンク先)

 

 

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2009年5月10日 (日)

母がいない3回目の母の日

早いもので、2006年11月に母が死んでから、既に3回目の母の日になりました。私が最後に元気な母に会えたのは2006年の5月ですから、もう、3年前のことになってしまいます。

早いなぁ・・・とつくづく思います。どうして時間は非可逆反応なのだろう・・・。亡父も亡母も生きていてくれた日が、とうとう3年前になってしまった・・・。時間だけが過ぎていきます。

生きている時に、もっと親孝行をしておけば良かった・・・生きていてくれている時には特に母の日だからと言って何も考えなかったのに、何かしてあげたいと思う時には母は既にこの世にいない。つくづく、後悔することが多いです。

 

 

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○ 1年前の昨日

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○ 亡母の一周忌法要をしました。

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2009年5月 3日 (日)

両親のいない2回目のGW

 今年の長いGWは、横浜の実家に帰っています。相次いで両親を失って独りぼっちになってしまってから、2回目のGWです。

 3年前のGWは、倒れてしまう前の話をすることが可能な状態の母がまだ存命で、家族3人揃った最後のGWでした。家族揃っての最後の思い出になった閉館前の横浜プリンスホテルに行ったのは、今となってはもう3年前の5月のことです(GWと、それからもう1回)。一昨年のGWは、母は既に死んでしまっていましたが、まだ父は生きていてくれていて、今となっては、最後に父と一緒に行った母の墓参りをしました。その年の8月に父まで死んでしまったので、この一昨年のGWは、私が生前の父と会えた最後の時になってしまいました。

 大好きな父と、もう2年間会えていない。死んでしまったので、もう、二度と会えない。大好きな母と、もう3年間話をしていない。死んでしまったので、もう、二度と話ができない・・・。

 当時後期博士課程に在籍していた我が母校・社会人向け(東京と大阪でもサテライト・キャンパスで)土日開講の大学院・高知工科大大学院起業家コースの恩師は、ご自身の体験に照らし合わせて、「親を亡くした悲しみは、思い出す回数は年と共に経るが、悲しみが薄らぐことはない」と、父を亡くした私に言っておられましたが、最近、正にそのとおりだと思います。日々の忙しさの中で思い出す回数は減ってきていますが、悲しみが薄らぐことはありません。

 昔と同じように実家のこの部屋にいるのに、何故、両親はここにいてくれないのだろう・・・20年前のGWには家族で日光東照宮日光江戸村鬼怒川温泉など日光に遊びに行ったとか、11年前のGWには観音崎京急ホテル観音崎灯台など三浦観音崎を楽しんだとか、10年前のGWには円覚寺鶴岡八幡宮鎌倉宮など鎌倉に行ったとか、住んでいるエリア自体が横浜鎌倉・三浦と観光地のド真ん中で、GWの帰省の度によく行ったなぁ・・・とか、GW時期の両親との楽しい思い出ばかりが思い出されます。あれから20年過ぎてしまった・・・あれから10年過ぎてしまった・・・様々な思い出が脳裏をよぎります。横浜鎌倉には思い出があり過ぎて、どこに行ったのがいつのことかほとんど分からない程です。

 思い出って重要だなぁ・・・と今さらながら思います。もう両親との思い出が増えることはないですけれど、私が生きている限り、この大切な思い出を誰も私から奪えはしません。でも、父と母に会いたい。もう一度話をしたい。幽霊でもいいから、夢の中でもいいから出てきて欲しい・・・悲しみが消えることもありません。

 

 

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2009年2月16日 (月)

いわさきザビエル450跡地

いわさきザビエル450跡地
いわさきザビエル450跡地

昔、鹿児島市のこの街中の、この写真の空き地には、いわさきグループが運営するホテル「いわさきホテル ザビエル450(フォー・フィフティー)」がありました。名前の由来は、フランシスコ・ザビエル来鹿450周年を記念したものだと思います。もっと古くからの鹿児島市民ならば、林田ホテルとかいう名前で思い出があるかも知れません。この空き地の写真は、消えゆくブルー・トレイン寝台特急「はやぶさ」ラスト乗車と兼ねて、第2の故郷・鹿児島に「帰省」した際に撮したものです。

もう一つの写真は、鹿児島空港にあったいわさきグループのホテルの広告です。寂しいことに、「いわさきホテル ザビエル450」は消えてしまっています。

私が鹿児島市民だった2004年から2007年にかけては、「いわさきホテル ザビエル450」で、低層階のいわさき文化邑の2階にあった本屋さん「ブックジャングル」は、私にとってはお気に入りの本屋さんでした。1階にあったIBP(いわさきビジネスプラザ)という旅行代理店さんも、屋久島旅行や、亡き両親がまだ元気でいてくれた頃の横浜への帰省など、様々な思い出ある旅行でお世話になりました。鹿児島にいたおかげで乗る機会に恵まれた、末期のYS-11の搭乗券を買ったのも、この売り場です。

何よりかけがえのない思い出としては、今は亡き両親が当時の我が赴任地・鹿児島に遊びに来てくれて大好きな城山観光ホテルに一緒に泊まった際に、いわさきグループ鹿児島交通(当時;現・鹿児島交通観光バス)が運行する南薩摩方面の観光バス「指宿・知覧コース」に乗った際に、観光バスの乗車券を手配してバスに乗ったのが、この、「いわさきホテル ザビエル450」の1階の場所でした。今にして思えば、最後の泊まりがけの家族旅行となってしまった思い出の旅行の最終日です。両親鹿児島に来てくれて、嬉しかったなぁ、楽しかったなぁ・・・。観光バスに乗って、指宿岩崎美術館長崎鼻フラワーパークかごしま開聞岳池田湖知覧特攻平和会館知覧武家屋敷群を巡り、鹿児島市に戻ってからは、鹿児島市電に一緒に乗って私が住んでいる辺りに行ったり、私のお気に入りの「うなぎの末よし」や「カフェ・マノン」に案内したっけ・・・。あの時は、その僅か1年半後の翌年に母が死に、気落ちした父がさらに翌年死んでしまい、さらに数年後に、「いわさきホテル ザビエル450」が消えてしまうなんて、予想していませんでした。

両親が死んでまだ3年も過ぎていないのに、思い出の場所が消えてしまいました。とても悲しいです。あの日に帰りたいなぁ・・・。また再び、、「いわさきホテル ザビエル450」の前から観光バスに乗って、両親と南薩観光を楽しみたいなぁ・・・。とても悲しく寂しいです。

でも・・・今は亡き両親との最後の家族旅行の思い出の舞台になってくれて、、「いわさきホテル ザビエル450」には、「どうもありがとう」と言いたいです。ホテルや建物は消えてしまいましたが、思い出だけは、私が生きている限り、いつまでも消えません。


 

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鹿児島県には、城山観光ホテル等の鹿児島温泉鹿児島市内温泉), ふるさと観光ホテル, 霧島いわさきホテル, 硫黄谷温泉霧島ホテル, 新湯温泉霧島新燃荘, 野々湯温泉等の霧島温泉, 栗野岳温泉南洲館, 指宿白水館, 指宿いわさきホテル等の指宿温泉, 妙見温泉, 日当山温泉, 鰻温泉うなぎ温泉), 吹上温泉みどり荘, 紫尾温泉, 山川ヘルシーランド露天風呂, 平内海中温泉等の温泉や、霧島神宮, 高千穂峰, 霧島連山, 高屋山上陵, 鹿児島神宮, 鹿児島市内観光案内, 尚古集成館,  仙巌園磯庭園), 鶴丸城鹿児島城), 黎明館, 城山城山展望台), ドルフィンポート, いおワールド かごしま水族館, 桜島, 大中寺薩摩義士の墓), 知覧特攻平和会館, 知覧武家屋敷群, 時遊館COCCOはしむれ橋牟礼川遺跡), 長崎鼻, 開聞岳, 薩摩金山蔵, 新田神社, 可愛山陵, 泰平寺, 出水市ツル観察センター, 龍門滝, 屋久島観光案内, 白谷雲水峡, 屋久杉ランドヤクスギランド), 屋久杉自然館, 益救神社等の観光スポットがあります。また、温泉天国・鹿児島温泉紹介!では、黒川温泉, 由布院温泉, 別府温泉, 京都観光案内, 高知城高知観光案内, 横浜温泉, 鎌倉・三浦観光案内等の鹿児島県外の観光や温泉も紹介しています。

 

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○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 挽歌~父の死,母の死に関して詠んだ短歌

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2009年1月 1日 (木)

独りぼっちの大晦日・その2

もう、年があけちゃいましたが・・・

今年の紅白歌合戦で、森進一が「おふくろさん」を歌っていました。両親を亡くして悲しい私には、感動できる曲でした。森進一がこの歌を再び歌えるようになって良かったと思います。

実家に帰るのが遅かったので、布施明の「君は薔薇より美しい」を聴き逃してしまいました。この曲は、私の記憶に誤りがなければ確か一九七九年の曲。高校受験の頃に流れていたと思います。

安月給の公務員の家に生まれてきたのに、中学を出た場所である、当時の父の赴任地・札幌の公立高校に行きたくなくて、生まれ故郷・東京の国・私立進学校に 行きたいなどという(経済的に)身分不相応なわがままを許してくれた両親・・・。曲を聴くと、その曲が流行っていた頃の家族の歴史を思い出し、改めて両親 の私への愛の深さに涙がこぼれ落ちます。

余談ですが、私が札幌で中学を出たのは父の赴任が妻子帯同だったからです。当時の国家公務員は単身赴任は珍しかったと思います。理由は、単身赴任の前提条件である「持ち家」を持てる程に豊かではなかったからです。持ち家はあったらあったでローンで家計が苦しいという話はあるのかもしれませんが、ローン云々以 前に「そもそも買えない」という状況でしたので、(現在はどうか知りませんが少なくとも当時は)家族と一緒に転勤するのが当然のことでした。家族が父の赴 任地で暮らしていたのも当時は「持ち家なんか無かった」からで、結局、我が家では寮のある高校を選んで、子供(私)が家を出たのでした。

話を本題に戻します。

子供の頃は、いや、大人になっても最近までは懐メロに対しては純粋に音楽的な名曲としての価値しか分かりませんでした。懐メロには、悲しくせつなく「あの頃」を思い出させてくれる力があるのだと、両親を亡くしてから知りました(昔のドラマや映画も同様)。

「君は薔薇より美しい」、聴きたかったなぁ・・・。

 

 

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2008年12月31日 (水)

独りぼっちの大晦日

今日は大晦日。昔と同じように、実家で紅白を見ています。
でも、昔とは全く違ってしまいました。四年前には、両親と年末年始を楽しんでいました。三年前には、母は入院していて寂しい大晦日でしたが、家にいなくても母は生きていてくれました。一昨年は母が死んでしまい、父と二人だけの寂しい大晦日でした。その父まで死んでしまい、昨年と今年は独りぼっちです。家族揃って年末年始を過ごした最後の時間は、既に四年前のことになってしまいました。

紅白歌合戦で、「千の風になって」が流れていました。有り体に申し上げれば、私はこの歌に違和感を覚えます。この件に関しては、人生感は人それぞれですので、自説をヒトに押し付ける権利など私には無いし、逆もまた然りなので反論もまっぴら御免なのですが、私自身としては、この歌で心は癒されません。

私が両親の墓参りに行く際には、両親に会いたいから墓参りに行くのに、「そこに私はいません」では悲しいです。父と母に会いたい・・・「お父さん、お母さん」と話しかけながら思いきり泣きたい。だからお墓参りするのに、「そこに私はいません」では悲しいです。だから私はこの歌で癒されることがないのです。

でも、独りぼっちになっちゃって、独りぼっちで生きていて、墓参りしていない多くの時間では、「風になっているよ」というのは、もしもそれが「肉体は消えても、いつも両親の魂はそばにいてくれる」という意味ならば癒されます。結局、遺族としての私の悲しいわがままなのでしょう。墓参りに行ったらお墓の中に、墓参りしていないときにはそこの場所に、いつでもどこでも、両親の魂にそばにいて欲しいのです。

いずれにせよ、「千の風になって」には私は違和感を覚えます。日本人の死生観が変わって来たような気もいたします。ただ、繰り返しになりますが、私は誰かにこの自説を押しつける権利はありませんし、逆に、誰も、逆の意見を私に押しつける権利はなく、そんなことはまっぴら御免です。ですから、当日記に対しては「議論」や「意見」の類のコメントである場合にはご遠慮下さるようお願いします。

実証科学の法則は実験・観察で決着がつく限り一つですが(ただし、その代わり、実証科学においては「まだ間違っていない仮説モデル」はあっても「正しい仮説モデル」などというものは無い)、正義だの道徳などというものに属する命題は、「実験・観察事実での反証可能性がない」という意味において、そのどれもが正しいです。故に実証科学とは異なり、ヒトの頭数だけ「正しい」答が存在することになります。答は一つだけど正しい答はない(=単に、実験・観察事実でまだ反証されず、まだ間違っていないだけの)実証科学と、答はヒトの頭数だけ存在するけどそのどれもが正しい「例えば正義や道徳のように、実験・観察事実での反証可能性がない、実証科学の守備範囲外の世界」の二種類の命題が世の中にはあります(実際にはその中間の領域の命題もありますので、相当乱暴に単純化した二分法ですが)。反証可能性がない命題においては、答はヒトの頭数だけあるものなので、誰かが誰かに自説を押しつける権利はありません。だからこそ、「押しつけたくないし、押しつけられたくもない」ので、私の思いに同意は不要ですし、反対意見もご遠慮いただきたい訳です。「ヒトはヒト、自分は自分」という訳です。

紅白歌合戦に話を戻せば、SPEEDが復活していて、大好きな上原多香子が綺麗だなぁ、と思いました。懐かしい歌も多いですね。かつては紅白で昔の歌を歌う歌手に対しては「今の力ではない」として私は批判的だったのですが、両親を失って独りぼっちになってしまって悲しく寂しい私にとっては、このため、昔の歌を聴くと、両親が生きていてくれた頃を思い出せるので、「悲しいけれど、ありがたく嬉しい」です。今では私も、紅白歌合戦に懐メロが登場することに賛成に変わってしまいました。

両親の死を嘆き続けている私は他人の死にも神経過敏に心がシンクロし易くなっているので、今年(二〇〇八年)死んだ緒形拳の写真と、遺作になったドラマの歌・平原綾香の「ノクターン」が流れた時には感情移入して、とても悲しかったです(だから感動できて、良かったです)。

あぁ・・・悲しいなぁ・・・。父も母も、もうこの世にいない。売れ残りの私には新たな家族もいない。この冬は経済不況で家さえ失っている人達さえいる状況下では、暖かな部屋で紅白歌合戦を見ていられるだけでも贅沢なことなので、悲しがっているのはわがままな話なのかもしれませんが、でも、やはり、悲しさと孤独感と寂寥感は深いです。

追伸  家や職を失った方々が、来年は良い状況になって欲しいなぁ、と思います。暖かい家があって、家族がいて、(孤独な私も含めて)みんな来年こそは、もっと良い年になりますように。

追伸 : 家族が欲しいよー!、暖かな家庭が欲しいよー!

 

 

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2008年12月 3日 (水)

Afternoon Tea TEA ROOM

Afternoon Tea TEA ROOM
Afternoon Tea TEA ROOM
Afternoon Tea TEA ROOM

今日、仕事の後で名古屋の栄の三越J. Pressのブレザーを買った帰りに、三越内のAfternoon Tea TEA ROOMに立ち寄りました。

Afternoon Tea TEA ROOMは、ヘビー・スモーカーの私にとっては、タバコが吸えない喫茶店の中では唯一例外的に大好きな、行きたい店です。その理由は、故郷・横浜の上大岡のAfternoon Tea TEA ROOMが、亡き両親との思い出の店だからです。

亡父引退後の両親はどこに行くのも一緒、日々のお買い物も含めて毎日がデート状態という仲の良い夫婦でした。その両親のお気に入りの場所の一つが上大岡のAfternoon Tea TEA ROOMでした。両親存命の頃に私も一度連れて行って貰いました。母の死後も、父が生きていてくれていた時期の最後の帰省の際に、母の墓参りの帰りに母を忍んで父と立ち寄ったので、結果としては父との最後の思い出の場所の一つになりました。

実は父の死後、故郷とは別の街も含めてAfternoon Tea TEA ROOMに来るのは初めてです。ここに来れば、亡き両親とつながっているような気持ちになれる・・・私にとっては、Afternoon Tea TEA ROOMはとても素敵な憧れの店です。

なお、写真中、最初の二枚は名古屋の店で、最後の一枚は故郷・横浜の上大岡の店です。

 

 

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2008年11月11日 (火)

母の三周忌の命日

母の三周忌の命日
母の三周忌の命日
一昨日、亡母の三回忌の法要をしましたが、本当の命日は今日です。

写真は、一昨日の三周忌の際の、お墓の写真です。菊の花を嫌って洋花を愛した母の趣味に配慮して、霊園の方々が洋花を用意してくれました。

母も、この花をあの世から見てくれたかなぁ・・・

 

 

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2008年11月 9日 (日)

母の三回忌の会場にて

母の三回忌の会場にて
母の三回忌の会場にて
母の三回忌の会場にて
母の三回忌の会場にて
これから母の三回忌です。もう二年が立つというのに、父にまで昨年死なれてしまい、かつ独身売れ残りで独りぼっちになってしまった私は、まだ悲しみから立ち直れていないです。

会場に遺影を置きました。涙が止まりません。亡父や亡母に会いたいです。

今朝は、チョココロネを食べました。生前の母と、チョココロネっておいしいよねという会話をした思い出があるので、実家近くのスーパーに並んでいた時、母が恋しくなって買ったのです。

少しでも、些細なことでも、亡き両親につながっていたい。チョココロネも、そんなものの一つです。

 

 

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2008年10月21日 (火)

両親との思い出の歌舞伎座の建物が消えてしまう

 今朝のテレビのニュースで、東銀座の歌舞伎座が建て替えられるニュースをやっていました。歌舞伎座は私にとっては、今は亡き両親と歌舞伎を楽しんだ思い出の場所です。

 

歌舞伎座ではありませんが三年前の今日十月二十一日、今は亡き両親は、国立劇場歌舞伎を楽しんでいました。私の会社の大先輩から貰ったチケットを両親にプレゼントしたのです。歌舞伎が好きなのにつつましやかな年金生活で歌舞伎に行けなかった両親はとても喜んでくれて、後で電話したら亡父も亡母も大興奮でした。

その僅か二カ月後もしない内に母が、後に死に至る契機になった脳溢血で倒れたので、この歌舞伎観劇は、両親が共に元気で「毎日がデート」状態の老後を送っていた最後の時期の話になってしまいました。

この歌舞伎観劇の一年後、今から二年前には母は死の床についていました。当時、父が「一年前の今日は何の日か知っているか?」と訊いてきました。即答できずに困っていると父は、「なんだ、忘れたのか。お前がくれたチケットで歌舞伎に行った日だよ。楽しかったなぁ。あれから一年でこんなになっちゃって・・・」と言って泣き始めました。父にとって、その歌舞伎観劇は、かけがえのなく忘れられない母との思い出だったのです。母が死んだのは、その約半月後のことでした。

そのさらに一年後、つまり去年の今日には、その父もこの世にいませんでした。母を失った悲しみと、母の在宅看護の疲労とのため、母の死後急速に心 身共に衰えていった父は、母の死後一年もしない内に後を追うようにして、心筋梗塞で死んでしまったのです。転勤族で遠く離れて住んでいた私は、父の死に目 にも母の死に目にも会えませんでした。父の時に至っては、大好きな父を孤独死させてしまいました。

私が両親と歌舞伎座に行ったのは二十年近くも前の大昔のことです。家族揃って歌舞伎が好きだったのに、私自身は十数年、両親と歌舞伎に行っていないので、遠い昔ですが懐かしい場所です。歌舞伎が好きだった両親。共に元気だった最後の時期に夫婦で見た歌舞伎の思い出を大切にしていた亡父・・・。丁度、その両親最後の歌舞伎観劇の三年後の日に思い出の歌舞伎座建て替えのニュースを知るのは、私にとってはとても寂しいことです。あんなに両親が歌舞伎観 劇を喜んでくれてから、早いものでもう三年です。去年のことを忘れたのかと亡父に叱られたのがつい昨日のことのようなのに、既に丁度二年後です。そして、 その二年前には、母は死の床についていたとは申せ両親共に生きていてくれたのに、そのさらに一年後の去年からは私は独りぼっちになってしまっています。

今の歌舞伎座の建物がなくなるニュースは、恐らく天国の両親も悲しんでいるでしょう。亡き両親と共に歌舞伎座に行った日や、両親と離れていても、両親が元気でいてくれて、私が送ったチケットで夫婦で歌舞伎を楽しんだ日、その頃に戻れるものならば戻りたいです。

 

 

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2008年9月23日 (火)

城山観光ホテルのテラス

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先週末、2008年9月20日(土)~21日(日)に鹿児島に行った際に泊まった城山観光ホテルには、朝食バイキングの会場の前に気持ちの良いテラスがあります。このテラスの写真を掲載します。

席配置上分煙可能ですので、私のような愛煙家には他者への迷惑を気にせずにタバコを楽しめるのもうれしいテラスです(2008年9月現在)。このテラスは、城山から鹿児島市街地や桜島を眺められる場所にあり、とても景色が美しく素晴らしい所です。ここも、2005年5月の、今は亡き両親との最後の家族旅行の際に、両親と楽しんだ場所です。父も愛煙家でしたので、親子で並んで吸う親子タバコはおいしかったなぁ・・・。

両親は相次いで死んでしまいましたが、思い出だけは誰も消せません。また、このテラスの素晴らしさだけは今日も変わらずに残っています。この素晴らしい城山観光ホテルのテラス、私にとっては宝物のように大切で大好きな場所の一つです。

 

 

 

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城山観光ホテルの桜島が見える温泉展望露天風呂

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先週末、2008年9月20日(土)~21日(日)に鹿児島に行った際に泊まった城山観光ホテルの温泉「城山観光ホテル・城山温泉・さつま乃湯」の写真を掲載します。

城山観光ホテル・城山温泉・さつま乃湯」は、亡き両親との最後の家族旅行の際に亡父と一緒に入った思い出の温泉です。

当時の拙赴任地・鹿児島に両親が遊びに来てくれた日、両親が来てくれるのが事前からワクワクうれしかったのがつい昨日のようで、あれから3年以上が過ぎたことが嘘のように思えます。亡父と一緒に入った思い出の温泉・・・もう二度と一緒に来ることは叶わないけれど、亡父との思い出がこもった、私にとってはかけがえのない大好きで大切な温泉・・・。男の子には珍しいファザコンだった「お父さん大好きっ子」だった私にとっては、大好きな父と最後に一緒に入った温泉・・・。

鹿児島の温泉の中でも特に私は、この「城山観光ホテル・城山温泉・さつま乃湯」が大好きです。もう二度と生きた父に会うことは叶いませんが、思い出だけは誰も消すことができません。城山観光ホテル朝食バイキングも素晴らしく、ここで亡き両親と共にバイキングを食べた思い出も、つい昨日のようです。楽しかったなぁ・・・。もう二度と両親と朝食バイキングを楽しむことは叶いませんが、一人で再訪しても素敵な朝食バイキングですし、あの日の両輪との思い出だけはいつまでも消えません。城山観光ホテル朝食バイキングも、私にとっては、かけがえのない大切なものです。

城山観光ホテル・城山温泉・さつま乃湯」の露天風呂からは桜島が綺麗に見えるのですが、この日は残念ながら雲に隠れていました。

お父さん・・・今日はお彼岸だというのに横浜に帰省してお墓参りしていなくてごめんなさい。この歳まで売れ残ってしまっていてごめんなさい。 

 

 

 

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2008年8月28日 (木)

今日は誕生日

今日、8月28日は誕生日でした。

 

一昨年2006年11月11日に母が死に、相次いで昨2007年8月5日に父まで死に、独りぼっちになってしまってから既に1年が過ぎてしまいました。

 今週は夏休みを取って誰もいない横浜の実家に昨日帰って来たので部屋の片づけをしようと思いましたが、片づける気がしません。家族との思い出が残っている近所のデニーズで朝食を取りました。昔は私独りじゃなかったのに・・・。

 私は今まで行ったことがなかったのですが、両親が生前よく行っていたカフェがあり、元気だった頃からよく話を聴いていて、母の死後は懐かしそう に父が語ってくれていた店がありました。2005年12月に母が脳溢血で一旦倒れてから、一時は体調が戻って退院して、翌2006年6月に致命的な脳梗塞 の発作で倒れるまでの間のリハビリしていた間、両親にとっては束の間だった最後の幸せな数ヶ月のことです。父は母をそこに連れて行ったところ、従来は好き だったハンバーグか何かのステーキを母は吐いてしまい、既に体が油濃いものを受け付けなくなったのだと思った旨を父は話してくれました。母との思い出を何 度も何度も語ってくれた父・・・でも、その父ももういません。

 上述のごとく、実は私はその店に行ったことが無かったので、今日、初めて行ってみました。素敵な店でした。両親が好きだった理由がよく分かりま した。両親はリタイア後の老後デートでここを愛用していたのか・・・席に二人で座っている両親を想像したら涙が出てきました。店のマスターに両親の話を し、「私にそっくりな顔をしたじいさんが来ていたでしょう?」と訊いたらすぐに分かって下さいました。

 かつて、実家の風呂を工事していた時に両親が通っていた銭湯がありました。その銭湯の話も、両親が生前元気だった頃からその話はよく聴いていま した。正直経営は苦しいとの由なのですが、近所の商店の人たちが来てくれていて、その人たちのために頑張っているという話を、番台の主が父にしてくれたの だそうです。母の葬儀の帰りに乗ったタクシーがその銭湯の前を通った際に、父が懐かしそうに、ここが「おたみ(母・多美子に対する父の呼び方)」と一緒に 行った銭湯だよ・・・と言っていました。父にとっては、母との思いで一つ一つが、母の死後には宝物になっていました。

 ところが、今月初めに父の一周忌法要をした際に近くを通った際に、そこは駐車場になっていました。あわててインターネットの銭湯系サイトを見て みたところ、残念ながら母の死後、まだ父が生きている間に廃業していた由を知りました。本当は、その時に場所を調べておいた上でこの休暇に入湯しに来た かったのですが、残念ながら今では駐車場になってしまっていた訳です。今日も、その近くを通りました。自分は入湯していないながら、父と一緒に前を取って 母の思い出話をした昔懐かしい銭湯があった場所は、駐車場です。母の葬式からまだ二年も過ぎていません。あの時あった銭湯・・・両親にとっては思い出の銭 湯・・・両親の思い出を辿って行ってみたかった銭湯・・・悲しいことに、私は一度も入湯できないまま、廃業してしまっていました。

 かつて父と行ったSC(ショッピング・センター)に行き、実家のアナログ・ブラウン管テレビを地デジ対応液晶テレビに買い換えるべく、電器店に行きました。自称勝手にベスト電器応援団長た る私としては、ベスト電器以外の店で買うのは本来ポリシーに反するかも知れませんが、父の生前、この店で液晶テレビを買うと父に約束していたことを思い出 したのです。でも、私の休暇期間中の配送が間に合わないことを知り、地デジ切り替えまでまだ間があることから今日の発注は諦めました。

 生きている内に買ってあげたかったなぁ・・・私は、約束を果たせなかった。約束を果たす前に、父は亡母の所に行ってしまった・・・。

 父の生前に最後に帰省した時に、そのSCのハンバーガー・ショップで父と一緒にソフトクリームを食べたことを思い出して、ソフトクリームを買って食べました。去年の5月には父が一緒にいてくれたのに、今日はいません。父さん・・・悲しいよぅ・・・

 この街の至る所に両親の思い出が残っています。悲しいのですが、思い出に浸っていたいので、その思い出の場所をついつい辿ってしまいます。

 夜、テレビを見ていたら、秘密のケンミンSHOWという番組で、鹿児島と新潟と山梨という、私にとっては第二の故郷の懐かしい県が3県も出てきました。それぞれの場所に両親との思い出があります。

 去年のこの時期は、父を亡くしてからまだ一ヶ月たっておらず、「もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか」 という日記を書いていました。今夜もまったく思いは同じです。父と母がせっかく産み出してくれた命・・・今、私は先が見えずに閉塞感で疲れてしまっていま すが、天国の父と母を悲しませたくないから、頑張らなければいけません。両親を悲しませてはいけない・・・なんか、その思いだけが、今の私を支えているよ うな気がします。45年前、母は私を産んでくれました。

 

 

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○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 挽歌~父の死,母の死に関して詠んだ短歌

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2008年8月25日 (月)

You Tubeで鹿児島の動画を見つけました

You Tubeで鹿児島が写っている動画を見つけました。

元・鹿児島市民としては、非常に懐かしいです。鹿児島に赴任した当初は亡父亡母横浜の実家で元気でいてくれて、私は第二の故郷・鹿児島を楽しみ、帰省すれば第一の故郷・横浜を楽しめていた時期・・・が倒れる前の、私にとって鹿児島在住時代の前半は特に楽しい時期でした。

両親が元気で自分は鹿児島にいた頃・・・あの頃に戻りたいなぁ・・・そんなことを思いながらこの動画を見ると、思わず涙が止まらなくなります。

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

Konohaur_1








 

ChiikiIT








 

 

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○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

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2008年8月 5日 (火)

父の命日

今日は、大好きな父の、命日です。亡父の一周忌法要は土日を利用して一昨日行いましたが、本当に死んだのは、昨2007年の今日です。死亡時刻は早朝、というよりもほとんど前日夜中というべき時刻ですから、昨年の今頃には既に父の命はありませんでした。

死ぬ半月ぐらい前の電話で父は、実家のある故郷・横浜から遠く離れた鹿児島に当時赴任していた私に、なかなか帰省してくれないことに対する寂しさを訴えていました。私は、ちょうど父の死の五日前の名古屋への転勤を控えて忙しく、帰省できない旨をわびました。鹿児島よりも横浜に近い名古屋に息子の私が移って来た旨を喜んでいた矢先に、我が引越のわずか数日後に父が急死した旨は、過去の他の日記に書いたとおりです。

父は突然死かつ孤独死でした。男の子には珍しい「ファザコンの、お父さん大好きっ子」たった私は、大好きな父を、孤独死させてしまったのです。ちょうど一年前の今頃、父は独り寂しく死んで横たわっていました。最後に私が帰省したのがゴールデンウイークでしたので、息子(私)には死ぬ前3ヶ月会えないままでした。どんなに寂しい思いで死んでいったことでしょう。昨年の正に今頃、父は発見されることを待っていたのだ・・・そう思うと、今日は一日中、悲しくて辛くて亡父に申し訳なくて、胸が締めつけられる思いでした。

父の死の悲しみから私がまだ立ち直れていない旨は、これまでの日記に書いたとおりです。でも、父が味わった寂しさを思えば、父に会いたいなどと言える資格は私には無いのかも知れない、と思います。でも、父に会いたい。父に会いたい。父さん、去年の今頃、寂しく死なせてしまい、本当にごめんなさい。

 

 

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2008年8月 3日 (日)

父の一周忌法要無事終了

父の一周忌法要無事終了
父の一周忌法要無事終了
父の一周忌法要無事終了
無事に父の一周忌法要が終わりました。

早いなぁ・・・もう、一年が過ぎたのですね・・・。実家のカレンダーは、父が死んだ去年の8月のままです。あの日のまま、時間が止まってしまっているので。

 

 

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これから亡父の一周忌

これから亡父の一周忌
これから亡父の一周忌
これから亡父の一周忌法要に行きます。霊園は横浜の南部にあるので、京急こと京浜急行電鉄に乗ります。

京急は、三浦に遊びに行くときに乗る路線だったので、両親がまだ生きていてくれた一昨年までは、楽しい思い出しかありません。父も母も亡くなってしまい、思い出の多い大好きな京急に、父の遺影を抱えて独りでいるのが悲しいです。

 

 

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2008年8月 1日 (金)

父と最後に電話で話してからちょうど一年

今日は、亡父と最後に電話で話してからちょうど一年目です。鹿児島から名古屋に赴任して来た、引越の日でした。私が鹿児島よりも実家のある横浜に近くなり、父は喜んでいました。後で聞いた話では、その翌々日、息子が近くに戻って来たと喜んで親戚に電話をかけまくっていたそうです。私も、そのさらに前年(つまり一昨年二○○七年)に亡母が死んだ際には親不孝な見送り方しかできなかったので、せっかく近くに異動できたので亡母にできなかった分までも父に親孝行するつもりでした。

耳が遠くなっていた父は、私の新住所をなかなか聞き取れず、今にして思えば、最後の電話だったのに苛々しながらの会話でした。引越の荷物片付けも残っていたし、事務的に到着報告だったので、すぐ電話を切ってしまいました・・・それが最後の電話になるとも知らずに。

私が夜遅くて電話すると迷惑だったりするので、次は一週間後ぐらいでいいやと思っていました。「一週間おき」という間隔は、母の死後に父が心配で、当家ではむしろ間隔が短くなった間隔でした。その翌週に新任の業務の合宿研修があるので、実家のある横浜の近くの東京に週末に行く予定があったのですが、研修準備が遅れていたので、実家には寄らずに研修所に直行することにしました・・・正にその週末、父は心筋梗塞で突然に孤独死していたので、今となっては、一生後悔してもし足りない、直行の判断でした。

研修が終わって名古屋に戻り、今夜は一週間過ぎたので電話しようと思っていた矢先、父が死体で発見されたとの急報を受けました。一週間後・・・一週間後・・・一週間後の電話の機会など、二度と来ることは無かったのでした。

最後になってしまった父との電話。最後になってしまうなどとは夢にだに思わずに、あっさりと切ってしまった父との電話。今日でその最後の電話から ちょうど一年です。大好きな亡父の声を、今日で一年聴いていません。そして、この期間は、これから長くなることはあっても短くなることはありません。今で も、両親の死を心では受け入れきれていない私は、何かの間違いであって欲しいと思って実家に電話をかけてしまいますが、当然、呼び鈴を何回鳴らしても、死んでしまった父も母も受話器を取ってはくれません。実家に電話すれば亡父や亡母が出て来てくれた昔、その当たり前だと当時は思っていたことは、今となっては、二度と戻って来ることはないことになってしまいました。

父の声を聴きたい。もう一度、父と話をしたい。最後に父の声を聴いてから一年・・・幽霊でもいいから電話に出て来て欲しいです。

 

 

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2008年7月21日 (月)

横浜そごうでミニ九州フェアに遭遇

横浜そごうでミニ九州フェアに遭遇
横浜そごうでミニ九州フェアに遭遇
横浜そごうでミニ九州フェアに遭遇
別に何も大がかりなフェアではありません。デパ地下のお菓子売り場の一区画のミニ・フェアです。

亡き両親の墓参りを済ませて名古屋に帰る途中、横浜そごうに立ち寄ったら、九州のお菓子フェアをやっていました。鹿児島の「かるかん」や芋饅頭の店、長崎カステラの店、鹿児島志布志市芋タルトの店、の三店です。

バラ売りもあったので、丁度一年前まで鹿児島市民だった私は、懐かしくなって「かるかん」を一個衝動買いしてしまいました。

そう言えば、両親が新婚時代を過ごしたのは長崎でした。私が子供の頃、デパートで九州物産展やっていると、亡母はよく連れて行ってくれました。私が知らない両親の新婚時代の思い出を亡父亡母が語ってくれるのを聞くのが好きでした。懐かしいなぁ・・・二度と戻って来ない、家族が幸せに揃って暮らしていた、遠い昔の思い出・・・。

今日の横浜そごうでも、このミニ九州フェアでお菓子を買った人が、九州を好きになってくれたり、後から思い出になってくれたりしたらいいなぁ、と思いました。

 

 

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墓参り(2008年07月)

墓参り(2008年07月)
墓参り(2008年07月)
久しぶりに、亡き両親の墓参りに行きました。写真は、菩提寺・天然寺と、両親が眠る墓地です。ゴールデンウィークに行って以来、2ヶ月以上ご無沙汰なので謝らなきゃ。

季節はずれなんじゃないかと思いますが、ウグイスが鳴いていました。ゴールデンウィークの墓参の日記にも書いた、生前の父と一緒に行った最後の墓参りの思い出がウグイスです。もしも本当に季節はずれだったら、神様か仏様か何かが、ウグイスの声を通じて亡父の魂と私をつなげてくれたのかもしれないと思いました。

両親との家族旅行の思い出がある木曽路馬籠妻籠に、学部学生時代からの親友夫妻と一緒に旅行に行った旨を、墓前に報告しました。涙が溢れました。

菩提寺と霊園に、亡父の一周忌の手配の再確認をし、亡母の三回忌の予約をしてきました。

最近の楽しみは墓参りです。亡父と亡母に会いに来たいからです。楽しみと申しても悲しくて涙が止まらない楽しみですが、もう二度と生きては会えないので、せめてお墓に会いに来たいのです。

 

 

 

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2008年6月27日 (金)

おぞましきはブツブツおじさんの怪

相次いで両親を亡くした悲しみから立ち直れていない私は、仕事でテンパっている以外の時間はほとんど、涙が止まらない状況にあります。街を歩いている時も涙、飯食っている時も涙、客観的には変な奴に見えるだろうと思います。

亡父や亡母が恋しくて、よく、「お父さん」とか「お母さん」とか、つぶやきながら歩いています。「お父さん」とか「お母さん」とかブツブツつぶやいて、泣きながら歩くおじさん・・・客観的には、よほどアブナイ奴に見えるだろうなぁ、と思います。

でも・・・もう二度と生きては会えないのに会いたくてたまらないのですから、仕方ないですよね・・・

「お父さん」とか「お母さん」とかつぶやくとき、いい歳こいて思わず甘えたような猫なで声になってしまいます。多分、両親を亡くして恋しいと、ヒトは子供に戻るのだろうと思います。お父さん、お母さん、会いたいよう・・・アブナイ奴だと思われても構わないから、思わず声が漏れて涙が溢れてしまいます。

 

 

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2008年6月17日 (火)

犬が来る家

数日前、猫が来る家の話を書きましたが、犬が来る家というのもありました。

母の死後、亡父がまだ生きていてくれて、母の死による気落ちで心身共に急速に老化が進む父が心配で、当時の赴任地・鹿児島から故郷・横浜への帰省頻度を増やして、亡父と共に亡母の思い出話をしていた時期のことです。猫が来る家の話をして「楽しかったね」と言ったところ、亡父が、「犬が来る家というのもあったよ」と言い出しました。

それは、私が子供の頃に父が赴任していた街の気象台の構内宿舎での話です。ある日、耳がたれた洋犬の雑種で、片足が不具の野良犬が構内宿舎に出没 するようになりました。たいていの犬には吠えられるので、犬は怖くて嫌いな私は最初ビクビクしていたのですが、吠える気配はありません。朝の通学時には構 内宿舎からしばらくついてきますが、或る程度の距離で戻って行きます。

実は或る家でその犬に餌を与えたところ恩義に感じたらしく、本人ならぬ本犬は構内宿舎の住民のガードマンをしているつもりの模様なのでした。その内に、その犬が仲間の犬を連れて来て、犬の大量護衛付き状態です。犬が怖い私も、逆に守って貰えて安心状態です。

晩年の亡父が思い出して言うには、犬の社会が高度で複雑である旨を示す思い出だとの由です。それは、仲間の犬は、その不具の犬についていれば餌を 貰えることが分かっているから、その耳たれ赤犬がリーダーになれている訳であり、単に腕力だけがリーダーの素質ではない社会であることを示す事例だからで す。もしも腕力が全てだったらリーダーになれていなかったであろう不具の犬が、リーダーになっていたことを亡父はおもしろがっていました。

楽しい思い出ですが、父が言い出すまで長い間、私は忘れていました。一家の楽しい思い出で忘れている話は、他にもあると思います。それを忘れたままにしていたくないので、亡母の思い出話を父とできた時間は貴重でした。母の死後、一年も持たずに父まで死んでしまったので、亡母の思い出話を亡父とする機会が消えてしまったことが、残念です。母の死はべらぼうに悲しかったですが、それでも父が生きていてくれた時期は、父までも亡くしてしまった今よりは、まだましでした。

 

 

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2008年6月15日 (日)

父がいなくなってしまった父の日

今日は父の日だったらしいです。

一昨年2006年11月11日に母が死んでしまい、昨年からは、贈りたくても母の日にプレゼントを贈れなくなってしまいました。

昨2007年の父の日には、当時の赴任地・鹿児島から横浜の実家の父に、越乃寒梅を父の日のプレゼントで贈り、喜んで貰えました。その際の父との電話は、つい昨日のようです。

ところが、昨2007年8月5日に父まで急死してしまいました。転勤族の私は、無念なことに最愛の父を孤独死させてしまいました

昨年の日記にも書きましたが父の死後、越乃寒梅は栓を抜かずに残っていました。亡父は、私が帰省したら一緒に飲みたかったのでしょう。「帰省できなくて、ごめんなさい」。私は泣きながら、遺影と化してしまった父と晩酌しました。生きていてくれる父と飲みたかった越乃寒梅。亡父は、どれだけ私の帰省を楽しみにしていたことでしょう。

父までいなくなってしまった今年は、母の日だけでなく、父の日にも贈り物をすることは叶いません。親孝行したい時には親は無し。悲しくて、寂しいです。

昔は、父の日にも母の日にもあまりプレゼントしていませんでした。贈れなくなる日が来ちゃうとキチンと認識できていたら、両親の生前、もっと元気だった頃からプレゼントしておけば良かったと思います。

 

 

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2008年6月12日 (木)

猫が来る家

亡父が気象庁職員で現役転勤族だった頃には、官舎の中にはかなりボロなものがありました。例えば終戦直後のバラックがそのまま残っていて、寒い雪国だというのにドアが完全にしまらず、外気は入って来るは、鍵は締まらないは、とかいう家など。

そんな中の一つとして、私が大学生の頃に両親が赴任していた或る街の気象台構内宿舎は、素足で歩くと足が汚れそうなボロ官舎でしたが、懐かしい家でした。気象庁職員は災害有事の際には気象台に駆けつけなければならないため、気象台によってはボロい構内宿舎があったのです。

或る日、当時私が住んでいた横浜か ら両親の赴任地に帰省すると、朝、庭の縁側のガラス窓で何やら音がしていました。何だろうと思って開けてみると、可愛らしい猫が三匹います。一匹はまだ子 猫ちゃんです。「え?」と驚いていると、亡父が、「かわいいだろ? 餌あげてみたら毎朝来るようになったんだ」と教えてくれました。

その猫の一家は、構内宿舎の各家で大人気でしたが、おもしろいことに、家ごとに同じ猫に対する名前が違うのです。猫は猫で、何て呼ばれても愛嬌を振りまいています。我が家では、母さん猫は「親」、姉さん猫は白猫なので「シロ」、子猫は何だっけ?、お父さんもお母さんも私を残して死んじゃったから、忘れたら訊けなくなっちゃったじゃないか・・・確か、「ミー君」か何かじゃなかったかと思います。

亡父が「餌付け」に成功したので、朝は我が家に来ます。おかげで我が家では毎朝、猫に起こされる毎日です。或る朝などは、母さん猫が餌欲しさに窓に前足を伸ばしてへばりついていました。その様子がおかしくて、家族で大笑いでした。

子猫が風邪をひいた時などは構内宿舎中で心配して、我が家の中古の座布団を縁側に置いて子猫を座らせたりしました。

丁度、私が会社に入社する前の、大学生生活最後の春休み。私自身も転勤族になっちゃったので、今にして思えば、大好きな両親と同じ家に何日も長い 間いられた最後の時と化してしまった、最後の長期休暇の帰省です。大好きな両親と一緒に暮らせて、猫と遊んだ二ヶ月間。戻りたいと思っても、二度と戻れな い日々の思い出です。

その構内宿舎は余りにもボロだったので建て替えることになり、私の入社と同時に両親は宿舎替えになりました。両親にとっても、その私の帰省時期は、その官舎で暮らした最後の時期になります。

後年、母の死後、父までもが死んでしまうまでの数ヶ月間、母を失った気落ちで急速に老化が進み出した父が心配で、当時の我が赴任地・鹿児島から横浜の 実家への帰省頻度を増やして亡母の思い出を父と語り合っていた時期がありました。その頃、「あの猫どうなったの?」と訊いたところ、「俺達の引っ越しは猫 達にとっては裏切りだったので、あれから恨まれて大変だったんだ」と言っていました。具体的に何があったのだろう?。次に帰省したら訊いてみようと思って いましたが、父は突然死かつ孤独死してしまい「父に会える次の帰省」の機会は来なかったので、訊きそびれてしまいました。

亡父も私も猫が好きでした。一時期とは申せ、今は亡き両親と二ヶ月間一緒に暮らせて、毎朝猫と遊んだ日々。楽しかったなぁ・・・もう、二度と戻って来ない、遠い日の思い出です。帰れるものならば帰りたい日々の中の一つです。

 

 

◎ 両親の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 挽歌~父の死,母の死に関して詠んだ短歌

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

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2008年6月 5日 (木)

亡母のおにぎり

私は過敏性腸症候群で慢性的に腹具合が悪いのですが、このため、先日は職場で昼休みに「トイレに缶詰め状態」に陥り、いつも一緒に昼飯を食う上司や先輩と別行動となりました。このため、その日は近くのコンビニでおにぎりを買って食べました。

おにぎりを見ていると、焼きたらこのおにぎりがあります。瞬間的に私は、かつて子供の頃に亡母が握ってくれたおにぎりを思い出しました。母がよく作ってくれたのは、焼きたらこと鮭のおにぎりでした。

アルミホイルで包んでくれて、学校の遠足や家族の日帰り旅行によく持って行ったものです。母が握ってくれたおにぎりはおいしく、アルミホイルを開けるのが楽しみでした。シチュエーション的にも遠足や日帰り家族旅行など楽しい時ばかりで、今思い出してもウキウキする思い出ばかりです。日帰り家族旅行の際のおにぎりは、大好きな亡父と亡母と一緒の、とても幸せだった時間の思い出です。

もう子供の頃には戻れないし、一昨年2006年に亡母は死んでしまいました。ワクワクウキウキしながらアルミホイルを開けて母が作ってくれたおにぎりを食べる機会は、もう二度と戻って来ません。子供の頃には当たり前だと思っていた、今となっては決して手が届かないささやかな幸せ。もう二度と食べられない、母が握ってくれたおいしいおにぎり。あの頃は楽しかったなぁ・・・

コンビニで買った、焼きたらこのおむすびを食べながら、亡母のおにぎりが食べたくて、涙がこぼれ落ちました。亡母が握ってくれたおにぎり・・・もう二度と食べられないおいしいおにぎり・・・今、とてもせつなく懐かしく恋しいです。

 

 

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2008年6月 1日 (日)

結婚したい、結婚したい、結婚したい

2006年11月11日の母2007年8月5日の父と、相次いで両親を亡くしてしまい、私はまだ、悲しみから立ち直れないでおります。

若い頃から結婚願望があるのに売れ残ってしまって独身の私は、本当に独りぼっちになってしまいました。寂しくて悲しくて、毎晩泣き暮らしています。

亡父と亡母は、父が最後の赴任地として故郷人事で出身地・首都圏に戻れて、それまでの転勤稼業からようやく落ち着いて定住した横浜の 実家で、母が死ぬまでの18年間、仲良く暮らしていました。それまで数年おきに転勤だったので、一つの場所に10年以上暮らしたのは、両親にとって初めて でした。特に父の定年退職後は毎日がデート状態で、どこに行くのも一緒だったとの由です。私にとっては、伴侶に恵まれていたら自分もそうありたいと思う、 理想の老後の夫婦像です。

あれはいつの日のことだったか、或る日横浜の実家に戻った際に、当時住んでいた川崎に 戻る際、「見送りはいいよ、自分で鍵かけるから」という状況で家を出ようとして、実家は狭いマンションなので間取り上玄関から真っ直ぐ見えるいつも家族が くつろいでいた部屋を見たら、炬燵(こたつ)の同じ側の席を父と母とが取り合っている姿が見えました。いわゆる場所取りなのですが、4面ある炬燵の1面に 二人で入ってじゃれ合いながら取り合っている姿はいかにも仲睦まじく、息子としても、見ていて安心するとても素敵で楽しい光景でした。実はその光景は私に とってはうろ覚えに過ぎなかったのですが、恥ずかしい所を見られたと思って父はいつまでも気にしていて、母の死後父が死ぬまでの間、衰弱が進む父が心配 で、当時赴任していた鹿児島からの帰省頻度を増やしていた時期に、何回もその思い出話をした上で、「あれは本当に場所取りだったんだ」と言い訳していました。「でも俺はその光景を見てうれしかったぜ」と冷やかすと、亡父は照れて真っ赤になっていました。

遊びに行くのにも散歩にも、買い物にも、片方の同窓会にまで、いつも亡父と亡母は一緒。洋菓子店・かをりなど、故郷・横浜で 私が知っている素敵なお店やスポットの中には、両親がデートで見つけて教えてくれたものがたくさんあります。かつて父が赴任していた甲府の地方気象台の同 窓会の際には、父が同窓会に出ている間別行動をしていた母が、石和にあるチョコレート屋でチョコレートを買うのが楽しみで、私におみやげに買ってきてくれ ていました。残念ながらどのお店か覚えていないのですが、多分、葡萄の里だと思います。父も母も死んでしまった今、もう、そのおみやげを母が買って来てくれることはありません。悲しいですが、そのようないつも一緒の両親の姿は、息子から見ても理想の夫婦でした。

JR東海生涯学習財団の講座や2007年10月11日 (木)の日記「お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?」にも書いたとおり、横濱タウン新聞・アカデミア港南台主催の講座をデートで通ったり、歌舞伎や薪能を見たりするのも、亡父と亡母はいつも一緒でした。亡父の死後、京都に関する観光と兼ねたような文化講座の会員だった旨を示す手紙がたくさん来て、元々京都が好きだとは知っていましたが、本当に二人で楽しんでいたんだなぁ、と思いました。

本当にいつも一緒・・・何をするのも一緒。そんな夫婦の老後・・・いつか私も過ごしたいなぁ・・・。亡父と亡母は、本当に仲の良い夫婦の老後だったなぁ・・・。

母が死ぬとすぐに気落ちして心身共に急速に父は衰弱していきましたが、亡父曰く「両濡れ落ち葉」と自嘲するまでにいつも一緒で仲良しだった大好き な母が死んだので、父の心境を思えばそうなってしまわざるを得なかったのでしょう。息子としてはせめて父には長生きして欲しかったけれど、母が死んだ時点 で実質的に父にとっては人生は終わってしまっていたのかも知れません。

多分、他の夫婦も連れ添い続けている夫婦は同様なのでしょう。最近、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』を読みましたが、城山三郎さんの家でも同様だった模様で、感情移入してしまいました旨は、過日の日記のとおりです。

いま、私はべらぼうに寂しく、悲しいです。独りぼっちです。両親がそうであったような、生涯を共に歩んでくれる方に巡り会いたいです。こんな私で も拾って下さる方がいたら、とてもありがたいことだと切実に思います。結婚したい、結婚したい、結婚したい・・・切実にそう思います。

お父さん、お母さん、生きている間に、私のお嫁さんや孫の顔を見せてあげられなくて、本当にごめんなさい。私はまだ諦めていないから・・・これからでも頑張るから・・・

 

 

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○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

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○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

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城山三郎『そうか、もう君はいないのか』読書感想

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城山三郎の遺稿を再編集して出版された、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(新潮社,2008)を読みました。前から気になってはいた本なので、本屋で見かけて買い、一気に読み終えました。

丁度私は、2006年11月11日に母を亡くし、母の在宅看護による体力喪失と母を失った気落ちで心身共に弱っていた父が、後を追うようにして翌2007年8月5日に心筋梗塞で死んでしまったので、他人事とは思えない本でした。また、独身売れ残りで一人っ子の私は「家族」というものがなくなり独りぼっちになってしまったので、自分の妻を失った訳ではありませんが、肉親を失う悲しみと残された寂しさは、正に自分の問題として感情移入しながら読み終えました。とても今の私には他人事だとは思えない、我が事として読んだ本でした。

城山三郎の奥様との出会い、様々な思い出、死に至る過程、感謝の思い、喪失感、全てがヒシヒシと伝わって来ます。死んだと頭では分かっていても、p.134によれば「そうか、もう君はいないのか」と話しかけてしまうとの由でこれが本の題名にもなっているのですが、この気持は理屈抜きに分かります。私事で恐縮ながら私も、日中仕事をしているときは平気なようでも、帰宅して一人になると「お父さん、お母さん」と無意識の内に幾度も呼びかけてしまいます。今の宿舎は実家ではないので一緒に住んだ訳でもないのに、呼んだからといって生き返ってくれる訳でもないのに、「お父さん、お母さん」と泣きながら呼び続けてしまいます。多分、「そうか、もう君はいないのか」という城山三郎のつぶやきも、同様のものだったのだろうと思います。

また、「医師に教える気か!」(p.122)と怒鳴りつける傲岸不遜な医師がいて、その医師の態度故に恐くて奥様がキチンと病状を訊くことができなかった旨が癌の発見の遅れにつながったとして、この医師に「恨みが残る」(p.123)旨がpp.122-123に載っています。この点に至るまで、他人事とは思えずに感情移入してしまいました。

実は、後に死に至る脳梗塞の発作で亡母が2006年6月に倒れた際に、「前年2005年12月の母の脳溢血の発作は脳梗塞とは見た目の症状は逆だけど、もやもや病で血管が細いことに起因するので実は原因は同じである」旨を父が病院の担当医に指摘したところ、「素人に指摘された」ことで急に医師が不快感を露わにしたことがあったとの由です。父は理系であることもあり「専門用語で通じるどころか、見た目の症状が逆の場合に『自分のアタマでは考えられず、単に習ったことを覚えるだけ』の医療関係者が気付かないことにまで気付いて提案する能力がある」のですが、「看護士が気付いていない点で医師だけが気付いていて、『だから俺は偉いだろう』と思っていた」点を「素人」に指摘されて不愉快になった模様であるとの由でした。看護士(複数)は、教科書通りに解釈すれば単に見た目の症状が逆の別の病気なので、脳溢血と脳梗塞とは別物という認識しか持っていなかったのです。丁度老人入院医療費削減という政策動向もあり、「生意気なことを抜かす患者の家族」は顔もみたくないとばかりにいきなり転院を薦められ、これに反発した父は、この医師と喧嘩するようにして在宅看護を選択しました。

このような医師の傲岸不遜ぶりまで、私の母が死んだ時とそっくりです。拙亡母の場合にはこの時点では既に「意識はあるがしゃべれず体は動かず、もう助からない状況」だったので「事前に医師を代えていたら助かったかもしれない」城山三郎の奥様とは事情が異なるのですが、傲岸不遜な医師を恨んでいる点は城山三郎と同様です。その理由は、この在宅看護の強行が父の体力を弱めてしまい、母の死後1年も立たない内に父が死んでしまったことの原因の一つになったと私は思っているからです。

母の死に際して医師に関しては在宅看護専門医で良い医師と巡り会えたので良かったのですが、大人三人でも苦しい在宅看護を(私が転勤で別の街に住んでいたので)老齢の父が一人で強行したことは、体力を弱めてしまったのでした。亡母の場合、最初の病院の医師の傲岸不遜さが無く父がつむじを曲げていなかったら、父の体力が消耗することなく、母の死後もっと父には長生きして貰えたかも知れない・・・そう思うとどうしても恨みやわだかまりが残ります。と同時に、頑固な父に対して母の転院の説得を諦めたり、多忙ゆえなかなか実家に帰れなかったという、母の末期の時期の自分を許せない思いにかられます。最後の最後の時期に、母に対して私は親不孝だったと思わざるを得ません。最初の病院の医師に話を戻せば、職業倫理の上でもプライド自体は必要ですが、プライドと傲岸不遜さとは、似て非なるものです。私は、「お山の大将として威張りたい」だけの理由で、患者の家族が理系ゆえに的確な指摘をした途端に不機嫌になり転院を薦めて追い出そうとした、母の最初の病院担当医を許す気持にはなれません。理屈の上では転院を拒んで在宅看護を強行した父の自己責任ということになるのかも知れませんが、ヒトは感情の動物です。父は頑固なので、「この野郎、べらぼうめ」と思った途端に、その病院だけでなく、母の入院自体を忌避するようになってしまったのでした。だからこそ、城山三郎も途中で医師を代え、最初の医師に対しては恨んでいる旨の気持がよく分かる訳です。

城山三郎『そうか、もう君はいないのか』は、 私にとっては、何から何まで感情移入してしまい、涙抜きには読めない本。とても他人事とは思えない、我が事として読んでしまう本。家族の大切さがよく伝 わって来る本。そして、「家族」を失ってしまい、「お父さん、お母さん」と幾度も繰り返して呼び続けている私にとっては、妻の死後の城山三郎の喪失感が、とても他人の感情とは思えない本。・・・思わず一気に読み終えて、涙が止まりませんでした。

家族を失った全ての方には、感情移入しての感動が得られると思います。運良くそのような悲しみをまだ身近に感じたことがない方に対しては、家族の大切さが改めて分かる本だと思います。お薦めの本だと思いました。

なお、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(新潮社,2008)pp.113-114によれば、丁度妻を失った時期に城山三郎が書いていた『指揮官たちの特攻-幸福は花びらのごとく』では、妻の死によって、残された遺族の戦後も書こうと方針を変えたとの由です。丁度、知覧特攻平和会館は、私の鹿児島赴任時代に「両親との最後の家族旅行となった鹿児島旅行」で訪れた思い出の場所であると同時に、肉親を失う悲しみが分かるテーマの場所です。このため、まだ読んでいないながら母の死後、鹿児島赴任中に特攻隊関係の本を買っていたのですが、鹿児島にいる間でなければ買えなさそうなローカルな本を中心に買っていたので、県外に転勤しても買えそうな城山三郎『指揮官たちの特攻-幸福は花びらのごとく』は買っておらず盲点でした。両親を相次いで失い残されて悲しむ私には共感可能な箇所が多いかと思いますので城山三郎『指揮官たちの特攻-幸福は花びらのごとく』も読もうと思いました。

追伸(後日補足):母の死後1年も持たずに父まで死んでしまった今日、母の死による父の喪失感はいかばかりであったろうかと思います。独身売れ残ってしまった一人っ子の私は、父まで死んで独りぼっちになってしまい、耐え難く孤独です(誰かこんな私でも拾って下さる方がいたら結婚したい!)。私の場合、もう両親がいなくなっちゃって無人になった実家に、もう両親は電話に出てくれないと分かっているのに、出てくれるんじゃないかという気がして電話をかけてしまいます『そうか、もう君はいないのか』・・・作者の思いは、理屈抜きにヒシヒシと伝わって来ます。本の内容を題名がよく表している本だと思います。お父さん、お母さん、合いたいよー。

→ アララギ後継誌『短歌21世紀』所属歌人として詠んだ拙歌の中の2首:
○ 父が出てくれさうな気を捨てきれず今宵も実家に電話をかけたり
○ 父の声も母の声もせぬ電話機よ呼び鈴だけは昔と変はらず

 

 

◎ 城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(新潮社,2008)に関する他の方のブログの記事

○ JA2KPR見聞記: そうか、もう君はいないのか:当日記を引用して下さったブログ記事です(ありがとうございます)。

○ ちょーちょーちょーいい感じ:そうか、もう君はいないのか

○ CWS private: ■節子への挽歌114:「そうか、もう君はいないのか」

○ CWS private: ■節子への挽歌162:「そうかもう君はいないのか」は誰に話しているのでしょう

○ Art de Vivre(暮らしのアート) | そうか、もう君はいないのか

○ コニコの喫茶店: 「そうか、もう君はいないのか」

○ 想い出のブリーフケース: そうか、もう君はいないのか

○ 気まぐれおばちゃんが行く : そうか、もう君はいないのか

○ 「そうか、もう君はいないのか」読了。 - Lunatics a gogo

○ 『そうか、もう君はいないのか』(城山三郎) : 本屋さんへ行こう!

○ 「そうか、もう君はいないのか」by城山三郎 シーラカンス日記/ウェブリブログ

○ 海猫伝説: そうか、もう君はいないのか(注:城山三郎の本の書評ではないのですが、亡くなった猫の写真が載っていたので載せておきます。亡父も私も猫が大好きで、猫を見ると父を思い出すからです。)

 

 

◎ 両親の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 母の死

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○ 今度は父の死亡

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○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

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2008年5月31日 (土)

挽歌~父の死,母の死に関して詠んだ短歌

拙個人公式WEBサイト「Noblesse Oblige カミタクの部屋」内の「短歌の部屋」掲載の拙歌や、一部数首の歌は拙個人公式ブログ「カミタク・ブログ」の日記「母を偲ぶ拙歌9首(2006年12月30日 (土))」と重複するのですが、2006年11月11日の母の死2007年8月5日の父の死を受けて、アララギ後継誌『短歌21世紀』所属アララギ歌人として詠んだ挽歌を、以下のとおり載せます(3~4首程、『短歌21世紀』の選の漏れた落選非掲載歌も含みます)。

 

 平成18年(2006年)短歌作品

 

○ 母の死

死ぬ前の母に会ひたしと思へども鹿児島からは横浜は遠し

死の床の母に会ひたし飛行機の速さも今の我にもどかし

あんなにもおしやべりだつた母なれど眼(まなこ)は開けど口は動かず

子の我を知覚してゐる様子なしせめて眼(まなこ)の反応を見たし

故郷(ふるさと)は横浜は街の隅々に母の思ひ出が満ち満ちてをり

太りてゐし母なり今は細々と骨皮だけの足になりたり

去年(こぞ)の今日母と歌舞伎を見し思ひ出繰り返し繰り返し父は語りぬ

ずつとずつと暖かなりし母の額我が着きし時既に冷たし

遺体とはいへども形のある母とこの家にゐ得る最後の夜なり

あと二時間あと一時間母の遺体が我が家を出(い)で行く時近づくも

お母さん嘘でもいいから目を開けて焼かれてしまふ前に逃げてよ

子守歌歌ひてくれしのど仏はかくも小さき骨になりたり

暖かつた手はどこだらうばらばらの骨からは既に知る術も無し

母の遺骨を持たせて貰へばこんなにも軽くなりたりこんなにも軽く

一緒に俺も焼いて欲しかつたと泣く父の傍らにをりなす術もなく

お母さんねえお母さんお母さん呼べども呼べども今は答へず

旅行ガイド開きて母との思ひ出を父と語れど過ぎし日はるけし

鹿児島に母が来てくれし日よわづか一年半前今日を思はず

夢に母が会ひに来てくれたりと気づくその瞬間に目覚めてしまふ

銀行に桃色の薔薇の花あれば母とバラ園に行きし日思ほゆ

母と来し駅前の店しみじみと今日は父と二人入りたり

横浜に帰れど二度と会ふことは叶はぬ母よ故郷の部屋よ

 

 平成19年(2007年)短歌作品

 

○ 亡き母

城山のホテルを見れば今もまだ母が来てゐるやうな気がする

去年実家に贈りし鹿児島の黒き酢を喜びし母はこの世にゐない

母と行きし猊鼻渓がテレビに映りをり涙が一筋流れ落ちたり

このリスの写真を撮りし時わが側には母がゐしと気づきぬ

霊などは信じて来ざりき我なれどいつかあの世で母に会ひたし

嘘だよね死んぢやつたなんて嘘だよね横浜に帰ればまた会へるよね

亡き母と行きし山川の植物園に行きたり母に会ひ得る気がして

二年前ここには父と母がゐしと思ひたる途端に涙止まらず

わづか二年前の幸せなりし日が今では遥けく思ほゆるかな

我が節句人形を孫に飾りたき母の願ひは空しくなりぬ

目覚むれば母の遺影が部屋にありかつてはお早うと起こしてくれき

何時まで起きてゐるのよ父と我を叱りし母の声は聴き得ず

母の形見のネクタイピンをなくしたり見つからぬまま転居せねばならず

 

○ 父の死

父の死を告ぐる電話は嘘だよと思ひたし実家に電話をかくる

独りきり発見されないまま父はここに倒れてゐたのかと思ふ

あの夜にせめて電話をかけてゐたらすぐに発見されたのだらうか

父の遺体と母の位牌の間に寝る幼き頃の川の字のやうに

父と共に二人の最後のこの夜は眠り得ぬまま窓白みゆく

孤独死をさせてしまひぬ人目など憚らず葬儀場で泣き続けたり

誰もゐない分かりてをれども玄関を開くれば言ひたりただいまと二度

父が出てくれさうな気を捨てきれず今宵も実家に電話をかけたり

父の死亡叙勲の品が着く夕べ生きてゐてくれし証を願ひて

話しても話尽きざるこの午後は墓石の前を離れ難し

 

 平成20年(2008年)短歌作品(の内、本日現在で掲載された分まで)

 

○ 亡き父亡き母とを偲んで

吾が送る旅の土産を喜びし母のハガキの来ることはなし

電池入れて父との思ひ出の鳩時計稼働を確認して実家を出で来ぬ

父からのメールがウザいと言ふ若き友は来ぬ日を思ひてをらず

孤独死をさせてしまひしといふ思ひ半年過ぐれど消ゆる時なく

父の声も母の声もせぬ電話機よ呼び鈴だけは昔と変はらず

夢に出でてくれたる父は心配でたまらずといふ顔をしてをり

『短歌21世紀』や、歌集『赤光』中の有名な連作「死にたまふ母」を残した斎藤茂吉などアララギの大先人達には比べるまでもなく足下にも及ばない出来具合ではありますが、私の悲しい思いを芸術に昇華させようとすると上述のようになります。せめて芸術に昇華させようとしない限り、余りにも悲しくて悲しくて辛過ぎます。

 

 

◎ このページに関連する他の方のブログの記事(挽歌,父の歌,母の歌など)

○ 「散り急ぐ桜花のごとく友送る・・・」 ~関 節夫短歌の挽歌~ - 吉祥天の「言ノ葉・魂の森」 - Yahoo!ブログ

○ 山上億良:日本挽歌と大伴旅人との交友 (壺 齋 閑 話)

○ 日本における火葬の始まり(柿本人麻呂の挽歌) (壺 齋 閑 話)

○ 柿本人麻呂の儀礼的挽歌(万葉集を読む) (壺 齋 閑 話)

○ 舎人集団の歌:草壁皇子への挽歌(万葉集を読む) (壺 齋 閑 話)

○ 平成万葉歌仙(五)「挽歌・志(こころざし)」の巻(十)|freeml

○ sylphid : 柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟して作る歌

○ 気になる本 - 奈良大学お勉強日記(『風呂で読む万葉挽歌』上野誠著)

○ 待ちぼうけの家: 死にたまふ母

○ 挽歌 - 別所沼だより

○ 斎藤茂吉記念館を訪れる 藤沢町民病院と佐藤元美の仕事/ウェブリブログ

○ 挽歌の山吹-さくら物語-楽天ブログ(Blog)

○ 短歌随想(父を偲んで) 八王寺だより/ウェブリブログ

○ ソラへ?無事に送りました。 - 宇宙のしっぽ - 楽天ブログ(Blog)

○ 短歌 701 母 - 愛あるところ - Yahoo!ブログ

○ 第4回目 かとちえの短歌教室 テーマは“母”

○ お母さんの味を忘れたくないから : 母短歌

○ ■母の短歌<201>-やゆひみの部屋

 

 

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○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

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はみだし刑事情熱系

名古屋テレビ 【メ~テレ】(NBN)では今、日中、略称「はみデカ」こと「はみだし刑事情熱系」の再放送しています。はみだし刑事情熱系は、1996年(平成8年)から2004年(平成16年)にかけてテレビ朝日系列で放送されていた柴田恭兵主演の刑事ドラマで、本放送の頃から大好きで見ていました。人情系の熱血キャラの刑事ドラマですが、主人公・高見兵吾を演じる柴田恭兵や西崎駿一刑事を演じる風間トオルなどクールなキャラの俳優が多く出演していたため、人情臭さが鼻につく程ウザくもなく、おしゃれな路線と人情味とのバランスがよくとれたドラマだと個人的には感じていたドラマです(この辺りは人によっては異論もあるかも知れません)。個人的には大ファンの女優の一人・中山忍が山口さくら刑事役でパート3とパート4に出演していたりもしたりしましたし、結構好きなドラマでした。

余談ですが、柴田恭兵風間トオルは、日本テレビ系列で1992年(平成4年)に放送していた「子供が寝たあとで」というドラマでも競演しており、「子供が寝たあとで」も当時ハマっていたドラマでした。

話を本題に戻せば、はみだし刑事情熱系は本放送の時から好きなドラマで、パート8で放送終了した時には悲しかったので、いま、時々録画して帰宅してから見ています。本放送放送の頃は、1年間の間はみだし刑事情熱系を放送していない月は再開が待ち遠しく、新パートになって放送されるのを心待ちにしていました。本放送の時に毎週見ていた筈なのに、不思議なことに覚えている回と全く覚えていない回があったりいたします。

丁度、このはみだし刑事情熱系が本放送されていた時期は、数日前の日記「最後の家族旅行から3年目」で述べたように、今にして思えば私が亡き両親を 泊まりがけの旅行に連れて行ってあげられなかった程に心の余裕を無くして悪戦苦闘していた時期で、日本全体でも、バブルがはじけた後の不況が最初は単なる 景気循環だと思っていたところ、実は「失われた10年」を経て社会構造まで変わってしまう未曾有の大不況が深化していた時期でした。そんな暗い時期だから こそ、人情味溢れるはみだし刑事情熱系はパート8まで8年間ほども続く人気ドラマになったのかも知れません。

今思えば、悪戦苦闘していた時期とは申せ、両親がまだ元気でいてくれた、ほぼ最後の数年間になります。母が、翌年2006年11月の死につながる一連の体調不良の最初となる、もやもや病に起因する脳溢血の発作で最初に倒れたのは、はみだし刑事情熱系が放送終了した翌年2005年の暮れのことです。そんなことを思いながら再放送を見ていると、あの頃は両親がまだ生きていてくれて良かったなぁ、という思いにかられます。最近の私は何を見ても亡き両親を思い出して悲しくてしょうがないのですが、両親とは直接関係のない世相やドラマを見ても、「あの時期の両親は」という思いがこみ上げて参ります。

本放送をやっていた当時には気付かなかったのですが、今見直してみると、はみだし刑事情熱系の人情ストーリーのテーマには家族愛があることに改めて気付きました。2006年11月の母翌2007年8月の父相次いで両親を亡くして悲しみにくれており、独身売れ残りで家族というものを失ってしまった寂しい独りぼっちの私には、本放送の時とは異なる、胸にしみるものがはみだし刑事情熱系から伝わって来ます。このため、本放送の時にもハマっていたのですが、本放送の時以上に胸にせまるものがあり、思わずハマり直してしまっています。

はみだし刑事情熱系の 本放送をやっていた、まだ両親が元気でいてくれた頃、その頃に戻れたらなぁ・・・と今にしてみればつくづく思います。上述の、本放送時には気付かなかった この番組の魅力に気付かないままでいいから、生きた両親に会いたい・・・今、切実に心からそう思います。そんなことを思いながら、はみだし刑事情熱系の人情味溢れるストーリーに思わず涙してしまいます。

<参考ホームページ(2008年5月現在、存在するもの)>

○ ウィキペディア・はみだし刑事情熱系

○ はみだし刑事情熱系パート7公式HP

○ はみだし刑事情熱系最終章(パート8)公式HP

○ 【楽天市場】はみだし刑事 情熱系 の検索結果

○ 【楽天ブックス】はみだし刑事 の検索結果

 

◎ はみだし刑事情熱系に関する、他の方のブログの記事

○ 『はみだし刑事情熱系Ⅵ』第7話 広域特別捜査隊活動日記/ウェブリブログ

○ はみだし刑事情熱系V

○ はみだし刑事 情熱系 空色なおれの日々

○ A day called today of only 1 time | はみだし刑事 情熱系

○ ☆Happy Life☆   はみだし刑事情熱系2

○ かずにっき(にっき+とらにっき+つぶやき) はみだし刑事情熱系~最終章~ 最終回

○ 杉本右京のメンタルヘルスジャーナル~mental health journal~心の三叉路:刑事ドラマの魅力~心の三叉路67~

 

 

◎ 両親の死に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

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2008年5月28日 (水)

川田亜子さんのお母様の気持ちを思えば

アナウンサーの川田亜子さんが自殺したとの由です。実は最近のアナウンサーをよく知らない私は川田アナを存じ上げないのですが、自分よりも若い人の自殺の報を聴くとやりきれない悲しみに襲われます。

どこで読んだか忘れて出典不明のニュース・サイトからの孫引きで恐縮ですが、自殺前の時期の川田アナの鬱状態のブログの中には、生きる意味を問うたところ、お母様が泣き出してしまったことがつづられていたとの由です。お父様やお母様にとっては、さぞやお嘆きのことでしょう。

実は私も数年前、自殺の寸前にまで追い詰められた鬱の心理状況になったことがありました。その年のGWに横浜の実家に帰省した際の両親との行楽は、最後の思い出を残すつもりでした。自宅(独身寮)に戻ってから実家の父に送ったその行楽時の写真には、「楽しかったね」と添え書きをしておきました。

幸い、友の説得で自殺を思いとどまったのですが、その後、一昨年二○○六年の母昨年二○○七年の父と相次いで両親を亡くして悲しみにくれている私は、今改めて、このような悲しみを両親に与えずに済んで良かったと実感しています。

父の死後、独身売れ残りで独りぼっちの私は実家で上述の行楽時の写真を見つけて、「楽しかったね」の書き込みを見て、私の死を両親に経験させなく て良かったと思うと同時に、大好きな両親を亡くすことが、こんなにも辛く悲しく苦しいものかと思い知りました。特に父の場合には突然死んだので、大好きなのに転勤族の私は孤独死させてしまったこともあり、悲しいだけでなく申し訳なくて、今だに悲しみから立ち直れておりません。

もう両親に生きては会えなくなってしまって辛いからこそ、あの世の両親を悲しませたくないので、私は今、生きていこうと思っております。

家族の死は悲しいです。特に、子が逝くのは悲しいです。川田アナのご両親のご心中を察すると、自殺せずにこの世に踏みとどまっていただきたかった・・・と切実に思います。

 

 

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2008年5月25日 (日)

おうちに帰ろう

横浜商科大学で行われた日本情報経営学会全国大会の午後の部はサボることにして、横浜の実家に帰ります。

本当は地元・横浜の 経営学者の今回実行委員の方々への渡世の仁義上は最後まで聴いているべきなのですが、会場に近いからということで実家に泊まらずに横浜駅西口の横浜 EXCELホテル東急に泊まっていたため、先週だか先々週だかの強風で実家に被害が出ていなかったかどうか、気になって仕方ありません。

それに、亡父の時も亡母の時も親不孝な見送り方しかできなかった私にとっては、せっかく横浜に帰って来たのに実家に寄らないのは親不孝の上塗りです。もう遺影になっちゃって生きた両親には会えないけど、せめて位牌にお線香をあげたいという意味で両親に会いたいです。

途中、両親との思い出がこもるみなとみらい21地区が見えた時、恥も外聞もなく涙が止まらなくなってしまいました。

 

 

◎ 当ブログ内の学術学会,研究会に関するブログ記事

○ 日本情報経営学会第55回全国大会 at 愛知学院大学(2007/11/03(土))

○ 日本情報経営学会 at 愛知学院大学 その2(2007/11/04(日))

○ 日本情報経営学会全国大会 at 横浜商科大学(2008/05/24(土),研究報告しました)

○ 日本情報経営学会全国大会2日目 at 横浜商科大学(2008/05/25(日))

○ おうちに帰ろう(2008/05/25(日))

○ 組織学会全国大会 at 神戸大学(2008/06/08(日))

○ 組織学会at名古屋大学 in 2008年10月(2008/10/20(月))

○ 「鹿児島県における地域ブログ・ネットワークと地域SNS」研究報告:日本情報経営学会 at 宮崎産業経営大学(2008/10/25(土))

○ AISASモデルとAIDMAモデルのメリ・デメ比較モデル~日本情報経営学会第58回全国大会 at 桜美林大学にて~(2009/05/30(土))

 

 

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2008年5月15日 (木)

最後の家族旅行から3年目

 今日、5月15日は、3年前、今となっては亡き両親との最後の家族旅行になってしまった鹿児島旅行の日から丁度3年が過ぎた日でした。あの家族が幸せだった最後の時期の思い出の日から3年間が過ぎてしまったのだと思うと、とても悲しいです。

 先週末、5月10日と11日に16年前の家族旅行の思い出の地・木曽路馬籠妻籠に友人と行きましたが、ふと考えてみれば、その16年前の家族旅行と3年前の家族旅行の間の13年間、葬祭に伴う旅行は例外として除けば、泊まりがけの家族旅行はしていなかったことに気づきました。

 1991年にバブルがはじけて、「バスに乗り遅れた」私は目の前でドンドンとドアがしまっていく状況になり、その中で生き残りをかけて社外でも通用する資格を身に付けようとして社会人大学院進学を志したのが丁度その頃です。丁度、当初は経済学徒でしたが今日の経営学徒へ と連なる第一歩を歩み始めた時期です。昼間の本業の手も抜いてはいけない中でそれから昨年2007年に博士の学位を得るまでの間10年以上も悪戦苦闘の日 々が続き、旅行好きの両親のために旅行を企画するというような心の余裕を全く無くしていたということになります。後知恵としては時間が全く無かった訳では 無いのですが、事前に旅行の計画を立てるというような心のゆとりが無かったということです。

 悪戦苦闘している間はあっという間でしたが、その間に10年以上の歳月が過ぎてしまっていたのでした。その間、両親は老いていき、そして一昨年2006年の母昨年2007年の父と相次いで死んでしまったのでした。幸か不幸か、故郷・横浜がある神奈川県は観光名所県でもあり、事前に予定を立てなくてもその日の思いつきで日帰りで行ける観光スポットがたくさんあり、両親との楽しい思い出はたくさんあったので、泊まりがけの家族旅行を長らくしていなかった旨に気付くのが遅れてしまったのです。

 3年前の鹿児島旅行は、私が鹿児島に赴任したことに伴い、「鹿児島に遊びに行ってみたい」と旅行好きの母が言い出して両親が横浜の実家から来てくれたものですので、もしかしたら私が鹿児島に赴任していなかったら、16年前の木曽路旅行が最後の泊まりがけの家族旅行になっていたのかも知れません。

 それまでの間は、ほぼ毎年のように泊まりがけの家族旅行に行っていたのに・・・。

 後悔先に立たず。親孝行したい時に親は無し。今にして思えば、16年前の木曽路旅行から3年前の鹿児島旅行までの間に、泊まりがけの家族旅行に両親を連れて行ってあげられなかったことが、心の底から悔やまれます。と同時に、昨年までは「つい昨日」のように思えていた最後の家族旅行・鹿児島旅行が、鹿児島から名古屋に赴任して大好きな鹿児島からも離れてしまった今日、はるか遠い昔のように思われ、両親との楽しかった日が遠くなってしまったようでとても悲しいです。

 お父さん、お母さん・・・泊まりがけの家族旅行に長い間連れて行ってあげられず、ごめんなさい。元気だった最後の時期に久し振りに家族旅行ができて良かったです。そしてできれば、それを最後にしたくなかったです。今いる愛知県織田信長豊臣秀吉徳川家康の故郷で歴史ファンならば見るべきスポットに事欠かないので、歴史好きの父が存命だったら、連れて来てあげられたらきっと喜んでくれただろうなぁ・・・。鹿児島にも木曽路にも、もう一度、いや何度でも一緒に行きたいです。

 そんなことを思う一日でした。

 

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2008年5月11日 (日)

お父さん、思い出の木曽路に行って来たよ

お父さん、木曽路に行って来ました。昔、お母さんと三人で楽しんだ馬籠妻籠です。お母さんが死んだ後で、お父さんまで死んじゃうまでの間、何回も思い出話をした木曽路です。

お父さんとお母さんと一緒に行った時の思い出が蘇ってきました。とても良かったし、とても懐かしかったです。もう、お父さんもお母さんも天国に行っちゃったけど、16年前のあの楽しかった日とつながっているような気分になれました。

お父さん、お母さん・・・家に着いたら遺影に、懐かしい木曽路の写真を見せてあげますね。

<後刻補記> 今日、5/11(日)は母の日です。思い出の木曽路に行ったことを、帰宅後に亡母の遺影に報告しました。

 

◎ 木曽路に関する当HP内のブログ記事

○ 馬籠宿の民宿・岩田屋の廃業

○ 木曽路へ

○ 木曽路馬籠宿

○ 馬籠峠を越えて妻籠宿に着いたぞー

○ お父さん、思い出の木曽路に行って来たよ

○ 馬籠の宿・但馬屋

 

 

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

Konohaur_1








 

Konohaur_1








 

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2008年5月 6日 (火)

独りぼっちの墓参り

独りぼっちの墓参り
独りぼっちの墓参り
独りぼっちの墓参り
今日は、亡き両親の墓参りに行きました。昨年の一昨日、2007年5月4日に母の墓参りに行った時には、父がいてくれました。今年は父も、一足先に天国に行った母と一緒に眠っています。その去年の墓参りは、生前の父と一緒に行った最後の墓参りになってしまいました。

最初の写真は、昨日の日記「あぁ、父に最後に会ってから一年」に載せた写真と同じもので、上述の一年前の墓参りの写真です。次は、同じ場所からの今年の写真です。大好きな父はいなくなってしまいました。

最後の写真は、昨年、亡父と来た際に一緒に一休みして親子タバコした東屋です。もう、隣りに父はいません。昨年、父と一緒に聞いたウグイスの声が、今年も聞こえて来ました。「ホーホケキョ」という標準語のウグイスと「ホホホホホケキョ」という訛ったウグイスが混在していて、「あれは標準語、あれは訛ってら。」などという会話を父としたことを思い出しました。去年と同じようにウグイスの声は聞こえるのに、隣りにいてくれた父は、もういません。

一昨年2006年に母が死んで墓参りをするのは悲しかったけれど、それでも去年は父がいてくれました。今年は、その父も、お墓の中に入ってしまいました

お墓の前で、両親に話しかけながら、涙が止まりませんでした。

 

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2008年5月 5日 (月)

あぁ、父に最後に会ってから1年

昨年ゴールデンウィークに帰省したのが、私にとっては、生前の父と最後に会う機会になりました。もう、大好きな父と、1年会えていません。昨年2007年8月5日に父は死んでしまったので、もう二度と会うことはできません。

写真は昨年父と一緒に、亡母の墓参りに行った時の写真です。母を失って気弱になって心身共に衰弱していった父は、足腰が急速に悪くなっており、この直前は一人で墓参に行っていたようですが、この後行けていなかった模様です。多 分、私と共に墓参りに行くことを楽しみにしていながら、私が余り帰省できなかったので、母の霊に会いにお墓に行くこともできなかったのだと思うと、改めて亡父に申し訳なく思います。

そして私にとっても、大好きな父と一緒に墓参りに行くことは、もう叶いません。もう1年間父に会えていない・・・そしてこれからは、この会えていない期間は長くなることはあっても短くなることはない・・・。

あぁ・・・お父さん、会いたいよー・・・。

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友人のお父上のお通夜

今日は、新人の頃の配属先での会社同期の旧友のお父上のお通夜がありました。

お別れやご香典はご遠慮という話で、その趣旨が「来なくてもいい」か「来ねぇでくれ」かどちらか不明で、例えば家族葬か何かで行ったら場違いでご迷惑だったらどうしようと思い、直前まで行くべきか行かざるべきか迷いました。結局、式場の近くで様子を伺って、場違いだったら回れ右しようと思って出かけました。行ってみたところ、「一旦外から覗いて」という状況ではなかったため参列し、結果論としては友人の参列もアリでした。

その友人は、一昨年2006年11月11日に死んだ亡母の通夜にも、昨年2007年8月5日に死んだ亡父の通夜にも、私が以前いた、その部門の香典を取りまとめて代表として来てくれた友人二人の中の一人です。私が悲しくてボロボロ状態で崩れ落ちそうな時に来てくれたのは、私にとってはありがたかったので、上述のように「行っても構わないか否か不明」状況でも「自分は行かなきゃ」と思った訳です。特に、亡父の時には孤独死させてしまって父に申し訳なかったし、突然のことだしショックだし悲しいし、心底崩れ落ちそうな状況だったので、来てくれたことが心の支えになったのでした(他の友人も同様)。元々、公(仕事)の上でも私(友情)の上でも、仲間としては理想的とは言い難い私にも優しく付き合ってくれる友人だったので、ただでさえ「足を向けて寝ちゃぁ、渡世の仁義が通らねぇだろ!」という友人の中の一人だったことに加えて、上述のような当家葬儀の際の恩義があったので、なおさらです。

こんな経緯があったため、自分の亡き両親への思いがその友人の悲しみにシンクロしてしまい、読経の際に自分が泣き出しそうになってしまいました。故人と面識のない参列者が泣くのは変だし、「その友人が涙をこらえているのに自分がないちゃぁ、べらぼうにマズイだろ」と思い、必死になって涙をこらえました。

式後、その友人が参列者に挨拶に来た際、それまでこらえていたその友人が、私と話した途端に涙をこぼし、私ももう我慢しなくてよいのだと悟ったので涙をこらえることを止めました。父を亡くした者同士、感情がシンクロして共鳴している旨が分かったからです。周囲の、かつての拙職場の先輩や仲間達も、その友人と私の感情のシンクロや共鳴が分かった模様でした。

私も辛かったけど、その友人も辛ぇだろうなぁ、と思いました。若かりし頃は、家族を亡くす悲しみは頭では察しても心でシンクロしたり共鳴したりすることは無かったのですが、自分が親を亡くすとよく分かります。分かってしまうことが悲しい、決してうれしくはない、心の成長です。

なお、葬儀の際、「孫一同」名義の花輪があったのを見て、その友人は、私とは異なり親孝行で「やるべきことはやった」見送り方ができたのだと思いました。売れ残り独身の私は、孫の顔を亡父や亡母に見せてあげることが叶いませんでした。私も、その友人のように、亡父や亡母に孫の顔を見せたかったなぁ・・・。

 

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○ 今日は母の命日

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お父さん、お母さん、行かないで

拙ブログ日記「ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・」に載せた写真を見ています(以下の2写真は同ブログ日記の再掲)。

060528_12510001両親の生前、2006年5月28日に横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行った時の写真です。









P5280024フラワー・プロムナードのバラ園での、亡父の後姿です。





親子3人揃っての最後の思い出になった、一昨年2006年5月に2回に渡って行った、今は無き横浜プリンスホテルのフラワー・プロムナードに行った際の上の2写真を見ていると、その後に相次いで死んだ両親が、後ろ姿を見せたまま消えてしまったように思われて悲しくなります。

お父さん、お母さん、私を残して行かないで・・・

2006年11月11日に母を、2007年8月5日に父を相次いで亡くした私には、今この写真を見直すと、思わず、「行かないで~!」と叫びたくなります。わずか2年前の5月には親子三人揃っていたのに・・・。

060505_13400001両親の生前、2006年5月5日に横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行った時の写真です。横浜プリンス・ホテルも消えてしまい、両親も死んでしまった今日、もう二度と戻って来ない情景です。丁度二年前の今日です。





060505_13400002両親の生前、横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行った時の写真です。






060528_14280001両親の生前、横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行った時の写真です。





P5280041両親の生前、横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行った時の写真です。






Im580006両親の生前、丁度3年前2005年の5月の最後の家族旅行になった鹿児島旅行の際に、岩崎美術館で撮った亡父と亡母の写真






Im580005両親の生前、丁度3年前2005年の5月の最後の家族旅行になった鹿児島旅行の際に、岩崎美術館で撮った亡父と亡母の写真






Im580004両親の生前、丁度3年前2005年の5月の最後の家族旅行になった鹿児島旅行の際に、岩崎美術館で撮った亡母と私の写真





 

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○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

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デニーズの思い出の席(デニーズ、頑張れ!)

実家の片づけをしに帰省していながら、独りぼっちの家で亡父や亡母を思い出して泣き暮らしている内に何もできていない駄目な私・・・父が存命だったら叱られただろうなぁ・・・。

亡き両親との思い出が籠もる大好きで懐かしいファミレス・デニーズで飯食っています。昨年のGWに亡父と座って、亡母の思い出話をした席です。もう、父もいません。母の思い出を共に語れる人は誰もいなくなってしまいました。去年までは父も一緒だったのに。一昨年までは母も一緒だったのに・・・。

お父さん、お母さん、会いたいです。母の時父の時も、親不孝な見送り方しかできず、ごめんなさい。怒っていなかったら、幽霊でも夢の中でもいいから会いに来て欲しいです。

報道によれば、デニーズはファミレス業界の荒波を乗り越えるために、店舗のリストラをするそうです。ファミレスも含めた広い意味での観光&飲食業界は、実は思い出を売る業界なので寂しいですが、生き残りのためには仕方がないと思います。でも、この思い出の残る店と、我が家が初めてデニーズを知った松戸店は残しておいて欲しいなぁ、と切実に思います。両親とも亡くしてまだ一年過ぎていないのに、最近思い出のスポットがドンドン消えたり、消えていた旨を知ったりすることが多いので、悲しく寂しいです。この店には、残っていて欲しいです。

 

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2008年5月 4日 (日)

父も母もいない独りぼっちのGW

今日は、故郷・横浜の実家の荷物整理に来ていながら、父も母もいなくなってしまった実家に独りぼっち、悲しくて寂しくて虚無感で何もできないでおります。

三年前2005年には、私が鹿児島に赴任していた時にはゴールデン・ウィーク(以降、GWと略)に帰省しませんでしたがそれは同月中に両親が鹿児島に遊びに来てくれる予定があったためで、(GWではなく同月中の別の週末でしたが)今にして思えば最後の家族旅行になってしまった親子三人の鹿児島旅行を楽しみました。戻れるものなら戻りたい、と私が思う最後の時期です。

一昨年2006年のGWに帰省した際には、今にして思えば、約半年後の母の死に至る体調崩れの契機になった、2005年暮れにもやもや病に起因する脳溢血の発作で倒れてから退院した後で死に向かって進んでいた時期ではあるとは申せ、それでも母が退院してくれて実家には生前の母がいてくれて、親子3人揃っていました。親子三人が揃っていた最後のGWです。今では無くなってしまった横浜プリンス・ホテルフラワー・プロムナードに行きました。家族が楽しかった最後の時期です。

その後、2006年11月11日に母が死んでしまい、昨年2007年のGWには残された亡父と二人だけのGWでした。母を失って親子で悲しんでいましたが、父と一緒に母の墓参りに行きながら母の思い出話をして過ごしました。それはそれで悲しい時期だとは思っておりましたが、昨年2007年8月5日に父まで失ってしまったので、今となっては二度と戻って来ない日々になってしまいました。

もっと昔に遡れば、GWは親子で鎌倉や横須賀に遊びに行ったりして、とても楽しいものでした。家族揃って横浜に近い鎌倉が大好きで毎年のように遊びに行きました。鶴ヶ丘八幡宮は大好きだったし、円覚寺に行って北条時宗廟を見たり茶屋でリスを見て楽しんだり、鎌倉宮に行ったり、そこで見つけたかえで茶屋で鳩サブレならぬリスサブレを見つけて楽しんだり、亡母が大好きだった銭洗弁天に行ったり、小町通りの喫茶店「門」に行ったり・・・。鎌倉には頻繁に行っていたので、今となっては「あれはいつだっけ?」状況ですが、拙個人公式WEBサイト「Noblesse Oblige カミタクの部屋」中の「短歌の部屋」掲載の

○ 円覚寺の茶屋に休めば目の前を灰色のリスが駈けて行きたり

○ 手を伸ばさば届かむばかりにすぐ近くリスとしばしを眼合ひたり

○ 新しき菓子リスサブレーを見つけたり鎌倉の加藤さんも知らないだらう

などの平成11年(1999年)の拙短歌作品を読み直してみれば、 、円覚寺鎌倉宮に行ったのは1999年のことだと思い出しました。もう、年月が過ぎちゃったのだなぁ・・・と思います。

残された亡父の記録に、丁度10年前、1998年に一緒に三浦半島観音崎に遊びに行ったことが記されていて、父にとっても大切な思い出になったのだと、父の死後に知りました。観音崎京急ホテルのレストラン「浜木綿」が私のお気に入りのスポットで、そこに一緒に遊びに行ったり観音崎灯台を見に行ったりしたのです。横須賀では、軍港めぐりを楽しんだのも、2003年のGWのことです。観音崎にせよ横須賀にせよ、両親と一緒に三浦半島を行ったのはとても楽しく、もう、二度と戻って来ないんだなぁ、と思います。

いつも、いつもGWや正月に帰省すれば両親はいてくれたのに・・・独りぼっちになっちゃった・・・。お父さん・・・お母さん・・・会いたいよー。 あんなに優しくしてくれたのに、親不孝な見送り方しかできなかった・・・。死んでしまったことが悪い夢か何かで、目覚めれば父や母がいてくれたら良いので すが。会いたい。寂しい。悲しい。私は、独りぼっちになってしまった・・・。

<追伸補記>
 両親とのGWの思い出を思い出している内に、2001年にはよこはま動物園ズーラシアに行ったことを思い出しました。ズーラシアには、孫悟空のモデルとも言われている絶滅危惧種の貴重な猿・キンシコウが当時いました。それを見た亡父が語ってくれたところでは、キンシコウは当初は同じ横浜市内でも横浜市立金沢動物園にいて、或る日そこに行ったところ、「キンシコウキンシコウと楽しみにしながら来ていた子供が、キンシコウが移設されたのを知ってがっかりしていた」光景に出くわし、「猿の絶滅危惧種の大切さが分かって楽しみにしている子供がいるということはは、日本の子供のレベルの高さだと感心した」という話をしてくれました。何の変哲もない会話の思い出ですが、ズーラシアに行ってそんな会話を亡父とする機会はもうありません。その思い出のキンシコウも、横浜市の動物園の発表
http://www.hama-zoo.org/zoorasia/archives/2007-1101-1353-1.htmlhttp://www.hama-zoo.org/zoorasia/archives/2007-1101-1353-1.html
http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/kisha/h19/071101-2.html
によれば、中国に里帰りしてしまったとの由です。どんどん思い出のスポットなどが消えて行ってしまう・・・ああ・・・。

昔は父がいてくれて母がいてくれて、楽しかったのに・・・。私は独りぼっちだ・・・。

 



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2008年4月29日 (火)

馬籠宿の民宿・岩田屋の廃業

今から16年前の1992年のこと、昨年2007年、一昨年2006年と相次いで亡くなった両親と共に、木曽路に旅行に行ったことがありました。馬籠宿を楽しんで、宿場町から少々馬籠峠の方の町外れの民宿・岩田屋に泊まり、翌日馬籠峠越えをして妻籠宿を楽しんだ後で寝覚の床の景色を楽しみ、横浜に帰りました。

もやもや病による幾度かの脳溢血で既に足が悪くなりかけていた亡母がまだ歩ける内にと企画した旅行でした。足の悪い母を宿の主の方が心配して馬籠峠の頂上まで車で送って下さり、下り道だけ歩けば済むようにして下さりました。実は長い年月の間にそのありがたいおもてなしを半ば忘れかけていたのですが、生前の亡父と最後に会えた機会となった昨2007年のGWの帰省の際に、母の思い出話を父としていて思い出しました。その時は、個人的思いとしてはそんな大切でありがたかった話をなぜ忘れかけてしまっていたのだろうと内心自分を恥じました。

せっかく木曽路に近い名古屋に赴任しているので、亡き両親との思い出を偲んで懐かしい岩田屋に泊まる旅行をしようかと考えていたのですが、宿か観光案内サイトに載っていないかHPを探しても、iタウンページで電話番号検索しても、馬籠観光協会のHP
http://www.kiso-magome.com/
の宿コーナーを見ても、岩田屋が見あたりません。思い余って馬籠観光協会にeメールで照会したところ、残念ながら廃業している旨が分かりました。

木曽路の民宿で、バブル崩壊後の10年以上に及ぶ構造不況による宿泊客減に耐えられなかったり、世代交代時に後継ぎがおらず廃業した民宿は多いと聞きます。みな、大変だったのだろうと思います。

でも、自分にとっては、二度と戻れない日々とは申せ昨日のように懐かしい、大好きな亡父と亡母の思い出が籠もる民宿が消えてしまったことは、すごく悲しいです。あれから自分も公私共にジタバタあくせくしている内に気づいたら16年が過ぎてしまいましたが、思い出の中では楽しかった木曽路旅行は、つい昨日のような気がします。

この場で恐縮ですが、岩田屋のご主人には、改めてあの日の亡母へのおもてなしありがとうございます。民宿は廃業しても、思い出だけは消えません。そして、そのおもてなしのおかげで、私は木曽路、特に馬籠宿妻籠宿のファンになりました。頻繁に行く訳ではなく今旅行したいように10年とか20年に一度でしょうが、優しい心遣いで固定ファンになりました。生前の亡父も懐かしがって、ありがたい思い出話にしていましたよ。本当にありがとうございます。

でも・・・岩田屋の廃業を知り、寂しいです。正直、ショックです。

 

 

◎ 木曽路に関する当HP内のブログ記事

○ 馬籠宿の民宿・岩田屋の廃業

○ 木曽路へ

○ 木曽路馬籠宿

○ 馬籠峠を越えて妻籠宿に着いたぞー

○ お父さん、思い出の木曽路に行って来たよ

○ 馬籠の宿・但馬屋

 

 

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

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Konohaur_1








 

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2008年4月15日 (火)

横浜そごうのからくり人形時計がなくなっちゃったそうです

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我が第1の故郷・横浜では、横浜そごうの地下二階、横浜駅東口地下街「ポルタ」からの入口に、とてもかわいらしい人形の楽しいからくり時計がありました。そこは、ハマっ子達にとっては、心和む楽しい広場でした。写真は、ありし日のからくり時計です。

mixiのコミュで知ったのですが、本日2008年04月15日、そのからくり人形時計がなくなってしまったのだそうです。

私にとっては、今は亡き大好きな両親と眺めた、今となっては二度と戻って来ることの無い、家族がまだ幸せだった頃の思い出の中に登場する時計です。寂しいし悲しいし、とてもせつないです。

大好きだった横浜プリンスホテルも消えてしまい、亡父亡母との楽しかった思い出の情景がどんどん消えてしまいます。あのからくり人形時計大好きだったのに・・・。泣き出しちゃうくらい、悲しいです。叶うならばもう一度、亡父亡母と一緒にあの時計を見たいです。

後刻追記追伸:自宅(名古屋)に帰ってから両親の遺影に線香をあげて、思い出多い、横浜そごうのからくり人形が消えてしまった旨を報告しました。涙が止まりませんでした。



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○ そごう・からくり時計の最後の姿 - ワタシの開運作戦♪

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○ jaydashの備忘録: そごうのからくり時計、今日で見納め!

○ yurikamomeの妄想的音楽鑑賞とお天気写真 : サヨナラ、そごうのからくり時計企画 ケテルビー作曲、時計とドレスデン人形

○ 横浜日記:からくり時計が・・

○ 子連れ狼が斬る!~遠距離通勤ワーキングマザーの日記~:さよなら、そごうの時計① - livedoor Blog(ブログ)

○ からくり時計のラストダンス - ふきた 【 みんカラ 】 ブログ

○ Convenient Tools  そごうのからくり時計の人形達、役目を終える。

○ だらだら日記+'(プラスダッシュ)  「世界の人形時計」の終演

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2008年4月14日 (月)

夢に亡父と亡母が出て来てくれました。

昨夜、夢の中に亡父と亡母が出て来てくれました。

結構時々出て来てくれるのですが、夢の中では両親を亡くしたことに気づかず、生きていた頃のように事柄が過ぎていくことが普段は多いのに対して、昨夜は珍しく、父も母も死んでしまった旨を夢の中の私は知っていました。このため、幽霊になっても亡父と亡母が私に会いに来てくれたのだと、すぐ分かりました。

一昨年2006年の母、そして昨年2007年の父と相次いで両親を亡くした悲しみから立ち直れていない私は、起きている時には、両親のことを思うと涙が止まらなくなるのですが、夢の中では私に両親が会いに来てくれたことがうれしくて、とてもありがたかったです。

もう、二度と生きては会えない亡父と亡母・・・。大好きだったのに、親不孝な見送り方しかできなかった亡父と亡母・・・。会いたいよー、会いたいよー、会ってもう一度話をしたいです。今晩も、夢の中に出て来てくれないかなぁ・・・。



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2008年2月20日 (水)

親友のご母堂の通夜

今日は、多忙な中恐縮ながら午後半休をいただきました。学部学生時代からの親友のご母堂の通夜のお手伝いをするために、名古屋から千葉県に行くためです。今は、通夜を終えて名古屋に戻る新幹線の中です。

実はその友人も名古屋にいては友人の実家です。昨年2007年に父が一昨年2006年に母が死んだ際に、拙実家のある横浜まで名古屋から通夜の手伝いに来てくれました。それがありがたかったので、困った時はお互い様という訳です。

それに、数年前に死んだその友人のお父様には旧OA(オフィス・オートメーション)学会(現・日本情報経営学会)でお世話になり、今日の経営学徒としての私があるのはその友人親子のおかげです。さらに学生時代からの四半世紀に渡るつき合いで、今回亡くなったお母様にも凄くお世話になりました。我がことのように私も悲しいですし、駆けつけなければ渡世の仁義が通らない関係にあります。

つくづく思うのですが、私達くらいの年代になると、親の世代が死んでいくのですね。その友人と私、双方の両親が健在の頃は、とても楽しかったで す。今は両方とも両親を亡くしてしまい、とても悲しいし寂しいです。自分の両親だけでなく、その友人のご両親にも、いつまでも生きていて欲しがったです。

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2008年1月14日 (月)

成人式の写真

成人式の写真
2006年11月11日に死んだ母の後を追うようにして昨2007年8月5日に父が死んだ後、父の死後の事務処理のためにタンスの引き出しを開けたら、権利書と一緒に、24年前の私の成人式の写真が入っていました。

私自身が写してもらったことを忘れていた記念写真を、権利書と同じ所にキチンとしまっておいてくれたんだと思うと、亡父と亡母の愛情が伝わって来て、涙が止まらなくなりました。

父も母も失ってしまった今日のことや、その後の様々な辛酸など、夢にだに予想していなかった、まだ若かった頃の私。肌のつやが我ながら、かつての自分に対して妬ましかったりします。

成人式の日、当時は実家に独り住まいしていた私の所に、父の赴任先だった茨城県の水戸から両親が来てくれたことが、とても嬉しかったことをまだよく覚えています。

生活は苦しい貧乏学生だったけど、父と母の愛に包まれて、幸せだった日々。もう、二度と戻って来ない日々・・・。成人式の日の今日、しみじみと悲しいです。

お父さん、お母さん、この写真を大切にとっておいてくれてどうもありがとう。ずっとずっと優しくしてくれたのに、親不孝な見送り方をしたり、売れ残り独身で孫の顔を見せられなかったりして、親不孝な息子でごめんなさい・・・。この写真を撮った頃に戻りたいです。



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2008年1月 6日 (日)

霊峰・富士

霊峰・富士
霊峰・富士
霊峰・富士
実家の破損箇所の修理手配のため帰省していた横浜から、名古屋に戻る新幹線車中から撮した霊峰・富士山です。

富士山を見ていると、かつて亡父が山梨県甲府市に赴任していて実家が甲府にあった際に、ホテルマウント富士や、忍野八海や、西湖に亡父がドライブに連れて行ってくれた思い出を思い出します。もう、二度と戻って来ない、亡父や亡母との幸せだった頃の思い出の中の一つです。



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2008年1月 5日 (土)

消えてしまったもの〜CMねこと世界のねこ展

消えてしまったもの〜CMねこと世界のねこ展
先日、今は亡き両親との思い出のフランス料理レストラン・ルパンに久し振りに行った旨を日記に書きましたが、懐かしく、消えてしまったので1人でも再訪できないものがあります。

横浜ワールド・ポーターズができた頃には、毎年正月に六階BSホールで「Cats in the World CMねこと世界のねこ展」という、猫好きにはたまらない展覧会をやっていました。主催はS・M・P(株),協賛はアイムス・ジャパン(株)ハインツ日本(株)マルハペットフード(株)(2000年当時。現・アイシア(株))でした。

亡父も私も大の猫好きなので、当時は正月に横浜に帰省すると、この猫展を見てからルパンに食べに行っていました。二回か三回程行われた後、いつの間にか行われなくなり、生前の父と一緒に「なくなっちゃったねぇ。残念だねぇ。」と話し合っておりました。

父の死後、帰省した際に残っていた観光パンフや絵葉書の山の中に、2000(平成12)年12月〜2001(平成13)年01月の、この展覧会のパンフが残っていました。あぁ、両親が生きていてくれた頃は楽しかったなぁ・・・展覧会自体今ではやっていないので、「思い出を偲ぶ再訪」さえできません。寂しいです。

アイシア(株)には、「猫の王国」
http://www.cat-kingdom.com/
というHPがあります。

 



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2008年1月 3日 (木)

シャトー ル・パンみなとみらい店、懐かしいフランス料理レストラン

シャトー ル・パンみなとみらい店、懐かしいフランス料理レストラン
シャトー ル・パンみなとみらい店、懐かしいフランス料理レストラン
シャトー ル・パンみなとみらい店、懐かしいフランス料理レストラン

両親の墓参りに行った後、名古屋に帰る前に横浜みなとみらい21地区に立ち寄り、ワールド・ポーターズの中にある行きつけのフランス料理レストラン「シャトー ル・パン(Restaurant Chateau Le-Pin)みなとみらい店」に行きました。

行きつけと言っても一年以上ご無沙汰だったのですが、シャトー ル・パンみなとみらい店は、かつて私が東急田園都市線の溝の口に住んでいた頃、横浜の実家の生前の両親と共によく行った、思い出の店です。

2004年に私が鹿児島に赴任した時も、赴任前夜に両親と立ち寄り、おいしい料理を食べました。今思えば、あの夜が、私が両親とシャトー ル・パンみなとみらい店に行った最後になってしまいました。

昨2007年、父の生前最後の拙・帰省の際にも、父はシャトー ル・パンみなとみらい店を懐かしがっていました。当家にとっては、べらぼうにお気に入りの大切な店です。

ティー・タイムでしたので食事ではなくケーキ・セットを、亡き両親を偲びながら食べました。早く新たな家族を設けて、また家族と共に来られるようにしなきゃ。

○ フランス料理レストラン「シャトー ル・パン(Restaurant Chateau Le-Pin)みなとみらい店」
http://www.le-pin.jp/
横浜市中区新港2-2-1 横浜ワールドポーターズ5F
045-222-2505

 



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父もいない正月

父もいない正月
一昨年母が死んだので一年前には、「母のいない正月」という日記を書きましたが、昨2007年に父まで死んでしまったので、今年は、父までいなくなってしまった、独りぼっちの正月でした。

学部学生時代からのまぶダチのお母様が年末に危篤状況だったため、いつでも手伝いに駆けつけられるようにスケジュール上のフリー・ハンド性を確保するべく、大晦日に両親の墓参りを済ませてしまっていました。が、とりあえずその友達のお母様の状況が良くも悪くも膠着状態に陥ってしまい、今日中に駆けつける必要性はなくなったため、今日はもう一度墓参りに行きました。

丁度一年前・2007年1月3日には、父と一緒に亡母の墓参りに来ていたのですが、今では父も墓石の下です。併せて行っている、同じ霊園にある小学校時代の恩師のお父君の墓参りを済ませた後で、泣きながらしばらくの間、心の中で両親と話をしました。

その友人のお母様には、1日でも長く生きていて欲しいと思います。

 



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○ 母の死・その2

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 今度は父の死亡

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

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2007年12月31日 (月)

独りぼっちのNHK紅白歌合戦

三年前までは年越し蕎麦を食べながら家族で楽しんでいたNHKの紅白歌合戦。一昨年は母が入院していて父と二人で見ました。昨年は母が死んで父と二人きり。母の後を追うように父まで死んでしまった今年は、とうとう独りぼっちで見ています。

あー・・・言葉では言い尽くせない程に悲しいです。父と母に生き返って欲しいです。

 



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鎌倉・小町通りの喫茶店「門」

鎌倉・小町通りの喫茶店「門」
鎌倉・小町通りの喫茶店「門」

両親が眠る墓の墓参りと、亡き両親との思い出が残る鎌倉鶴岡八幡宮参拝の帰りには、鎌倉・小町通りの喫茶店「」に立ち寄りました。「」は、両親が健在だった頃、家族で鎌倉に遊びに来る度に立ち寄った喫茶店です。

店の中は両親がまだ生きていてくれた時のままです。いつも両親と一緒に座っていた、思い出深い奥の席は四人席なので、独りの私はスペース効率上、他の客に遠慮して手前の二人席に座りました。

両親とは幾度もここに来ました。もう、父も母も天国に行ってしまったので、二度と両親とここに来る機会はありません。あの頃に戻れたらいいのになぁ・・・つくづくそう思います。

 

 



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もう両親と鶴岡八幡宮に初詣には行けない

もう両親と鶴岡八幡宮に初詣には行けない
もう両親と鶴岡八幡宮に初詣には行けない
もう両親と鶴岡八幡宮に初詣には行けない
もう両親と鶴岡八幡宮に初詣には行けない
もう両親と鶴岡八幡宮に初詣には行けない

両親が健在だった三年前・2005年正月までは、我が家では毎年正月の2日に、鎌倉鶴岡八幡宮に初詣に行っていました。毎年恒例の家族の楽しみでした。2年前・2006年正月には母が入院してしまい、昨年には母亡き後、父と二人だけの正月となり、家族での楽しい鶴岡八幡宮初詣は2005年正月が最後になってしまいました。

今年2007年夏に、母の後を追うように父まで死んで独りぼっちになってしまったので、明日からの2008年正月はとても晴れやかに初詣をする気になれないので、三年連続して初詣は抜きの正月です。

でも、大好きな両親との思い出の場所を訪れたいので、大晦日の今日、両親の墓参りの帰りに、久しぶり(三年ぶり)に鶴岡八幡宮に行って来ました。

1日早い参拝で空いている以外は昔のままの情景ですが、父も母も隣にいてくれないことだけが昔と異なります。

今思えば、2004年正月初詣の際に、母が好きだった銭洗弁天にも立ち寄ったのですが、「足腰が悪くなってきたので、銭洗弁天に来られるのはこれが最後だろう」と亡父は行っていました。今思えば、好きな場所の今生の見納めのつもりだった亡父や亡母の心境は、察するに余りあります。

大好きな鎌倉。両親との思い出が多い鎌倉。もう二度と両親と来る機会はなくなってしまった鎌倉・・・。とても悲しいです。

 



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大晦日の墓参

大晦日の墓参
今回の帰省では1月3日に両親の墓参りする予定でしたが、学部学生時代からのまぶダチのお母様が危篤状態なので、急に駆けつけなければならない事態に陥るリスクに備えて行ける内に、大晦日の今日、墓参りに行ってしまいました。

私ももう、大好きな父にも母にも生きては会えませんが、その友人も既にお父様が亡くなっています。その友人のお父様には私も生前お世話になったので、亡くなられた時にはとても悲しかったものです。その方がおられなかったら、経営学徒としての私はありませんでした。

友人のお母様には持ち直していただきたいなぁ・・・。

写真は、私の両親が眠る墓です。自分だけでなく友人の事情も含めて悲しい年末ですが、生きては会えない拙両親でも、仏様の両親とはお墓の前でたくさん話をして来ました。

 



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2007年12月30日 (日)

2007年どうもありがとうございました。

2007年どうもありがとうございました。

今年は、鹿児島から名古屋に異動したり、赴任したその週に横浜の実家の老父に死なれたり、それが孤独死だったり、大学院出たり、非常に大変な一年でした。その過程で多くの方にお世話になりました。お礼申し上げます。

 



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上りはガラガラ

上りはガラガラ
上りはガラガラ
名古屋から故郷・横浜への帰省新幹線の車中にいます。世をあげて今日は帰省ラッシュかと思いますが、帰省先が首都圏である私の場合、上り列車は逆にガラガラです。

運良く、カッコイイ500系に乗れました。車内の写真は今日のもので、車外から写した車体写真は過日のものです。

昨2006年(母)、今年2007年(父)と相次いで両親を失い、独身売れ残りの私は、初めての、父も母もいない年末年始です。もう、昔のように、両親と年越しそばを食べることはないし、両親と一緒に紅白歌合戦を見ることもないし、両親と一緒に鎌倉八幡宮に行くこともありません。そんな楽しい思い出は、既に三年前のことになってしまいました。

一昨年は母が入院していましたし、それでも生きていてくれたから良かったのですが、去年は父と二人だけの正月になり、その父も今年はいなくなってしまいました。実家に帰っても、誰もいない年末年始です。

亡父と亡母の思い出が残る実家マンションで、両親を偲びながら過ごす予定です。

幻でも夢の中だけでもいいから、両親が健在だった幸せな日々が戻って来てくれないかなぁ・・・。

 



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2007年12月16日 (日)

寂しいクリスマス・イルミネーション

寂しいクリスマス・イルミネーション
寂しいクリスマス・イルミネーション
寂しいクリスマス・イルミネーション
寂しいクリスマス・イルミネーション
故郷・横浜から赴任地・名古屋に戻ったら、JRセントラル・タワーズなど名古屋駅一帯ででクリスマス・イルミネーションをやっていて綺麗だったので、写真を撮りました。

子供の頃は、クリスマス楽しかったなぁ・・・。毎年両親がくれるプレゼント楽しみでしたし、イブの夜、寝ている間に枕元に置いてくれたお菓子も楽しみでした。今にして思えば、小学校に上がる頃までサンタクロースがいると信じていた私に、実は両親が買ってきたとバレないように欲しい物を訊き出すのに、亡父も亡母も苦労していたっけ・・・。

理系少年だった私にとって、成長してから後も宝物だった顕微鏡も、メルクリンの鉄道模型も、クリスマスのプレゼントでしたっけ・・・。もっとも亡父は、マイキット(遊びながら電気回路を学べる玩具)や昆虫採集の道具や歴史全集の本や楽器のように、私が理工系・社会・人文系問わず学問や芸術に親しむためのツールや玩具は、クリスマスでなくても欲しがると、豊かではない家計の中からも即決で買ってくれましたけど・・・。

何はともあれ、両親の愛に包まれて、子供の頃のクリスマスは楽しかったなぁ・・・。

昨年(2006年)の母の死に続いて今年は父まで死んでしまい、もう、あの頃は戻って来ないし、一緒に思い出を語ることもできなくなってしまいました。亡父がしてくれたことを子供にもしてあげたいのに、独身売れ残り独りぼっちの私には、それも叶いません。とても寂しいクリスマスです。もう一度あの頃に戻りたいよぉ・・・。

せめて・・・代わりに・・・今あのイルミネーションを楽しんでいる、この街の親子一家族一家族が、皆、幸せなクリスマスを過ごせるように祈ることにしようと思います。

 



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○ 今日は母の命日

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お父さんはもういないんだなぁ

お父さんはもういないんだなぁ
前の日記記事の写真の中のあずまやは、今年(2007年)ゴールデン・ウィークに、当時の赴任地・鹿児島から横浜に帰省した際に、生前の父と亡母の墓参りに行った際に一休みした所です。両親が眠る霊園の中にあります。それ以降、帰省できない間に父を孤独死させてしまった私にとっては、父と行った最後の墓参りになってしまいました。

あの日には新緑だった、あずまやの周りの木の枝は、すっかり葉が落ちてしまっていました。そんなことからも、父が生きていてくれた日々が遠くなってしまうけとを実感してしまい、涙が止まらなくなってしまいます。
あの時、ウグイスが鳴いていたっけ。あのウグイス達、元気でいてくれているかなぁ。あの時、見かけた蜘蛛は元気かなぁ・・・。あの水飲み場で水飲んだっけ。このあずまやでの親子タバコおいしかったけど、隣りに父がいないタバコは寂しいなぁ・・・

同じ場所にいるのに・・・同じ場所にいるのに・・・時間だけが、同じ瞬間は戻って来てくれません。

 



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父と母が眠る墓地

父と母が眠る墓地
父と母が眠る墓地
父と母が眠る墓地
父と母が眠る墓地
昨日(2007年12月15日(土))に恩師の神谷不二先生の話を聴きに上京する機会があったため、昨夜は横浜の実家に泊まり、今日は亡父と亡母の墓参りをしてきました。母が気に入って購入した、(丘や街越しに僅かに見える程度ですが)海が見える、気持ちの良い横浜南部の公園墓地です。

お墓の前で生前の父や母との思い出を思い出したり、昨年の母今年の父相次いで両親を失う過程で親不孝な別れ方をしたことを両親に謝ったりしながら、涙がずっと止まりませんでした。

カラスが「爆弾のおみやげ」を残していたので掃除しました。カラス被害に対して私は駆除派だったのですが、ある日、父から「それは外国文化の発想にはあっても日本文化にはない」と諭されたことを思い出しました。昔の農家が柿を植える際に、実一つ(正しくは枝一本でしたっけ?)疲れた旅人のため、いま一つはカラスのため」にとっておき、一見害鳥にも思えるカラスとも共存するのが日本人の優しさとの由です。童謡「七つの子」のように、カラスにも情愛の目を注ぐ童謡があるのは日本ならではとの由です。今となっては、そんな話を父とする機会もなく、二度と戻って来ない懐かしい思い出の中の会話になってしまいました。

「よし、決めた。大好きな亡父がそう言うのならば、このカラスも許してやろう。」と思いました。墓石の下で、亡父も苦笑いしながら許しているに違いありませんので。そんなことを思いながら墓石の掃除をしました。

花が好きだった母は、今日の生花を気に入ってくれたでしょうか?

本当は、もっともっとずっと、墓石の下に眠る両親と話をしていたかったのですが、名古屋に帰らなければならないので、霊園を後にしました。

 



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2007年12月14日 (金)

両親に会いに行こう

今週末は、修士課程時代の母校・東洋英和女学院大学大学院(大学院は社会人向け夜間共学)の恩師の神谷不二先生(国際政治学・安全保障論)の講演が、学部時代の母校・慶應義塾であるので、上京して聴きに行く予定です。久し振りに神谷先生の話を聴けるのは楽しみです。

せっかく上京するので、夜は横浜の実家に泊まり、翌日曜日には両親の墓参りをしたいなぁ・・・と思っております。今の私にとって、霊園に行き、亡父亡母に会いに行くことは、悲しい中にも、唯一の楽しみと化しております。普段は実家から離れた街に住んでいてなかなかお墓参りできないので、この機会に、お墓の前で、両親の霊の前で、思いきり泣いてきたいと思います。

 



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2007年11月25日 (日)

鹿児島県歴史資料センター黎明館

鹿児島県歴史資料センター黎明館
鹿児島県歴史資料センター黎明館
鹿児島天文館うなぎの末よし(写真)で昼飯食って、カフェ・ド・マノンで一休みした後、会社同期の親友と再び落ち合って鹿児島県歴史資料センター黎明館(写真)に行きました。

鹿児島県歴史資料センター黎明館は、やはり、生前の両親と共に来た思い出の場所です。ここに来たがらと言って両親に会える訳ではありませんが、両親を偲べるスポットは行きたい私にとっては重要です。あー、ここに両親と共に来た時に戻りたいです。

 

 

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

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両棒餅(ぢゃんぼ餅)

両棒餅(ぢゃんぼ餅)
両棒餅(ぢゃんぼ餅)
鹿児島仙巌園にある両棒餅(ぢゃんぼ餅)屋さんは、最後の家族旅行になってしまった旅行で生前の両親が鹿児島に来てくれた時に寄った店です。

両親を偲んで来ています。昼にウナギを食いたく、かつ食が細い私は思い出の両棒餅(ぢゃんぼ餅)は多すぎてあきらめましたが、代わりにコーヒーを飲みました。

わずか2年前、生きていてくれた両親と来た日が、せつないまでに懐かしいです。

 

 

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

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猫神神社

猫神神社
猫神神社
猫神神社仙巌園にあります。すぐ脇にネコグッズの店・猫屋があります。

今は亡き両親との最後の家族旅行で両親が鹿児島に来た時に、亡父と共に寄りました。大好きな父を偲んで再訪しています。

 

 

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!
温泉天国・鹿児島温泉紹介!

鹿児島県には、鹿児島温泉鹿児島市内温泉), 霧島温泉, 指宿温泉, 妙見温泉, 日当山温泉, 鰻温泉うなぎ温泉), 紫尾温泉, 山川ヘルシーランド露天風呂等の温泉や、霧島神宮, 高千穂峰, 霧島連山, 鹿児島神宮, 尚古集成館, 仙巌園(磯庭園), ドルフィンポート, 桜島, 知覧特攻平和会館, 知覧武家屋敷群, 薩摩金山蔵, 白谷雲水峡, 屋久杉ランド(ヤクスギランド)等の観光スポットがあります。

 

Konohaur_1









 



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2007年11月24日 (土)

城山観光ホテルの朝食バイキング

城山観光ホテルの朝食バイキング
この三連休は、鹿児島城山観光ホテルに泊まっています。私が大好きなホテルです。

城山観光ホテルの朝食バイキングはとても美味しく、来る度ごとに楽しみです。錦江湾の真鯛の刺身(写真)が大人気。

2年前、今は亡き両親と泊まった時に、両親も喜んでくれました。両親にはもう会えないけど、両親との楽しかった日に心の中でタイムスリップできました。

 

 

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

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○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

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○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ 父の死の状況

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

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城山観光ホテル、温泉もあって最高じゃっど!

城山観光ホテル、温泉もあって最高じゃっど!
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城山観光ホテル、温泉もあって最高じゃっど!
鹿児島での宿は、大好きな城山観光ホテルです。露天風呂が素敵な温泉「さつま乃湯」もあります。

写真1枚目は、ホテルのフロントから見た桜島です。2枚目以降はホテルの宿泊客用パンフレットで、城山観光ホテルから見た眺望と、温泉の情景です。

ここは、一昨年、今は亡き両親との最後の家族旅行で泊まった思い出のホテルですので、個人的にはかけがえの無く大切な、「夢のお城」でもあります。


やはり、鹿児島の温泉最高!

 

 

 

温泉天国・鹿児島温泉紹介!

 

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2007年11月17日 (土)

ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

昨年2006年11月11日(土)に母を、翌・今年2006年8月5日(日)に父を相次いで失い、悲しみから立ち直れていない私にとって、両親共に健在だった時に最後に一緒に遊びに行った思い出の場所は、2006年5月28日(日)に当時の赴任地・鹿児島から故郷・横浜に帰省した際に行った、横浜プリンス・ホテルフラワー・プロムナードです。

横浜プリンス・ホテルは、2005年12月にもやもや病に起因する脳溢血で母が倒れて入院して2006年1月に退院してから、2006年6月に今度はもやもや病に起因して脳梗塞で母が倒れるまでの間、リハビリと兼ねて訪問看護ステーションの方と共に両親がよく訪れていた所です。2005年以前に母がもっと元気だった頃からよく遊びに行っていたようですが、特に、父にとっては、2005年12月の母の入院時に回復を願って買った達磨に片目を入れ、退院で喜んで両目を入れていた時期で、母の晩年の最後の幸せだった時期によく訪れた、思い出の場所になります。この6月の脳梗塞発作以来母は回復せず、とうとう2006年11月11日に死んでしまった訳です。

ところが、横浜プリンス・ホテルは、2006年6月30日に営業を停止し、閉館してしまいました。私が帰省時に両親と共に横浜プリンス・ホテルに行ったのは、大好きな横浜プリンス・ホテルが無くなってしまう前に見に行きたかったからでした。6月30日には、後に母が死に至る原因になった脳梗塞の発作で倒れた後だったので、元気な頃の母との思い出を懐かしんで最終日に父も見に行ったとの由です。転んでメガネを壊してしまったと当時の父は笑っておりましたが、後に母の死で気落ちして後を追うようにして死んでしまったくらい母を愛していた父にとっては、当時既に死を覚悟せざるを得ない病状に陥ってしまった母との最後の思い出の場所が消えてしまう最終日は、さぞや寂しかったことであろうと思います。私も、遠く赴任地・鹿児島から横浜プリンス・ホテルが消えてしまうことを悲しみ、父と電話で「悲しいねぇ」と話し合っていました。5月帰省時に一緒に横浜プリンス・ホテルに行って以来、母が倒れる前に帰省はできていなかったため、上述のとおり、私にとっては「元気だった頃の母との最後の思い出の場所」になってしまいました。

横浜プリンス・ホテル閉館後は、土地・施設を新たに買ったオーナー企業がホテルを取り壊してマンションを建設することになっています。今年2007年11月に、母の一周忌法要で帰省した際、とうとう、懐かしい横浜プリンス・ホテルの建物は見えなくなってしまっていました。父や母が元気だった頃、最後に行った思い出の場所が消えてしまった・・・。あの空が見える場所に、去年までは横浜プリンス・ホテルの建物が見えていたのに・・・。思わず涙が止まりませんでした。

私にとっては、横浜プリンス・ホテルは、もう二度と行く機会の無い、夢のお城と化してしまいました。生前の父はよく、行くと楽しいスポットのことを夢空間と呼んでおり、最盛時よりも寂しくなってしまったマイカル本牧のことを、「昔は夢空間だったのに寂しくなっちゃった」と嘆いていました。商業施設も含めた観光スポットは、夢空間や夢のお城です。横浜プリンス・ホテルは最後の建物ができた当初からよく買い物したり、パンがおいしかったり、お茶したり、フラワー・プロムナードを楽しんだり、家族にとっては楽しい夢空間であり、夢のお城でした。その家族の思い出の施設が消えてしまい、思い出を共有する父も母もこの世からいなくなってしまいました・・・。

観光スポットのファンにとって悲しいことは、観光スポットが消えてしまうことです。経営者(オーナー)が変わること自体悲しいですが、オーナーが変わっても観光スポットが営業を続けていてくれれば思い出の場所は消えません。思い出の場所自体が消えてしまうのは、とても悲しいことです。この意味では、シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートなどフェニックス・シーガイア・リゾートを再建したり、JALリゾート シーホークホテル福岡があるホークスタウンの再建事例に鑑みれば、外資でも構わないから、横浜プリンス・ホテルを再建してくれる組織が買収してくれれば良かったのに・・・と切実に思います。内資だって、思い出の場所を取り壊してしまうのならば、横浜プリンス・ホテルに両親との最後の思い出のある私にとっては残酷です。

横浜プリンス・ホテルがまだ営業してくれていて、両親が元気だった頃に戻りたいです。もう二度と行けない夢のお城が、消えてしまいました。

071111_12270001横浜プリンス・ホテルの建物が、解体されて消えてしまっていました。









060505_11440001かつては、同じ場所から、横浜プリンス・ホテルが見えていました。







Photoかつての、横浜プリンス・ホテルの全景です。







Photo_2かつての、横浜プリンス・ホテルの夜景です。





060505_13400001両親の生前、2006年5月5日に横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行った時の写真です。横浜プリンス・ホテルも消えてしまい、両親も死んでしまった今日、もう二度と戻って来ない情景です。





060505_13400002両親の生前、横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行った時の写真です。






060528_12510001両親の生前、2006年5月28日に横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行った時の写真です。









060528_14280001両親の生前、横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行った時の写真です。





P5280041両親の生前、横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行った時の写真です。





P5280024フラワー・プロムナードのバラ園での、亡父の後姿です。





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○ 横浜プリンスホテルよ永久に

○ 横浜プリンスホテル グランド・フィナーレ写真展

○ さようなら、横浜プリンスホテルのフラワー・プロムナード

○ 横浜プリンスホテル・パンフレット

○ 横浜プリンスホテル最後の1週間頑張って下さい

○ いよいよ横浜プリンスホテル最後の夜ですね

○ 母の納骨(その後、解体工事でプリンスブリッジが消えてしまった写真が載っています)

○ 母の死

○ 母の死・その2

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2007年11月11日 (日)

鎌倉のこと、叔母の墓参りのことなど

鎌倉のこと、叔母の墓参りのことなど
鎌倉のこと、叔母の墓参りのことなど
鎌倉のこと、叔母の墓参りのことなど
今日は母の命日ですが、一周忌法要は昨日済ませてしまいましたので、6年前に死んだ叔母の墓参りに生きました。ここ数年間の間に、私にとって大切な人達が、どんどん亡くなっいきました・・・。

写真は拙両親の墓ではなく、叔母の墓です。

途中、鎌倉を通りました。今は亡き両親が健在だった頃、両親も私も鎌倉が大好きだったので頻繁に遊びに行っていたし、一昨年2005年暮れに母が倒れる前、2005年までは正月に鎌倉鶴岡八幡宮に行くのが毎年の家族の楽しみでした。2006年正月には母が入院して初詣に行かず、その後、相次いで両親が死んでしまったので、結局、2005年が最後の楽しい家族の初詣になってしまいました。下車しないとは申せ、鎌倉を通るのは2005年正月以来です。

電車が北鎌倉とか鎌倉とか、亡父や亡母との思い出が残る懐かしい駅を過ぎる度に、人目もはばからず泣き出しそうになってしまいます。電車の窓から鶴岡八幡宮が一瞬、見えました。もう、二度とあそこに両親と共に行く機会はない・・・たまらなく辛いです。

名古屋への帰路の新幹線車中で、歌舞伎幕の内弁当という名前の駅弁を食べました。以前の日記にも書いたとおり、歌舞伎にも両親との思い出がたくさんあります。思わず買って食べました。もう、両親と歌舞伎を見に行く機会もない・・・寂しいよー。

お父さん、お母さん、会いたいよー。次に両親の墓参りに行けるのはいつだろう?。



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ああ、1年前の今日

詳しい時間は覚えていませんが、母が死んだのは丁度1年前のこの時間頃です。

あぁ・・・。



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亡き両親との思い出のデニーズ

亡き両親との思い出のデニーズ
今日は亡母の命日です。昨日、母の一周忌法要を済ませたので、これから別件の用事を済ませたら名古屋の自宅に帰ります。

亡父や亡母の思い出の籠もる近所のデニーズに行ったら、お店の人が、「最近お父さんがお見えにならないようですが」と話しかけてくれました。父も母もこの1年の間に死んでしまった旨を伝えると、私に対して悪いことを言ってしまったと恐縮しておられました。

恐縮することはありませんよ、と思いました。拙実体験から思うに、悲しみには「忘れたい悲しみ」と「忘れたいたくなく、浸っていたい悲しみ」の二種類があって、後者の場合には、その話題に触れること自体はタブーでありません(ただし、触れ方がウザくない限り)。私の場合、父や母の思い出に浸っていたいからこそデニーズに来ているので、悲しいからこそ思い出していたいのです。どこかで亡父や亡母とつながっていたいので。

それは、例として適切か否かは不明ですが、失恋した際にオフコース失恋ソングプリンセス・プリンセス浜田省吾片思いBon JoviAlwaysRainbowC'ant Let you goを聴きたくなるのと同じようなものだと申せば、ご両親ご健在な若い方にもお分かり易かろうと思います(曲の例が古いけど)。

恐縮することはありませんよ。それよりも、亡父のことを覚えていてくれてありがとうございます。そのことが嬉しかったです。悲しいからこそ、ありがたかったです。

写真は、今は亡き両親との思い出のデニーズ・モーニングのメニューです。



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今日は母の命日

今日は母の命日
亡母の一周忌法要は昨日行いましたが、母の本当の命日は今日です。

朝から涙が止まりません。なお、写真は昨日の、母の一周忌法要のものです。



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2007年11月10日 (土)

亡母の一周忌法要をしました。

今日は母の命日
今日は、母の一周忌法要をしました。早いもので、母が死んでからもう1年になります。法要は今日行いましたが命日は明日11日なので、1年前の今日まではギリギリ母が生きていてくれた(父も!)と思うと、時の流れが悲しいです。

本当は生前の父と一緒に亡母の法要の段取りの話をしていたのに、父まで母の後を追うように死んでしまったので、父には遺影を私の胸に抱くことで参列して貰いました。

散会して親戚が帰ってから、訳あって霊園に戻る事情があったため、その機会を利用して独りでもう一度墓参りに行きました。お墓で眠る、大好きな父と母に会いたかったので、時間ギリギリまでお墓にいました。父と母に会いにお墓に行く、悲しいけれど、今の私には最も楽しみで、そこにいつまでもいたい時間です。



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○ トルコききよう: 母の命日

○ 母の命日 - 今泉仁志のブログ「自ら歌を歌う人たちと、、」 - 楽天ブログ(Blog)

○ 紋別で働く社長のブログ | 命日

○ れんタンmamaの日記 母の命日

○ 辰乃与太郎ブログver.2.1: 母の命日のお墓参り

○ Kashiroman's BLOG "ブログの王子様": 母の一周忌が終わりました。

○ 俳優 堀田眞三(グランパ)です。 母の一周忌。。。法要

○ 母の一周忌法要

○ taka-c's ふぉとらいふ : 一周忌

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明日(もう今日?)は母の一周忌法要

赴任地・名古屋から故郷・横浜に帰省しています。昨2006年から今年にかけて相次いで父も母も死んでしまったので、独りぼっちの実家です。
11月10日は母の一周忌法要です。本当の命日は11月11日ですが、スケジュール上土曜日にしました。わずか1年前までは、死の直前とは申せ母が生きていてくれて、父も生きていてくれたのに、誰もいなくなってしまいました。
先月は帰省しなかったので、明日(もう、今日?)の法要は、久し振り(約1ヶ月ぶり)の墓参りです。悲しいですが、お墓に行けば大好きな父と母に会えると思うと楽しみでもあります。昨今は「千の風になって」という、お墓の中に私はいませんという内容の歌が流行っていますが、父と母に会いにお墓に行きたい私にとっては個人的には癒されない歌詞だなぁ、と思います。
お父さん、お母さん、会いに行くからね。



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2007年11月 6日 (火)

1年前の昨日

昨2006年の11月3日(祝・金)~05日(日)、私は、当時赴任していた鹿児島から横浜に帰省して、当時、死の床にあった母を必死に在宅看護していた父のいる実家にいました。

肺炎を併発していた母の体温が数週間ぶりに下がり、これであと2~3週間は持ちそうだと安心して、私は実家を出て鹿児島の自宅に帰りました。母が死の床につき、いよいよ悪化して、毎週のように10月以来帰省するようになってから、初めて安堵した瞬間で、父と二人で喜んでいました。鹿児島から横浜までは物理的だけでなく経済的にも遠いこともあり、私は次の週末には帰らず、2週間後行こうに帰省することにしました。交通費だけでなく、狭い実家に母のベッドも据えると私が寝る場所がないため、帰省したのにホテル泊まりだったこともあり、経済的にも余り無理が続きませんでした。

昨2006年にもやもや病に起因する脳梗塞の発作で倒れて以来、「体は動かずしゃべれず、意識はあるものの植物人間に近く、なまじ意識があるだけ植物人間よりも酷な状態」であった母とは、コミュニケーションが可能な状況ではありませんでした。しゃべれなくなる等、脳梗塞の 発作で脳機能の一部が犯されていた母が当時どれ位正確に外界の状況が把握可能だったかは定かではありませんが、父が世話すると反応する母が私には余り反応 せず、仕事やら何やらで6月の発作以来10月まで帰省できなかった私の親不孝ぶりが責められているような気がして、申し訳ない思いでいっぱいでした。それ でも母が生きていてくれるだけでありがたく、肺炎から持ち直したことを父と共に喜んで私は鹿児島に向かったのです。

しかし・・・その次の週末、昨2006年11月11日(土)、体力を消耗しきっていた母はとうとう力尽きて帰らぬ人と化してしまいました。夕方、父から電話がかかってきて「死んじゃったよ」と聞いた時、11月11日(土)の週末も帰省しておれば良かったと、心底後悔しました。

それでも、死ぬ前の最後の命の炎だったのでしょうか?。昨年の昨日は母が一瞬だけ持ち直して、母が倒れて以来初めて、ほっとした幸せな気持ちで鹿児島の自宅に帰ったのでした。あと2ヶ月は持たないだろうとは思いながらも、わずかその一週間後に母を失うことになるとは夢にだに想像せずに・・・。今年も11月05日が過ぎて、そんなことを思い出してしまいます。

父によれば、病床の母は、時折曇天の日に窓の外を、何かに憧れるような目で見ていたそうです。景色が見たいのかと思って窓を開けてあげると、横を 向いてしまうのだそうです。父が察するに恐らく、外が見たかった訳ではなく、元気で楽しかった頃のことを思い出して、その背景のキャンバス代わりに空を見 ていたのではないか、とのことでした(母はしゃべれなくなっていたので真意は不明ですが)。元気だった頃は花が大好きで、一緒によく横浜プリンス・ホテルのフラワー・プロムナードに行ったり、鹿児島に遊びに来てくれた時にはフラワーパーク かごしまを楽しんだりした母なのに、昨2006年6月に脳梗塞で倒れて以来は、花を見せても反応が無く、「脳内の、花を愛でる機能が失われてしまったようだ。あれ程、花が好きだったのに」と父は嘆いていました。

死の直前だったとは申せ、わずか1年前には生きていてくれていた母。そして、母の看病をしながら生きていてくれた父。昨2006年11月11日に母が死に、そして、今年(2007年)8月5日には、後を追うように父まで死んでしまいました。今週末は、本当は父と一緒に手配をしようとしていた母の一周忌があります。10月には故郷・横浜に帰らなかったので、9月末に墓参りに行って以来、久し振りに霊園に亡父と亡母に会いに行けます。とても悲しいのですが、墓参りに行って両親に会えるのが楽しみでもあります。母の死に際して親不孝だっただけでなく、父の死の際にも孤独死させてしまったので、親不孝な私のことを両親は怒っているかも知れませんが、大好きな両親の御霊に、会いに行きたいと思います。悲しいですが、両親に会いたいので楽しみです。

そう言えば、05日と言えば、亡父の月命日でもありました・・・。



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○ 母の納骨

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○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回

○ 母の墓参り

○ 今日は母の日、母さんはもういない

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

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2007年10月29日 (月)

両親と歌舞伎にはもう行けない

 

 10月11日の日記に書いたとおり、一昨年・2005年の10月21日には、拙職場の先輩がくれたチケットで両親は歌舞伎を楽しんでいました。その頃私は、当時の赴任地・鹿児島で休暇を取って屋久島に行き、憧れの秘湯・平内海中温泉や、屋久島いわさきホテルJRホテル屋久島尾之間温泉などの温泉や、ヤクスギランド白谷雲水峽ボタニカル・リサーチ・パークなどを楽しみ、屋久島のお土産を横浜の 実家に送ったら亡母に喜んで貰えたのでした。旅行先のお土産を送ると亡母は必ず御礼(兼)近況報告のハガキをくれ、それがちょっとした楽しみでした。電話 をかけたら、歌舞伎がとても楽しかったと、亡父も亡母も興奮して話してくれました。・・・私にとっては、とても幸せな日々でした。

 その翌々月、後に2006年11月11日の死に至る、もやもや病に起因する脳溢血の発作で母が倒れて正月に帰省した時には入院していました。一旦は回復して喜んだのも束の間、2006年6月には今度は、もやもや病に起因する脳梗塞で母が再び倒れて、意識はあるがしゃべれず動けない状況に陥り、衰弱して同年11月11日に死んでしまいました。母が死ぬ直前、丁度2006年10月21日に帰省していた時に父は、「わずか一年前に一緒に歌舞伎を楽しんだのが嘘のようだ」と嘆いていました。

 そして今度は、母の在宅看護で体力を消耗したことに加えて、母の死の気落ちで急速に老化が進んでいた父が、まるで愛しい妻(=私の母)の後を追うようにして、心筋梗塞で死んでしまいました。転勤族の私はそばにいてあげられず、大好きな父を孤独死させてしまいました。発見されないまま3日間、父はさぞや寂しがったであろうと思います。

 わずか2年前、わずか2年前、あんなに家族は幸せだったのに・・・。そして、もう十数年前になりますが、歌舞伎座や浅草に私も一緒に歌舞伎を見に行った時もあったのに・・・。もう、家族が揃っていて幸せだった日々は二度と戻って来ない。両親と歌舞伎を楽しむ機会は二度と来ないし、旅行してもお土産を送る実家に両親はいないし、母からハガキが戻って来ることも、これからは無い。両親が歌舞伎を楽しんで2年が過ぎ、失ったものの大きさに耐え難く思います。父や母に会いたい、切実にそう思います。

 母の死から約1年、父の死から約3ヶ月、私の悲しみは癒えることがありません。わずか二年前の幸せだった日々・・・今の心境を夢にだに想像することすらできなかった当時に、戻れるものなら戻りたいです。そしてもちろん、それより前の両親がまだ生きていてくれた時期にならばいつでも、戻れるものならば戻りたいです。

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○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

等々です。上述以外の父や母の死に関する他の日記は、このリンク先の目次欄から辿って行けます。

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2007年10月11日 (木)

お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

本年(2007年)8月5日に死んだ亡父の遺品の中に、横濱タウン新聞・アカデミア港南台主催の「講師と行く歌舞伎観劇・舞台裏見学ツアー」に申し込んだ書類一式が出て来た旨は、既に8月16日の日記に書いたとおりです。

今日は当日です。席はキャンセルせずにアカデミア港南台の担当の方に亡父と亡母の遺影を預かっていただき、亡父と亡母とを連れて行っていただいた筈です。舞台裏を見られるツアーで生前の父は楽しみにしていたの由です。天国に行ってしまった父も今日、国立劇場に天国から降りてきて、歌舞伎観劇を楽しんでくれただろうか・・・と思います。

8月16日の日記に書いたとおり、亡父と亡母は歌舞伎が大好きで、会社の先輩から貰った歌舞伎の券をプレゼントして、2005年10月21日に2人で見に行った、国立劇場公 演「操花鳥羽恋塚」は、亡母がまだ元気だった最後の時期の夫婦デートの思い出として晩年の父には忘れられない大切な思い出になっていました。早いもので今 思えば、その夫婦デート歌舞伎観劇は、既に一昨年のことです。昨2006年10月に母が心配で実家に帰った時には、死を迎えつつある母の在宅看護をしなが ら、「1年前、一緒に歌舞伎を見に行った時はあんなに元気だったのに」と父は嘆いていました。その翌月、昨年(2006年)11月11日(土)に母が死に、後を追うようにして今年(2007年)8月5日(日)に父が死に、父も母もいなくなってしまいました。

丁度、今日の場所は、父にとっては亡母との思い出の場所である国立劇場です。お父さん、お母さんとの久し振りの歌舞伎、今日は楽しんでいただけましたか?。できれば生きて今日の観劇をしたかったであろう、遺影の父に話しかける夜です。

後日補記:横濱タウン新聞HP内の「編集室のこぼれ話」欄に、この歌舞伎観劇ツアーの模様が載っています。遺影の両親も楽しんで貰えた模様で、亡き両親についてもコメントしていただけました。どうもありがとうございます。



◎ 当日記に関連する当ブログ内の他の日記記事

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

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○ 両親がお世話になった保険代理店

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○ ついつい実家に電話してしまう

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 父の死,及びその9ヶ月前の母の死に関する、当ブログ内の他の日記記事については、この目次欄でご参照可能です。

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2007年10月 6日 (土)

二度と戻って来ない情景

この日記は、本当は2007年8月16日(木)に書いたものですが、編集している内に操作ミスで何故か10月の日付で索引付けされてしまったものです。編集不可能な状況で8月16日のガラも残っているようですので、多分、ディレクトリ・エントリのような索引インデックスがあって、ポインタが切れてしまったものと推測します。

=====[↓日記本文]=====

忌引きを延長させていただいた理由は、役所の窓口が開いている平日にしかできない、父の死に伴う事後処理が終わっていないためですが(言い訳モード)、窓口タイムアウトが早いので「定時退社」状態です。昨2006年に母が死んだ時には父と役割分担していたのですが、前回の父の分に加えて、前回には無かったタスクまであって、もう、大変です。
夕方の買い物をしていたら雨が降って来たので、生前の両親の馴染みだった喫茶店で雨宿りしています。この店は生前の両親と一緒に、今は無き横浜プリンスホテルフラワー・プロムナードに行った際に立ち寄った思い出の店です。
父が写して未現像だった使い捨てカメラがあったので一本現像して、この店で見てみました。写した亡父も見ていない写真です。その写真には、横浜の名園・三溪園と、複数日に渡るフラワー・プロムナードが写っており、生前の亡母も写っていました。わずか一年前の春の情景です。
2006年春当時の母は、もやもや病に伴う脳溢血の発作で前年2005年12月に倒れて入院した後、一時退院してリハビリしながら通常生活を送っていた頃で、両親にとっては、幸せだった正に最も最後の時期です。昨2006年6月20日には母は、後に死に至る最後の、脳梗塞発作で倒れて身動き不可能な状況に陥りましたので、昨年春の、母が動けていた最後の時期の写真を亡父の遺品未現像フィルムの中から見つけると、せつないです。ましてそれを、晩年の両親との思い出の店の中で見ると、思わず悲しくて耐え難い心境になります。
その写真には、母の死後の日付で、閉館後の解体工事途中の横浜プリンスホテルの写真も写っていました。同ホテルのフラワー・プロムナードでの亡母との思い出に対する亡父の思いを思う時、ホテル解体状況を写した父の心中は察するに余りあるものがあります。
この写真は、見ているだけで悲しくなります。



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父の孤独死

昨日・10月5日は、本年(2007年)8月5日(日)に父が急死してから2月目の月命日です。早いもので、父が死んでから既に2ヶ月が過ぎてしまいました。

それまでは、独居老人の孤独死などという話題を聞くと「なんて残酷な」と思っており、まさか自分が、最愛の自分の父を孤独死させてしまうとは夢にだに思っておりませんでした。ところが、昨2006年11月11日(土)に母が死ぬと、「毎日の散歩でさえデート状態で、父曰く自称『両濡れ落ち葉』」な程に仲の良かった母を失って気落ちしてしまい、日々急速に心身共に老化が進んだ父が、心筋梗塞で孤独死してしまったのです。

父の死の前の週まで転勤で鹿児島に赴任していた私は同居可能な状況では無く、丁度、8月1日に名古屋に転勤になり、鹿児島よりも故郷・横浜に近くなったので、「息子が近くに戻って来た」と父が喜んでくれていた矢先のことでした。正に、近く(と言っても新幹線で1時間以上の距離ですが)に戻って来て、これからは父が心配なので帰省頻度を増やせられると思っていた矢先に、名古屋に赴任して来た週に父に死なれてしまった訳です。

私にとって鹿児島は、生前の亡父と亡母が遊びに来てくれたのが最後の家族旅行の思い出の場所になった所であり、その両親との思い出の場所から異動するのは悲しかったのですが、とは申せ、実家のある横浜に近くなって、十分な親孝行ができなかった亡母の分まで父に親孝行しようと思っていました。親が死んだ際に近くにいられないのは転勤族の宿命とは申せ、近い都市に着任したその週に死なれたのは無念であり、悔しいです。

全然心の準備もできていなかったし、悲しいし悔しいし、そして寂しいです。何かの間違いであって欲しい・・・と今でも思います。若い頃から結婚願望があったのに売れ残ってしまって独身の私は、わずか1年前は両親が揃っていて3人家族だったのに、天涯孤独の独りぼっちになってしまいました。大好きだった父も母も、もうこの世にはいません。そして、最後の瞬間にそばで見守ってあげること叶わず、大好きな父と母に対して親不孝な見送り方をしてしまいました。特に父の場合には孤独死をさせてしまったので、単に悲しいだけにとどまらず、極めて強いショックから今だに立ち直れておりません。

父を孤独死させてしまった・・・。べらぼうに辛いです。今回の名古屋への異動は、急速に父の老化が進む中で少しでも横浜に近い街に異動させて下さったという、前任地・鹿児島での上司の配慮があったのではないかと推測しているのですが(注:事実ではなく推測です)、転勤したその週に孤独死させてしまったので、その上司のせっかくの好意も活かすこと叶わず、元・上司に対しても申し訳ない思いでいっぱいです。

もう一度、父の声を聴きたい。もう一度、母の声を聴きたい。幽霊でもいいから会いたい。夜、眠ったら夢の中に出て来て欲しい。息子の転勤を喜んでくれたその週に独りぼっちで死んでいった父・・・。さぞや寂しかっただろう・・・。お父さん、孤独死させちゃってごめんなさい。ああ・・・私は・・・大好きな父を孤独死させてしまった・・・。

北海道江別市で市議会議員をやっている旧友・つのだ一さんが、今回の拙亡父の件を機に自分の街での孤独死対策を政策課題として採り上げてくれるようになりました。そんな形でもこの悲劇の再発防止策が少しでも進むのなら良いことなのだと思います。が、例えば拙・亡父の場合には東京・山の手生まれであることもあり、「近所づきあいは希薄で済む首都圏のマンション暮らしを居心地良く思う」性格だったため、つのださんご自身がブログで指摘しているとおり、プライバシーの問題との兼ね合いが難しいのではないか、という気もいたします。「近所づきあいは、もちろん拒絶はしないが、でも必要最小限にしたい。」という父や私のような都会っ子のプライバシー上の問題と「地域社会の関わり」とは二律背反的であり難しいテーマです。父の場合には遺体を発見して下さったのが介護士の方なので、正に行政上のネットワークで事後には対応可能なのかも知れません。

命日を機に気持ちの整理をしてみようと思いましたが、ほとんどは、今まで書いた気持ちを繰り返すだけの状況です。父が死んで以来、気持ちの上では時間が止まってしまったのかも知れません。



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◎ 「孤独死」に関する他のブログの記事

○ つのだ一 活動日誌: 孤独死

○ ★現実ブログ!!「現実にある出来事の紹介」 少子化社会に激増する孤独死

○ ★現実ブログ!!「現実にある出来事の紹介」 現実の物語「独居老人の孤独死」

○ ★現実ブログ!!「現実にある出来事の紹介」 急増する孤独死に対する取組

○ ★現実ブログ!!「現実にある出来事の紹介」 孤独死の年齢は?

○ 極東ブログ: 孤独死問題への違和感

○ 駄猫の時事放談  高齢者の孤独死

○ 考える:孤独死について - PSP 活用記録 - Yahoo!ブログ

○ 煩悩是道場 - 常盤平団地孤独死問題

○ 志の輪、広げよう。:  孤独死を考える

○ So-net blog:ぼやきまくりの日々:老人の孤独死

○ 宮田歯科池袋診療所のブログ: 警察歯科医会

○ ねこちゃんち★育児と育自★  この一ヶ月

○ 父が死んだ日 - サイレント・マイノリティ - 楽天ブログ(Blog)

○ 福岡県弁護士会 弁護士会の読書: ひとり誰にも看取られず

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両親の死に関する日記の目次

両親の死に関する日記を整理するべく、目次を作りました。



◎ 亡父と亡母の死を悲しんで書いた、当ブログ内の記事の目次



◎ 1/5 母の死(2006年)

○ 死に近き母(過去の日記の転載)

○ 母の死

○ 母の死・その2

○ 母の葬儀&墓地

○ 鹿児島での母との思い出の場所

○ 母の納骨

○ お母さん、会いたいよー

○ 母を偲ぶ拙歌9首

○ 母のいない正月

○ ピコピコ・サンダル-たわいもない会話のできた幸せ

○ 母の夢を見ました

○ 母の遺影を抱いて桜島

○ 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 最終回



◎ 2/5 母のが死んでから後も、父がまだ生きていてくれた時期(2007年前半)

○ ショック!大切なお酒が・・・(過去の日記の転載)

○ 横浜の桜(過去の日記の転載)

○  思い出の場所が焼けちゃった(浜マーケットの火事)

○ 母の墓参り

○ 浜マーケットの現状

○ 鹿児島ブランド頑張ってます。

○ 今日は母の日、母さんはもういない

○ 鹿児島での亡母との思い出の場所のHP掲載

○ うぇーん、鹿児島・・・鹿児島・・・



◎ 3/5 父の死(2007年)

○ 今度は父の死亡

○ 父の側にいられる最後の夜の夜中

○ お父さん、許して

○ 母の遺影の焼き増し

○ 父が残していた越乃寒梅ー夢の残骸

○ 父のお通夜が終わりました。

○ 独りぼっちの朝

○ 告別式と無言の帰宅

○ 父の死の状況

○ 父と晩酌

○ 親父のバカヤロー

○ 8日見た夢の中の父

○ 両親との思い出のデニーズ

○ 父の遺骨を菩提寺に

○ 一週間前の今頃父は

○ 父との思い出のバス路線

○ せめて妄想で父と朝食

○ 父とはもう食べられないバーミヤン・ラーメン

○ 父の痕跡が消えてしまう・・・

○ どこに行っても両親が思い出されて悲しい

○ お父さんに会いたい

○ 父が生きていてくれた時がだんだん遠くなってしまう・・・。

○ 独りぼっちの戸籍謄本

○ 亡父と亡母が好きだった店

○ せっかく名古屋に赴任して来たのに

○ 辛くても頑張って生きなければ

○ 新横浜駅の待合室がせつない

○ 父が見られなかった歌舞伎観劇ツアー

○ その時近くで119番通報できていれば

○ 二度と戻って来ない情景

○ あの頃、両親共に生きていてくれたのに

○ 父の死の事後処理なんとか一段落

○ お母さん、会いに来たよ

○ かつて亡父や亡母と暮らした札幌

○ 両親がお世話になった保険代理店

○ 名古屋帰行



◎ 4/5 両親を偲ぶ日々

○ やはり、何を見ても辛く悲しい

○ 亡父や亡母の思い出のかごしま水族館が、名古屋でも放送されていました

○ もう一度お父さんとお母さんの子供に生まれて来てもいいですか

○ ついつい実家に電話してしまう

○ ようやく夢で両親に会えた

○ 1ヶ月前の今夜

○ 今日は納骨日

○ 無事、父の納骨が終わりました。

○ 牧野植物園や五台山竹林寺のことなど

○ 讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

○ 亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

○ 両親に会いに行きました(墓参り)

○ 父の死亡叙勲

○ 父の孤独死

○ お父さん、歌舞伎観劇楽しんでいただけましたか?

○ 両親と歌舞伎にはもう行けない

○ 1年前の昨日

○ 明日(もう今日?)は母の一周忌法要

○ 亡母の一周忌法要をしました。

○ 今日は母の命日

○ 亡き両親との思い出のデニーズ

○ ああ、1年前の今日

○ 鎌倉のこと、叔母の墓参りのことなど

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

○ 城山観光ホテル、温泉もあって最高じゃっど!(今は亡き両親との思い出の場所再訪)

○ 城山観光ホテルの朝食バイキング(今は亡き両親との思い出の場所再訪)

○ 猫神神社(今は亡き両親との思い出の場所再訪)

○ 両棒餅(ぢゃんぼ餅)(今は亡き両親との思い出の場所再訪)

○ 鹿児島県歴史資料センター黎明館(今は亡き両親との思い出の場所再訪)

○ 両親に会いに行こう

○ 父と母が眠る墓地

○ お父さんはもういないんだなぁ

○ 寂しいクリスマス・イルミネーション

○ キャンドル・サービス

○ 歌姫

○ 上りはガラガラ

○ 日本レコード大賞コブクロの蕾受賞に涙が止まらない

○ 大晦日の墓参

○ もう両親と鶴岡八幡宮に初詣には行けない

○ 鎌倉・小町通りの喫茶店「門」

○ 独りぼっちのNHK紅白歌合戦

○ 父もいない正月

○ シャトー ル・パンみなとみらい店、懐かしいフランス料理レストラン

○ 消えてしまったもの〜CMねこと世界のねこ展

○ 霊峰・富士

○ 成人式の写真

○ 嵐のような雨の中のお彼岸

○ 夢に亡父と亡母が出て来てくれました。

○ 横浜そごうのからくり人形時計がなくなっちゃったそうです

○ 馬籠宿の民宿・岩田屋の廃業

○ 父も母もいない独りぼっちのGW

○ デニーズの思い出の席(デニーズ、頑張れ!)

○ お父さん、お母さん、行かないで

○ 友人のお父上のお通夜

○ あぁ、父に最後に会ってから1年

○ 独りぼっちの墓参り

○ お父さん、思い出の木曽路に行って来たよ

○ 最後の家族旅行から3年目

○ おうちに帰ろう

○ 川田亜子さんのお母様の気持ちを思えば

○ はみだし刑事情熱系

○ 挽歌~父の死,母の死に関して詠んだ短歌

○ 城山三郎『そうか、もう君はいないのか』読書感想

○ 結婚したい、結婚したい、結婚したい

○ 亡母のおにぎり

○ 猫が来る家

○ 父がいなくなってしまった父の日

○ 犬が来る家

○ おぞましきはブツブツおじさんの怪

○ 墓参り(2008年07月)

○ 横浜そごうでミニ九州フェアに遭遇

○ 父と最後に電話で話してからちょうど一年

○ これから亡父の一周忌

○ 父の一周忌法要無事終了

○ 父の命日

○ You Tubeで鹿児島の動画を見つけました

○ 今日は誕生日

○ 城山観光ホテルの桜島が見える温泉展望露天風呂

○ 城山観光ホテルのテラス

○ 両親との思い出の歌舞伎座の建物が消えてしまう

○ 母の三回忌の会場にて

○ 母の三周忌の命日

○ Afternoon Tea TEA ROOM

○ 独りぼっちの大晦日

○ 独りぼっちの大晦日・その2

○ あけましておめでとうございます(長文注意)。

○ いわさきザビエル450跡地

○ 両親のいない2回目のGW

○ 亡父の声

○ 父の三回忌

○ 法爾山天然寺(横浜市金沢区,浄土宗,菩提寺)

○ 独りぼっちの誕生日



◎ 5/5 亡父と亡母の生前の最後の時期の思い出:横浜プリンスホテル最後の日々(時期は前後しますが2006年の、両親揃っての最後の思い出の時期)

○ 横浜プリンスホテルよ永久に

○ 横浜プリンスホテル グランド・フィナーレ写真展

○ さようなら、横浜プリンスホテルのフラワー・プロムナード

○ 横浜プリンスホテル・パンフレット

○ 横浜プリンスホテル最後の1週間頑張って下さい

○ いよいよ横浜プリンスホテル最後の夜ですね

○ ああ、横浜プリンスホテルが消えちゃった・・・

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2007年10月 3日 (水)

父の死亡叙勲

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今年(2007年)8月5日に死んだ父
http://kamitaku.cocolog-nifty.com/rock/2007/08/post_9a0e.html
http://kamitaku.cocolog-nifty.com/rock/2007/08/post_bb3e.html
の死亡叙勲があり、瑞宝双光章をいただきました。

亡父は現役時代は気象庁に奉職しており、気象庁での父の本籍部門(兼)最後の職場であった東京管区気象台が手続きを取ってくれたものです。

気象,防衛,海上保安,警察,消防など、国家公務員と地方公務員を問わず、「365日24時間営業,命や体を張っての現業系公務員」は長年公務に より公益に励むと、(恐らくは生存者叙勲を受けなかった場合、)死後に死亡叙勲を受ける権利を有します。今回の死亡叙勲は、この叙勲の手続きを、東京管区気象台がとってくれたものです。私は詳しくはないのですが、春秋叙勲にはどうやら生存者叙勲もあるようなのですが、死亡の場合には個人に位階も授けられます。

亡父は、勲章としては瑞宝双光章をいただき、それに関して勲記をいただき、位階としては正七位をいただきました。内閣府HP日本の勲章・褒章勲章の種類及び授与対象によれば、瑞宝章とは「公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた方」との由です。写真は、勲章と勲記と、正七位の位階の位記と、それから、父の生前の最後に私が当時住んでいた鹿児島から故郷・横浜に帰省できた際に、生前の亡父と一緒に亡母の墓参りに行った際に写した、最後の父の写真です。

叙勲が死亡叙勲なのであれば叙勲されなくても良いから父にはいつまでも生きていて欲しかったというのが本音です。ですが、叙勲手続きをお願い申し上げたのは、今さら生き返ることが不可能になった旨を前提とすれば、長年に渡り気象庁で防災業務に従事した父の公共心に鑑み、父が頑張ってきた証、父が生きていてくれた証を残したかったからです。悲しいけれど、こういう形でも父の生前・現役時代の防災業務の苦労に報いたい、と思いました。

よくは分からないのですが死亡叙勲があるということは、叙勲の陰には多くの遺族の涙や悲しみがあるのだと思います。そう考えると、叙勲というもの がとても重くせつなく悲しいものに思えます。私も・・・最愛の父を、それも孤独死させてしまうという形で失ってしまった・・・。叙勲で父が生き返ってくれ る訳ではないけれど、「父の防災業務の公務に報いたい」という思いが天国の父に伝わってくれたら本望だと思います。

なお、叙勲や位階等に関しては、以下のHPで詳しく解説されています。
○ 内閣府HP日本の勲章・褒章
http://www8.cao.go.jp/intro/kunsho/index.html
○ ウィキペディア・勲章
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%B2%E7%AB%A0
○ ウィキペディア・位階
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8D%E9%9A%8E



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2007年9月30日 (日)

両親に会いに行きました(墓参り)

両親に会いに行きました(墓参り)
両親に会いに行きました(墓参り)
両親に会いに行きました(墓参り)
昨日までの日記で述べたとおり、高知工科大学大学院起業家コースでの学位授与式の後、今は亡き両親の思い出を偲んで高松に立ち寄ってからお洒落な寝台特急・サンライズ瀬戸で故郷・横浜の実家に帰って来ました。高知から名古屋に帰るのに横浜に寄るのは遠回りですが、思い出のサンライズ瀬戸に乗って、霊園に眠る両親に会いに行きたかったのです。

位牌に線香をあげて暫く休んだ後で、生前の亡父や亡母とよく行った、思い出の店・デニーズでモーニング・セットを食べて、墓参りに出かけました。母の死後、母の墓参りに行く際に母の思い出話をしながら生前の父と一緒に乗ったバスに乗ります。父と思い出話をしたこと自体が思い出になってしまった今日、父を失った悲しみが胸を突き上げます。

バス停を降り、かつて亡父と連れタバコした場所でタバコを吸います。もう、隣りに父はいません。雨が降っていたし高知経由で荷物が重いのでタクシーを拾い、霊園に行きました。

お彼岸に行けなかったので、先々週の父の納骨で父が母と共に眠るようになって以来、初めての墓参りです。ありがたいことに、誰か墓参りに来て下さった方がいて花がありました。

お父さん、お母さん、会いに来たよ・・・。話しかけた瞬間に涙が止まらなくなりました。同じ墓地に眠る、小学校時代の恩師の父君のお墓にもお参りし、GW帰省時に母の墓参りに来た時に生前の父と連れタバコした思い出のあずまやで一服した後、再び我が家の墓に戻っていろいろなことを両親に報告しました。涙ボロボロです。

写真の父は、生前GWに一緒に墓参りに来た時のもので、無人のものは、同じ場所で今日写したものです。

今日は赴任地・名古屋に戻ります。霊園に眠る亡父と亡母に会えて、良かったと思います。



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2007年9月29日 (土)

亡き両親との思い出のサンライズ瀬戸

亡両親との思い出のサンライズ瀬戸
亡両親との思い出のサンライズ瀬戸
亡両親との思い出のサンライズ瀬戸
亡両親との思い出のサンライズ瀬戸
亡両親との思い出のサンライズ瀬戸
昨日から今日までの他の日記で述べたとおり、高知工科大学大学院起業家コースでの学位授与式の帰りに、今は亡き両親との思い出を偲んで高松に立ち寄っています。

1999年に徳島脇町に両親と一緒に行った帰りに乗った、豪華でおしゃれな寝台特急電車・サンライズ瀬戸に乗っています。サンライズ瀬戸は、電車自体も好きだし、両親との思い出もあるので大好きな列車です。

かつては亡父や亡母と一緒に乗ったのに、今は独りぼっち・・・。悲しくてせつないです。

私はこれから、このサンライズ瀬戸で、両親の位牌が待つ横浜の実家に向かいます。博士論文を直前まで赴任地・名古屋で書き直していたため、お彼岸にお墓参りに行けなかったので、時間に余裕があったら墓参り、無くてもせめて実家の位牌に手を合わせる所存です。



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讃岐うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店

うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店
うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店
うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店
うどんの味名登屋&ホテル・ニューフロンティア:高松での両親との思い出の店
昨日の高知工科大学大学院起業家コース博士学位授与式の帰りに今日、高松に立ち寄っています。高松に立ち寄った理由は、今は亡き両親との思い出を偲ぶためです。
母方の祖父は徳島県脇町の生まれなので、東京だけでなく脇町にも祖父と祖母の墓があるので、私今まで二回、生前の両親と一緒に脇町に行ったことがあります。本州から脇町だと、徳島市よりも高松市経由の方が交通が便利なので、二回共高松経由でした。
1999年8月、二回目に脇町に行った際に、帰りにタクシーの運転手さんから教えて貰ったおいしい讃岐うどん屋と、その後で列車発着時間まで時間潰ししたホテルの喫茶店が、両親との思い出として懐かしくて再訪したかったのです。
うどん屋はうろ覚えですが、多分、駅前の味名登屋という店です。内装も恐らく記憶どおりです。ホテルの喫茶店は、間違いなくホテル・ニューフロンティアのマ・メゾンです。
あの時は、「いい店見つけたね。今度来たらまた寄ろうね。」と親子で話していました。その後、再訪する機会無く、昨2006年11月に母が、後を追うように先月に父が死んでしまいました。
前回ここに来たのは、わずか8年前のことです。丁度、喫茶店で前回座っていたのと同じ席に座っています。でも、前回は一緒にいてくれた亡父も亡母も天国に行ってしまい、独りぼっちでコーヒーを飲んでいます。
悲しくて寂しくて切なくて、涙がこぼれます。叶うならば、両親と一緒にここにいた時に戻りたいです。



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2007年9月15日 (土)

無事、父の納骨が終わりました。

無事、父の納骨が終わりました。
無事、父の納骨が終わりました。
無事、父の納骨が終わりました。
無事、父の納骨が終わりました。昨2006年に母を亡くして以来、心身共に急速に老化が進んだ程に母を愛していた亡父の遺骨は、最愛の亡母のいるお墓に入って行きました。平成の始め頃、生前の母と私が気に入って購入した、亡母が大好きだった、横浜南部にある気持ちの良い公園墓地です。
今年(2007年)のゴールデンウイークに、当時赴任していた鹿児島から故郷・横浜帰省した際に父と一緒に墓参りして以来、足が衰えて自力では墓参りできなくなっていた父を、その後帰省できずに連れて行ってあげられなかったので、父にとっては久し振りの亡母との再会です。生前と同様に、これからは父はずっと母と一緒です。
併せて、2001年9月11日、丁度、全米同時テロがあった日に病死と言うか、老衰と言うか、94歳で大往生した祖母の七回忌の法要を行いました。祖母が死んだ、わずか6年前には元気でいてくれた両親は今やこの世におらず、私は独りぼっちで取り残されてしまいました。
亡父が亡母と老後を暮らした懐かしい我が家に、位牌となった父が無言の帰宅をしました。いつもならば私と一緒に帰ってくれていた父も母も、相次いで死んでしまって、もうこの世にいません。とても悲しいです。時間を取り戻せるならば、両親が生きていてくれた頃に戻りたいです。



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